Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高みからの眺望

2005-03-09 | 文学・思想
3月6日、日曜日。

気温零下摂氏19度の昨日よりも随分と温かい。ポントレジーナよりサンモリッツ・バードを左に見て、スルレイのロープウエーに乗る。海抜1870メートルの町から、高度差830メートルを一気に登り、そこで乗り換えて海抜3451メートルのコルバッチ頂上へと向う。中間駅には、創業70年のザレワ社の大きな看板が懸かっている。氷河の塊の淵でカービングの板を走らすダイナミックな写真である。それに向かい合う外科病院の看板が目に入る。靴先が崖淵より食み出すスキー板を懸垂氷河の下から見上げた写真の下方に大きく書いてある。「その前に今ひとつ自己紹介させて頂きます。」と。

スキー客に混じって、黒服の帽子を被った男がいる。長い茶色の髭を幾つも編んで複数のお下げにしている。連れている男の子も黒服である。チューリッヒのツェントゥルム・シュトラーセで見るようなラビの正装ではないが、黒尽くめである。ヘブライ語を喋っている。ユダヤ人街で見る光景とは違い、その佇まいだけで一瞬にして周りの風景を変えてしまう。

親子を乗せたゴンドラは頂上に着いた。展望台のテラスからエンガーディーンの谷が雪煙の霞を通して、左右に大きく横たわる。西のユリアーパスを正面にして、右のサン・モリッツの町から細く湖が見え隠れする。そして左側のマロヤパスへと向うジルスの町へと続いている。黒服の親父さんの目に映った世界は、谷の広さといい、深さといい唯一神の創造通りに違いない。大海に島を配するように造形が定まり、有るものが有るべき所に配置される。俯瞰は出来ないが 少 し 高 み からの眺望を得る事が出来る。凍りついた氷河湖面に乗った雪も、そこでのマラソンのために付けられたコースも、黒光りする森が縁取る道路も人々の営みも全てが絶対の摂理の下に存在している。

ここサン・モリッツの風光は、谷を隔てたトーマス・マンの「魔の山」で有名なダボースのそれとは大きく異なる。イタリアへと抜ける峠は、陽に包まれ白く輝く。標高も高く空気は軽い。狭く曲がった谷の角に位置するダボースの生活のような隠遁の感はここにはない。雪山遭難への憧憬もなければ、水平と垂直の世界の葛藤もない。セガンティーニらが描いたように空が拡がる。限りの無い青い空と対峙することになる。

ここの湖の町、ジルス・マリアでニーチェは、6年間のシーズンを過ごした。「ツァラストラはかく語りき」、「善悪の彼岸」や「アンチ・キリスト」などをここで著した。彼の生まれ故郷の中部ドイツとは大分違うが、本人は血が合うと言って、「強く明るい風光の中で、住み良い。真に稀ながら穏やかさと厳かさと、神秘性が入り混じっている。それゆえにジルス・マリア以上に気に入った所はない。」と絶賛している。
コメント (10)
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