「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県うるま市勝連  「 肝高の阿麻和利 ( きむたかのあまわり ) 」

2012-10-15 23:19:17 | 沖縄















  肝高の阿麻和利 ( あまわり誕生~レクイエム)

  作詞 : 松永太郎 / 平田大一
  作曲 : 松永太郎



 太陽 ( てぃだ ) に向かって 手をかざす君は
 胸に抱いた 想いかみしめてる

 民草の王 流れ着いた浜から
 迷いながらも 歩き続けてきた

 おまえが櫂をもて 荒れ狂う波の中をゆけ
 立ち上がれ勝連の星よ そのまなざしははるか
 世界をにらむ

 黒い雲が目の前に 立ちはだかるときも
 その想い持ち続けれれば 目の前の扉は開くのだ

 
 おまえが櫂をもて 荒れ狂う波の中をゆけ
 立ち上がれ勝連の民よ この生命 ( いのち )
 運命 ( さだめ ) と決めて

 肝高 ( きむたか ) き勝連の おお空に今昇りゆく
 大きな太陽をつかめ 新たなる扉を開け
 大きな太陽をつかめ 新たなる時代を開く

 歩き続けてきた・・・
 新たなる時代を開く






沖縄県読谷村古堅  「 阿麻和利 ( あまわり ) の墓 」

2012-10-15 22:59:33 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



ブロックでふさがれた阿麻和利の墓








「 阿麻和利之墓 」 と書かれたセメントの墓碑
















墓全体を覆っているムイ ( 森 )






阿麻和利の墓は、読谷村古堅小学校の北50mの場所にあり、
キビ畑の後方に岩がある。
岩陰墓で墓口はブロックで塞いである。
これは昭和38年に縁続きの人が整備したものである。

阿麻和利は、北谷間切屋良村の百姓の子といわれたり、
屋良按司と今帰仁グスクの王女との間に生まれた子といわれたり、
屋良按司と屋良の林堂家の娘との子だといわれているが、
誕生譚はさまざまである。
位牌は林堂家の裏座に密かに祀られていたという。

昭和38年に林堂家一門が宗祖屋良按司と阿麻和利を合祀した小祠を屋良に建てた。
王府軍に勝連グスクを攻め落とされた阿麻和利は、読谷村の楚辺まで逃げてそこで討たれ、
亡骸は岩陰に捨てられたという説と、
勝連グスク内で鬼大城に首を討ち取られたという説があるが、どちらがどうかは定かではない。



沖縄県うるま市   ・  沖縄の文化財 「 勝連城跡 」

2012-10-15 22:49:57 | 沖縄の文化財







勝連城跡
The Ruins of Katsuren Castle
琉球王国のグスク及び関連遺産群
The Gusuku Sites and Related Propertis of the Kingdom of Ryukyu

( 世界遺産 )
World Heritade


指定年月日 : 平成 12 ( 2000 ) 年12月2日 
Designaed Date : December 2,2000
所在地 : 沖縄県うるま市勝連町字南風原赤吹原、同城之下地
Location : Hebaru,Katsuren-cho,Uruma-shi,Okinawa-ken


勝連城跡は与勝半島の付け根に位置し、小高い丘 ( 標高97m ) を中心に築かれた城である。
中城湾を隔てて護佐丸の居城であった中城城を望む城は、5つの郭に分かれ、最高所に一の郭があり、
二の郭、三の郭、四の郭と東側へ低くなり、四の郭東側の一段低くなった所に東の郭がある。
二の郭には殿舎跡が、谷地形をなす四の郭には南側に南風原門、北側に西原門および5つの井戸がある。
伝承によると、茂知附 ( もちづき ) 按司に代わって10代目の城主になった阿麻和利は、
海外と貿易を盛んに行って勢力を拡大したが、1458年に首里王府によって滅ぼされた。


 Katsuren Castle was built on a smsll hill ( approxmately 97meters above
sealevel )
located at the base of the Katsuren Peninsula.
Nakagusuku Bay from the Katsuren Castle site.
Katsuren Castle consisted of 5 sections and includwd the Haebarumon Gate to the South,
the Nishibarumon Gate to the North, and 5 independent wells for water.
 According to legend, Amawari, the 10th king of the Katsuren domain, expanded the power
of the realm by engaging in prosperous overseas trading.
However, the castle fell under thecontrol of the royal government of Shuri in 1458



沖縄県うるま市勝連  「 勝連グスク 」

2012-10-15 22:09:08 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡





























三の郭から見た城壁







頑丈に造られた主郭の城門







二の郭にあるウシヌジガマの拝所







主郭にある玉ノミウヂ御嶽







主郭から見た二の郭の殿舎跡






肝高の御嶽 ( キムタカノウタキ )








夫婦ガー






三の郭から二の郭への石段と城壁








主郭広場






主郭より金武湾に浮かぶ平安座島方面を望む






勝連城は12世紀ごろ築城されたグスクで、
最初の勝連按司は、大成王(英祖王統2代目)の五男であったとされ、
英祖王系の勝連按司は5代まで続く。
それ以降は後継ぎが生まれなかったので伊波按司の六男を養子に迎え、
6代目としたといわれる。
また、この伊波按司系はこの代で終り、7、8代目は浜川按司だと伝えられている。
そして9代目に茂知附(望月)按司が治めていたが、
15世紀前半に阿麻和利(あまわり)の攻撃によって滅びた。

その後、阿麻和利が第10代の勝連城主としてこの地を治めた。
その阿麻和利は北谷間切屋良村(嘉手納町屋良)で孤児として生まれ、
他人にない特異な才能を武器に、瞬く間に勝連城主へと昇って行ったが、
その落日も早かった。



護佐丸・亜麻和利 (ごさまる・あまわり) の乱

 14世紀から15世紀の琉球は、中山・北山・南山の三つのグスクを拠点に按司が支配していた。
その中で特に強い勢力を誇り、1429年に三山を統一したのが中山の尚巴志(しょうはし)であった。
その尚巴志に従い、三山統一に功績を残した人物が護佐丸である。
護佐丸は恩納村の山田城主であったが、尚巴志が北山を滅ぼした後、
山田城を取り壊した石材を使って読谷に座喜味城を築き、
後に中城城へ移るまでの18年間を居城として過している。

 一方、三山統一後に海外貿易の富で力を付けたのは、勝連城の阿麻和利であった。
その阿麻和利に対抗し王都首里を守るため、
護佐丸は首里城と勝連城との中間に位置する中城城に拠点を移し、
中部一帯の守りを固めた。

 尚巴志の死後、琉球は国王の在位年数が短かったため国の基盤が安定せず、
首里城内でも王位継承の争いが起こるなど不安定な状態が続いた。
こうした王国情勢のなか、阿麻和利の勢力は尚泰久にとっては恐ろしい存在だったため、
泰久は娘である百十踏揚(ももとふみあがり)と阿麻和利を攻略結婚をさせるほどであった。
また、尚泰久の妻は護佐丸の娘であるため、百十踏揚は護佐丸にとって孫にあたった。
 琉球の王位を望めるほど力をつけた阿麻和利は、
中城城の護佐丸の存在を疎ましく思っていた。
1458年に一計を案じた阿麻和利は、中城城の護佐丸が軍兵を集めて
謀反の動きがあると国王へ訴え、それを聞いた泰久は、
護佐丸を倒すために阿麻和利を総大将に命じて軍隊を中城城へ派遣した。

 その結果、護佐丸は阿麻和利の率いる王府軍に中城城を攻められ、
無実の罪を着せられて自害してしまう。
一方この戦いに勝利した阿麻和利は、王位を奪うための準備をしている最中に、
百十踏揚の家来である鬼大城(おにおおぐすく)にその策略を気付かれ、
逆に王府軍との戦になる。

鬼大城 (おにおおぐすく) の活躍と最後
王府軍との戦いで首里城攻めに失敗し、命かながら勝連城に逃げ帰った阿麻和利への、
鬼大城を総大将とした攻撃もなかなか勝敗が決まらず長引いていた。
そこで勝連城内の地理に詳しい鬼大城自ら城内へ忍び込んで行き、
阿麻和利の首を討ち取ったという。
その活躍により尚泰久から越来(ごえく)と具志川の両間切りの地頭に命じられた。
また、百十踏揚を妻に迎え、越来城を賜った。
(一説には勝連城を賜ったとも言われている)

城は、沖縄本島中部の与勝半島の丘陵地にあり、五つの郭から構成される連格式で、
二つの台地とその間に平地を取り囲んで築かれた素晴らしい眺望の城である。


グスクの主郭に玉ノミウジ嶽 ( 神名・コバツカサノ御イベ ) があり、
丸い石は霊石である。
二の郭には、肝高ノ嶽 ( 神名・イシヅカサノ御イベ ) がある。



勝連城址へのアクセス
勝連城址は沖縄中部にある与勝半島の真ん中付近に位置し、
旧勝連町(現・うるま市)を県道10号線で海中道路の方向へ進み、
与勝交差点を右折すると左の山の上に城が見える。
また、手前の川田から県道16号線でも行ける。
駐車は、三の郭が駐車場になっているので、上り口まで車で入って行ける。



スリッパが大好きなムサシ

2012-10-15 21:54:27 | 柴犬 ムサシとピース













最近ムサシはスリッパや干してあるタオルなどを咥えては、庭に持って出る。
そして 「 追いかけて来い! 」 とばかりに振り返り挑発する。
まだ3ヵ月にもなっていないのに要領を得るのが早いようである。