夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

疑わしき作品ですが好きな作品 猫 その2 伝藤田嗣治筆

2022-06-15 00:01:00 | 日本画
藤田嗣治はわが故郷には馴染みの深い画家です。陶芸を通しての郷里の友人であった故平野庫太郎氏の本家筋には「藤田嗣治と交流があった平野政吉」がいます。

*平野政吉を介して当方には藤田嗣治の色紙「提灯と虫」(本ブログにて投稿済)の作品があります。

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平野政吉がはじめて藤田嗣治の作品を観たのは、1929(昭和4)年の藤田の一時帰国時の個展であり、その後、1934(昭和9)年、東京の二科展の会場で、平野と藤田は出会っています。平野政吉は、1936(昭和11)年、藤田嗣治の妻・マドレーヌの急逝にともない、その鎮魂のために美術館の建設を構想し、藤田の大作を多数、購入し、藤田の壁画制作も進めました。しかし、戦時下、美術館の建設は中止されます。
 
その約30年後、1967(昭和42)年、平野は「青少年を豊かな人間に」と願い、長年収集した美術品を公開するために財団法人平野政吉美術館を設立。同年5月には、平野政吉コレクションを展観する秋田県立美術館が開館し、現在に至っています。平野政吉コレクションの核である藤田作品は、1930年代の藤田の画業を俯瞰する作品群として、広く知られています。とくに藤田嗣治が、1937年(昭和12年)当時の秋田を描いた大壁画「秋田の行事」が有名で、その他多くの藤田嗣治作品を所蔵しています。この秋田県立美術館の館長を古平野庫太郎氏が務めていました。

大壁画「秋田の行事」はJR東日本の宣伝(吉永小百合出演)にて有名ですね。

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さて本日は藤田嗣治の猫を描いた作品の紹介ですが、本作品で2作品目となります。柳の下に泥鰌は二匹いない?? どうも前回の作品(下記写真右)より真作とする根拠は希薄なのですが、その描写の技量の確かさから入手した作品です。


疑わしき作品 猫 その2 伝藤田嗣治筆
紙本水墨額装 黄袋+タトウ
M12号変形 額サイズ:縦680*横850 作品サイズ:縦330*横590


よくみかける印刷や版画でなく肉筆に相違なく、藤田嗣治の特徴をよくとらえた水墨画での筆致です。


本作品には画中にある落款と印章のみです。落款の書体には違和感がありませんし、押印されている印章は実際に存在するものです。ただ参考にした作品の印章とはちょっと違和感があります。

*参考にした作品がインターネット上に作品であり、そちらの作品が真作でない可能性もあります。

**下記の写真の左が本作品の落款と印章で、下記の写真の右が以前に紹介した「氏素性の解らぬ作品(後述) 猫 伝藤田嗣治筆」(M10号(小) 紙本水墨淡彩額装 共板内蔵額装 黄袋+タトウ 額サイズ:縦695*横545 作品サイズ:縦490*横335 東郷青児鑑定シール)の落款と手印です。

 

下記の資料は藤田嗣治のサインや落款の抜粋です。真作ならこの「猫」の作品は同時期の作で、入手経緯から戦前・戦後の来日時の作と推定されます。



藤田嗣治の描いた猫は人気作品ですので、多くの模作や贋作がありますので、十二分に疑って調査しています。


音かなにかに反応して耳を立ち上げた猫の一瞬の表情をうまくとらえています。


耳と髭のバランスもうまい。

本作品中にはわずかながら藤田嗣治独特の白が用いられています。

藤田嗣治はは色使いに特徴があり、中でも「白」(ホワイト)には、藤田にしかない唯一無二の魅力がありました。藤田はフランスを拠点とし、婦人画をよく描いたのですが、その白人女性の肌色は独特で、パリジェンヌたちの心をつかみました。その独特の乳白色。当時、藤田を真似て多くの画家がその絵に挑戦しましたが、まったく近づくことはできませんでした。多くの謎を残したまま、藤田の死後、意外な事実が分かります。


成分分析を行い、分かった新事実。それは、なんと、「ベビーパウダー」でした。赤ちゃんを想像するあのやさしい香と肌触りの白い粉。また、生前に撮られた写真に写っていたものも証拠となりました。懐かしの和光堂のシッカロール(ベビーパウダー)であったようです。

さらには水墨のたらし込みも一流の日本画家に劣るものでない表現です。さらに藤田嗣治の水墨には伊藤若冲の筋目書の描写を用いたかのような技法が使われてます。この技法は特殊な紙と技術が必要とされます。琳派のたらし込みや筋目書という技法を藤田嗣治は習得していた可能性は高いでしょう。


足の爪や尾の先までぬかりのない生きている表現となっています。

藤田嗣治は、日本画壇の理不尽な規制に愛想をつかし、自由な絵画を求めてヨーロッパに飛び立ちました。そこでは、今でも有名な画家たちが自由で夢見る絵を生き生きと描いていたのでしょう。ピカソのアトリエに遊びに行ったとき、その自由な発想に驚愕し、自分ならではの絵を描こうと決心したと言います。


そこからが苦悩の連続。キュービズムを真似たり、古典西洋画を取り入れたり、迷走の日々であったようです。苦悩の末、自らが生み出したもの、それがこの「白」(ホワイト)だったとされます。

ベビーパウダーを白い画材と混ぜることで、半光沢の滑らかな質感や上品な乳白色となるようです。この下地の滑らかさには、キャンバスの布の目の細かさも影響してくるため、藤田はほとんどの作品において、キャンバスを自ら手作りしたそうです。

技法として自分が辿り着いたもの、自分ならではの独自のもの。どこか感じるものがありますが、彼がたどりついたのは絵の色の技法以外に熟練した描写力も身についたようです。この作品はなによりも猫の顔の表情がいいですね。


しばらく飾っていたり、収納していたのでしょう。額は当時としては上等の額ですが、汚れが結構ありました。額には少し補修の手を加える必要がありそうです。


前述の猫を描いた作品の1作品目は下記の作品です。おそらく戦前・戦後間もない頃に日本に滞在していた同じ頃に描いた作品でしょう。額も同じ作りであり、もしかすると描いた猫も同じ猫・・・??? 


氏素性の解らぬ作品 猫 その1 伝藤田嗣治筆
M10号(小) 紙本水墨淡彩額装 共板内蔵額装 黄袋+タトウ
額サイズ:縦695*横545 作品サイズ:縦490*横335 東郷青児鑑定シール


「猫 その1」は共板・鑑定シールから現在では当方では真作と判断していますが、白を使っていないものの他の分はほぼ同じ技法で描かれていますね。


マットに汚れがあったり、額が痛んでいたので修理しています。


陶芸を習っていた平野氏の本家と関係の深い藤田嗣治、また秋田との縁のある藤田嗣治ですので、いつもながら当方ではちょっと興味が誘われる画家のひとりです。


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