「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 新日鉄と住金が合併 」

2012-10-01 20:51:43 | ニュース


































“ 鉄のまち ” と言われる北九州市には二つの製鉄所がある。
その二つの新日鉄株式会社と住友金属工業が今日付けで合併した。
小倉駅の裏手にある住金には、たくさんの知人や友人が勤めていた。
今まで、スミキン、スミキンと言っていたが、今日から新日鉄住金となった。
新日鉄と住金では製造は重複しないが、コスト面での削減は避けられないだろう。
現に150億のコスト削減を打ち出しているから・・・
東芝も昨日で北九州工場を閉鎖し、
さらにこうした合併で100万都市と言われた北九州の雇用や財政も厳しくなるだろうな。



熊本県宇城市 「 娑婆神橋 ( さばがみばし ) 」

2012-10-01 20:29:55 | 熊本の石橋



娑婆神橋














娑婆神峠の石畳
























所在地 / 熊本県宇城市小川町中小野
架橋  /  江戸末期
石工  /  不明
橋長  /  5.4m  橋幅 / 2.5m
径間  /  不明  拱矢 / 不明
単一アーチ



娑婆神橋は、かつて日向街道だった娑婆神峠への石畳が続く道筋にあり、
石畳の標識から左に入って100mほどの場所に架かっている。
橋自体は小さな橋だが、昔からの難所として考えれば、
往来に貢献した橋だと言える。



『 娑婆神峠 』


古い昔は、小野部田から豊福にかけて山裾まで海だった。
そのことから娑婆神峠路が北へ通じる幹線路であった。
文献によると、白髪山、さばき髪山、鯖神嶺などの名称があるように、
伝説、信仰跡の豊かな峠である。
天正(1573~1592)以前は、人馬も越え難かったのを
鰐瀬 ( 城南町の地名 ) の僧 ( 立善 ) が宝暦14年 ( 1764 ) に発願し、
里人と協力して造った石畳の道だと伝えられている。
この峠は大切な通路であるとともに、位置や険しさなどから戦乱の時代には要塞にもなり、
八代の古麓城主の相良十八代の義陽が天正9年(1581)にこの地に陣を敷き、
「 これ我が娑婆界の見納めなり 」 と言って、
この峠を越え、豊野に入り響ヶ原で甲斐宗運のために悲運の死を遂げた。
また、西南の役でも戦場となっている。

昔は頂上に七本の松があり、眼鏡橋、甲岩、漕出し(砂防ダム)などの地名があるのは、
峠の歴史を物語るものである。
また、この峠付近は竹葉石の産地でもある。

石畳は県道下郷ー北新田改修により現在地に移設され、
わずかながらではあるが昔の姿を留めている。



長崎県長崎市 「 野母港口ノ平灯台 」

2012-10-01 19:45:12 | 長崎の灯台































所在地 / 長崎県長崎市野母港 
塗色  / 赤色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 単閃赤光 毎3秒に1閃光
実効光度  / 26カンデラ 
光達距離 /  3.5海里    
頂部までの高さ / 9.32m
平均水面から灯火まの高さ / 11.18m
現用灯器 / LED灯器(Ⅱ型赤)   電球 / LED
設置、点灯および業務開始年月日 / S.53.3.14



野母港口ノ平灯台へのアクセスは、
国道499号線の野母物産センターから右に入り、
「 海の健康村 」 の前を抜けると目の前に野母港灯台と口ノ平灯台が見える。
口ノ平は野母港の周囲を回って灯台の後ろにある工場まで車で行けるが、道が狭い。
駐車は工場の横に邪魔にならないように駐車した。


長崎県長崎市  「 野母崎・権現山展望台からの景色 」

2012-10-01 19:37:56 | 探訪 ・ ドライブ



野母崎・権現山展望台から大立神灯台の望む







遠くに樺島が見える







権現山から見た東シナ海











山は緑
海は水平線の彼方まで青く
空も青い

ここは長崎半島の最先端
野母崎

長閑でよかとこ







大立神灯台












所在地 / 長崎県長崎市大立神 
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 単閃白光 毎3秒に1閃光
実効光度  / 78カンデラ 
光達距離 /  5.0海里    
頂部までの高さ / 6.19m
平均水面から灯火まの高さ / 27.10m
現用灯器 / LED灯器(Ⅱ型白)   電球 / LED
設置、点灯および業務開始年月日 / S.46.1.29




北九州市門司区  ・  国指定重要文化財 「 旧・門司三井倶楽部 」

2012-10-01 19:23:05 | 近代化産業遺産・土木遺産



国指定重要文化財 「 旧・門司三井倶楽部 」




















連続した切妻が不思議な迫力を見せる



































所在地  /  北九州市門司区港町
竣工   /   1921年 ( 大正10年 )
設計者  /   松田昌平
■  国指定重要文化財


 
旧・門司三井倶楽部は大正11年に来日したアインシュタイン夫妻が
宿泊したことでも有名な建造物である。
木製の梁や柱材を露出させ、
その間を壁で埋める「ハーフティンバー」という手法が強調される建物で、
切妻屋根の連続が不思議な迫力を見せている。
どことなく古めかしい表情は、この様式が16世紀の英国で流行した
チューダ様式を採用していることに起因しているのかも知れない。
 明治末期から大正にかけて門司港周辺は大陸との貿易増加を背景に活況に湧き、
多くの洋風建築が立ち並び、物と人の往来が新しい文化をもたらした。
そんな時代に「三井倶楽部」は誕生している。
 大正10年に三井物産門司支店が社交倶楽部として建造したのが始まりである。
当初は門司区谷にあったものを昭和24年に国鉄会館として利用していたが、
その後北九州市の所有となり、門司港レトロ地区を構成する建物として移築復元したものである。


旧・門司三井倶楽部へのアクセス
旧・門司三井倶楽部へは、JR門司港駅より徒歩1分。
また自動車の場合は九州自動車道門司ICより、県道25号線を門司港駅方面へ約7分。
駐車場は駅横の有料駐車場を利用すると便利である。