くにさき伊美の芸術は、ギャラリー『 涛音寮 』 から始まる
伊美川から 「 涛音寮 」 の遠望
二階から三階に続く急な階段
三階からの眺める伊美の町並み
上から見た涛音寮の庭
涛音寮は国見町という国東半島の最先端、姫島と連絡している伊美港の近くにあり、
町中の中心部を伊美川が流れ、その伊美港に注いでいる。
後の山側の遠くを見れば南は両子山、北は周防灘に面している。
また、古くから国東半島六郷満山 (奈良時代は九縄、田染、安岐、武蔵、国東、伊美 の六郷 からなる
宇佐八幡の荘園)の仏教文化の街として栄えていました。
古来からの仏教遺跡などの文化財は今なお数多く点在する歴史豊かな地域でもある。
江戸時代末期の頃、伊美を中心にした一帯は瀬戸内海の
海上交通の西の拠点として栄えていました。
その頃、回船問屋として商売をしていたのが重光伝兵衛という人物である。
伝兵衛から代を受け継ぎ、明治の初期、今から140程前に、
橋本屋の主屋として天守閣に似た城造りの木造 3階建の見事な建物を築いたのが重光銀九郎である。
通称三階屋は、明治初期の建物としては規模の大きな木造3階建で、
特長的なのが天守閣のような外観が人目をひく3階部分である。
富の象徴という意味もあったが、
造り酒屋という商売そのものが大規模な設備と多くの人間を必要とする仕事であり、
当然そこで働く人たちを収容するにも大きな建物が必要だったのだろう。
現在の涛音寮は、 正式には純真学園国見研修所・涛音寮として平成9年4月オープンしたもので、
純真学園は福岡市にある学校法人で重光家の親戚 にあたる福田敏南氏 が前理事長を務めていた。
涛音寮になる以前、純真学園の国東寮になってからのほぼ10年間は空き家状態であったが、
国東半島の芸術・文化の交流の場になればという氏の理解があって、
痛んだ三階屋を丸2年を費やし全面的に修復復元したものである。
今では国東固有の文化に接することのできる憩いの場として多くの人が訪れるようになっている。
ここを拠点に表具作家の和田木乃実さんが活躍している。
彼女は表具作家であるが、自身は飾らず一生懸命に働く素敵な女性である。