欠陥だらけでガラクタの多い当方の蒐集した作品、例えば平櫛田中作の五浦釣人には釣り竿がない・・?? そこで散歩のついでに採ってきた枝を・・。
加納鉄哉作の田村麻呂将軍像には弓の弦がないので、リサイクルでとってある義母の使用済みの紐の中から作品に合いそうな紐を取り付ける・・。なんとも貧乏性なのであろうが、よく見ないと解らないだろうと・・・
先人達が「うずくまる ねだんをきいて うずくまる」と揶揄したように、ハードルの高い古信楽の「蹲相場」というお値段があるようで、良き作品に巡り合えても値段を知って通常であればうずくまってあきらめるしかないのが常だったのでしょう。ですがこういうものと出遭ってしまうと、値段をさておいて無理をしてでもという具合になりかねないので、骨董を蒐集する者の間に「信楽で死ねる」という表現も生まれるのでしょうが、そこは常識をもって耐えるのが常人にとっては幸いというものなのでしょう。
ただそこで小生のような欲の深い常人は値段の安い江戸期の作品や贋作を掴むという罠に陥いるのですが、それよりなら値段はそこそこで悪意のない模倣作品を購入するというのは決して悪いことではないように思います・・・
古?信楽 桧垣文壷(蹲) 時代不詳
誂箱入
外口径61(内口径42)*最大胴径120*底径95*高さ136
模倣作品と言えども本歌の「蹲」の特徴をとらえていないと面白くないので「蹲」の特徴を整理してみましょう。
1.口は二重口
2.桧垣文のあるものは評価が高い。
3.高台は下駄をはいているものがある。
4.窯印があるものもある。
内側は驚くほどなめらかに仕上げられている(本歌の証?)などその他もろもろですが・・。
さてその順で本作品を整理してみましょう。
1.蹲の口作り:蹲の口は特徴的なものといえる。段が入り二重口といいます。
現代作品ならば装飾かもしれませんが、当時はこの二重口が必要だった理由があるそうです。蹲はもともと日用雑器でり、乾燥させた穀物を貯蔵したら首に縄を巻き付け、そのまま背負って運ぶこともあれば、吊るして天日干ししたとも言われます。縛ればまとめて小壺を運ぶことも出来たでしょうし、吊るせば穀物を狙う鼠などの害を避けられます。
または木蓋をして縄をくくり付けるためのものという説もあります。しかしその用途であれば、四耳壺(しじこ)や茶入に見られるような「耳」の方が縄をくくり付けやすいでしょう。縄を締めずとも二重口が取手になって持ちやすいです。いずれにせよ口縁は実用性を重視した作りになっているのは確かです。そして実用的な二重口は、口縁部の装飾としても美しく口縁部にメリハリが出ます。紐をしめて運び、また壺を吊るしている中世の人々を想像しながら選ぶのも楽しい器です。
資料より
*受け口は木蓋をのせるためという説の確証はありません。
紐が外れやすいと贋作など言われますが、二重口についての記述はあくまでも原則論です。縄を結わえない使い道もあったのでしょう。また古信楽は水漏れする作品が多々あります。これは種壺にはこのほうが種を腐らせないために漏水したほうがよかったという説があります。漏水しない作品もあり、これもすべてに共通する話ではないでしょう。
2.檜垣文:作品の肩回りには二本の平行線の中に「×」印が刻まれています。こうした模様を檜垣文(ひがきもん)といいます。不揃いですがヘラ目に勢いがあります。檜垣文は室町時代の作に多くみられます。その後は次第になくなっていった文様のようです。
ただ現代作品にはよく見られる装飾で、信楽の1つの特徴的な文様といえるでしょう。檜(ひのき)で作った垣根の形にちなんでこう呼ばれます。なお、檜は香りもよく高級木材として知られます。また檜を神聖視する習慣もありますし、垣根は居住空間を外敵から守るものです。よって檜垣文は当時の人々の神聖なお守りであり、無病息災や魔除け、安全・豊作祈願の思いが込められていたのかもしれません。
資料より
*桧垣文は上下の輪線が跡で掻かれたものと先に掻かれたものと両方あるようです。基本的には輪線が先かもしれません。思いきり勢いのあるものと丁寧に掻かれたものがありますが、窮屈な掻き方は贋作に多いようです。
ただし桧垣文をあまりにも重要視するのはマニアックなことだと思います。あくまでもあった方が趣があるや無しやが評価の原点ですね。
3.下駄印:蹲は高台を持たずベタ底ですが、中には凹凸のある作例があります。これは下駄の歯に見えることから下駄印(げたいん)と呼ばれます。下駄印が凹んだものを「入り下駄」、凸のものを「出下駄」といいます。これは作品をロクロ引きするさいに、中心がずれないよう固定した跡といわれます。こうするとロクロからの離れもよく、焼成しても底に隙間ができるのでくっつきにくくなります。
下駄印も二重口と同様、実用的な作りが装飾として見どころになった一例といえます。信楽や伊賀の作品をはじめ、備前や唐津などそれぞれの土味を活かした作品が作られています。その独特の形と表情を楽しめることでしょう。
*下駄印が一個というのは違和感がありますが、必ず2個なのかどうかは不明です。大きめの壺用の轆轤で成形したかもしれません。
*目跡が三カ所ありますが、古信楽に目跡があったかどうかは定かではありません
本来下駄印というのはろくろの上に土を置いたときにホゾの穴の中に土がめり込んで、本作品よりもっとくっきりでなければいけないようです。ただしこれも原則論です。
資料より
*もともと轆轤に固定用のために付く下駄印ですので、その型は大きめの壺を作るための大きさであったと推察するのが妥当でしょう。しかし小さめの壺にもぴたりとはまる下駄印があるのはちょっと不思議です。小さめの壺用と大きい壺ようの轆轤があったように思われますが、不思議にその記述はどの資料にもありません。作る側になって考える資料というのは意外に少ないのかもしれませんね。
4.窯印
表裏にあるものと片面にしかないものがあるよう思いますが、「蹲」で窯印のある作品は意外に少ないかもしれません。本作品は両面に窯印らしきものが掻かれています。
資料より
「三」の窯印は幾つかあるようですが、下記の左写真のようなものもあるようです。
本作品は全面への自然釉薬の掛かり方が少ないようですが、地肌がある分それはそれで趣のあるものとされています。
本作品の見本は下記の作品かな?
同じような窯印ですね。
当方の好みなのでしょうか、当方には同じような作品が複数になりました。
本作品について家内も「新しそうね?」だと・・・・、おそらく正しいので小生は反論せず・・・。
古信楽ではあろうがなかろうが、当方の「蹲」への好みというもの・・。人が持っているものは「欲みないと」、もとい「よく見ないと」解らないものさと結局蹲る
加納鉄哉作の田村麻呂将軍像には弓の弦がないので、リサイクルでとってある義母の使用済みの紐の中から作品に合いそうな紐を取り付ける・・。なんとも貧乏性なのであろうが、よく見ないと解らないだろうと・・・
先人達が「うずくまる ねだんをきいて うずくまる」と揶揄したように、ハードルの高い古信楽の「蹲相場」というお値段があるようで、良き作品に巡り合えても値段を知って通常であればうずくまってあきらめるしかないのが常だったのでしょう。ですがこういうものと出遭ってしまうと、値段をさておいて無理をしてでもという具合になりかねないので、骨董を蒐集する者の間に「信楽で死ねる」という表現も生まれるのでしょうが、そこは常識をもって耐えるのが常人にとっては幸いというものなのでしょう。
ただそこで小生のような欲の深い常人は値段の安い江戸期の作品や贋作を掴むという罠に陥いるのですが、それよりなら値段はそこそこで悪意のない模倣作品を購入するというのは決して悪いことではないように思います・・・
古?信楽 桧垣文壷(蹲) 時代不詳
誂箱入
外口径61(内口径42)*最大胴径120*底径95*高さ136
模倣作品と言えども本歌の「蹲」の特徴をとらえていないと面白くないので「蹲」の特徴を整理してみましょう。
1.口は二重口
2.桧垣文のあるものは評価が高い。
3.高台は下駄をはいているものがある。
4.窯印があるものもある。
内側は驚くほどなめらかに仕上げられている(本歌の証?)などその他もろもろですが・・。
さてその順で本作品を整理してみましょう。
1.蹲の口作り:蹲の口は特徴的なものといえる。段が入り二重口といいます。
現代作品ならば装飾かもしれませんが、当時はこの二重口が必要だった理由があるそうです。蹲はもともと日用雑器でり、乾燥させた穀物を貯蔵したら首に縄を巻き付け、そのまま背負って運ぶこともあれば、吊るして天日干ししたとも言われます。縛ればまとめて小壺を運ぶことも出来たでしょうし、吊るせば穀物を狙う鼠などの害を避けられます。
または木蓋をして縄をくくり付けるためのものという説もあります。しかしその用途であれば、四耳壺(しじこ)や茶入に見られるような「耳」の方が縄をくくり付けやすいでしょう。縄を締めずとも二重口が取手になって持ちやすいです。いずれにせよ口縁は実用性を重視した作りになっているのは確かです。そして実用的な二重口は、口縁部の装飾としても美しく口縁部にメリハリが出ます。紐をしめて運び、また壺を吊るしている中世の人々を想像しながら選ぶのも楽しい器です。
資料より
*受け口は木蓋をのせるためという説の確証はありません。
紐が外れやすいと贋作など言われますが、二重口についての記述はあくまでも原則論です。縄を結わえない使い道もあったのでしょう。また古信楽は水漏れする作品が多々あります。これは種壺にはこのほうが種を腐らせないために漏水したほうがよかったという説があります。漏水しない作品もあり、これもすべてに共通する話ではないでしょう。
2.檜垣文:作品の肩回りには二本の平行線の中に「×」印が刻まれています。こうした模様を檜垣文(ひがきもん)といいます。不揃いですがヘラ目に勢いがあります。檜垣文は室町時代の作に多くみられます。その後は次第になくなっていった文様のようです。
ただ現代作品にはよく見られる装飾で、信楽の1つの特徴的な文様といえるでしょう。檜(ひのき)で作った垣根の形にちなんでこう呼ばれます。なお、檜は香りもよく高級木材として知られます。また檜を神聖視する習慣もありますし、垣根は居住空間を外敵から守るものです。よって檜垣文は当時の人々の神聖なお守りであり、無病息災や魔除け、安全・豊作祈願の思いが込められていたのかもしれません。
資料より
*桧垣文は上下の輪線が跡で掻かれたものと先に掻かれたものと両方あるようです。基本的には輪線が先かもしれません。思いきり勢いのあるものと丁寧に掻かれたものがありますが、窮屈な掻き方は贋作に多いようです。
ただし桧垣文をあまりにも重要視するのはマニアックなことだと思います。あくまでもあった方が趣があるや無しやが評価の原点ですね。
3.下駄印:蹲は高台を持たずベタ底ですが、中には凹凸のある作例があります。これは下駄の歯に見えることから下駄印(げたいん)と呼ばれます。下駄印が凹んだものを「入り下駄」、凸のものを「出下駄」といいます。これは作品をロクロ引きするさいに、中心がずれないよう固定した跡といわれます。こうするとロクロからの離れもよく、焼成しても底に隙間ができるのでくっつきにくくなります。
下駄印も二重口と同様、実用的な作りが装飾として見どころになった一例といえます。信楽や伊賀の作品をはじめ、備前や唐津などそれぞれの土味を活かした作品が作られています。その独特の形と表情を楽しめることでしょう。
*下駄印が一個というのは違和感がありますが、必ず2個なのかどうかは不明です。大きめの壺用の轆轤で成形したかもしれません。
*目跡が三カ所ありますが、古信楽に目跡があったかどうかは定かではありません
本来下駄印というのはろくろの上に土を置いたときにホゾの穴の中に土がめり込んで、本作品よりもっとくっきりでなければいけないようです。ただしこれも原則論です。
資料より
*もともと轆轤に固定用のために付く下駄印ですので、その型は大きめの壺を作るための大きさであったと推察するのが妥当でしょう。しかし小さめの壺にもぴたりとはまる下駄印があるのはちょっと不思議です。小さめの壺用と大きい壺ようの轆轤があったように思われますが、不思議にその記述はどの資料にもありません。作る側になって考える資料というのは意外に少ないのかもしれませんね。
4.窯印
表裏にあるものと片面にしかないものがあるよう思いますが、「蹲」で窯印のある作品は意外に少ないかもしれません。本作品は両面に窯印らしきものが掻かれています。
資料より
「三」の窯印は幾つかあるようですが、下記の左写真のようなものもあるようです。
本作品は全面への自然釉薬の掛かり方が少ないようですが、地肌がある分それはそれで趣のあるものとされています。
本作品の見本は下記の作品かな?
同じような窯印ですね。
当方の好みなのでしょうか、当方には同じような作品が複数になりました。
本作品について家内も「新しそうね?」だと・・・・、おそらく正しいので小生は反論せず・・・。
古信楽ではあろうがなかろうが、当方の「蹲」への好みというもの・・。人が持っているものは「欲みないと」、もとい「よく見ないと」解らないものさと結局蹲る