娑婆神橋
娑婆神峠の石畳
所在地 / 熊本県宇城市小川町中小野
架橋 / 江戸末期
石工 / 不明
橋長 / 5.4m 橋幅 / 2.5m
径間 / 不明 拱矢 / 不明
単一アーチ
娑婆神橋は、かつて日向街道だった娑婆神峠への石畳が続く道筋にあり、
石畳の標識から左に入って100mほどの場所に架かっている。
橋自体は小さな橋だが、昔からの難所として考えれば、
往来に貢献した橋だと言える。
『 娑婆神峠 』
古い昔は、小野部田から豊福にかけて山裾まで海だった。
そのことから娑婆神峠路が北へ通じる幹線路であった。
文献によると、白髪山、さばき髪山、鯖神嶺などの名称があるように、
伝説、信仰跡の豊かな峠である。
天正(1573~1592)以前は、人馬も越え難かったのを
鰐瀬 ( 城南町の地名 ) の僧 ( 立善 ) が宝暦14年 ( 1764 ) に発願し、
里人と協力して造った石畳の道だと伝えられている。
この峠は大切な通路であるとともに、位置や険しさなどから戦乱の時代には要塞にもなり、
八代の古麓城主の相良十八代の義陽が天正9年(1581)にこの地に陣を敷き、
「 これ我が娑婆界の見納めなり 」 と言って、
この峠を越え、豊野に入り響ヶ原で甲斐宗運のために悲運の死を遂げた。
また、西南の役でも戦場となっている。
昔は頂上に七本の松があり、眼鏡橋、甲岩、漕出し(砂防ダム)などの地名があるのは、
峠の歴史を物語るものである。
また、この峠付近は竹葉石の産地でもある。
石畳は県道下郷ー北新田改修により現在地に移設され、
わずかながらではあるが昔の姿を留めている。