吉祥の作品ということで作品の注文も多かったのでしょう。また平野富山は同じモデルの作品を40~50体作ったそうですから、その点からも作品の数が多いと推測されます。ただ、それゆえ祀るこでで、ながらく飾っておくと湿気でカビが発生することが多く、完璧なコンディションで残っている作品は少ないとされています。
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本作品は七官青磁ほど野暮ったくなく、とはいえ胎土と釉薬から一級品とは言えず、天龍青磁に分類してみました。窯割れなどがありますが、本来は破棄されたものかもしれません。発掘品を補修して花入れに用いたものと推定しています。「媚びた」作品とは言えず、味わいのある作品と判断しています。
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1945年4月に48歳で京都から郷里五城目町に疎開、翌年には隣町である一日市町(後の八郎潟町)に移り住む。ここにアトリエを構え、秋田の風景や行事、伝承芸能などを好んで描いた。地方色豊かなマニエリスム風の微細な描写が作風。 . . . 本文を読む