
就寝前に湯船に浸かる。風呂嫌いではないが、なかなかゆったりとした時間が取れ無くなると、湯船に浸かるのは贅沢そのものとなる。特に起きていられないほど、瞼が下がると、お湯を張るのも億劫である。
本シーズン初の岩登りをバーデン・バーデンで楽しんだ。室内でトレーニングを積んでから、野外でのクライミングをするシーズンは初めての経験なので、体の切れが驚くほど違った。流石に、前者を後者のトレーニングと見做して、後者をアルプスでの本番の為の練習などとする考えは浮かばないが、実際にそういう手順が存在する事も否めない。
そのような戯言よりもなによりも関心を持たれるべきは、今回同行した女子大学生の野外でのクライミングデビューである。人工的な環境から自然環境へと 戻 っ て 来た気持ちはどうなのかと思うのである。アウトドーアスポーツの特性として以上に、他のなにかを語っているのかもしれないなどと考える。
スポーツとしての特性は、人工的な環境設定では自然の秩序の多種多様には及ばないのは当然ながら、競技的・教育的な意図を以って秩序つけされた人工壁によって特徴付けられる。全体の造形や傾斜、手掛かりとなる岩角の表面や摩擦係数は、自然に於いては限りない変容が存在する。
こうした総合的な違いから、自然の壁の登攀は人工の壁のそれとは違う感興が伴う。今回の彼女が奇しくも、「人工壁の方が恐怖感が募る。」と言ったのに注目すべきではないだろうか?何故ならば、実際に危険度は高度や傾斜のある岩の転がる足場などから、また確保の手段の危うい自然の岩場の方が、背骨を損傷したり頭部を強打する致命傷に至るまでも無く、岩に擦られて流血の騒ぎとなる怪我や事故の可能性は高いからである。
要するに、危険が迫る実際の状況よりも、主体を取り囲む環境が、精神的な圧迫感や脅迫感に大きく影響していると考えられる。外界の環境と内面的な心理の関係は、古典的なテーマであり、特にアルピニズムに於いては重要な価値が認められてきた。つまり、人が壁を攀じ登る時、集中の極に於いて若しくはアドレナミン排出のクライマースハイの状態に於いてこそ、外界への研ぎ澄まされた認知力が高まると言われている。
同時に、攀じる主体は自身の身体の運動を客体に合わせて合理的に調整していく必要がある。そうした考え方は、アウウトドーアスポーツの場合には肝心である。向い風・波の追い風・波と同じように、岩肌も生きており、だから時によっては厳しくもあり優しくもある。こうした自らの主体を含む環境を見計らうのが醍醐味である。
参照:
花崗斑岩の摂理に向き合う [ 文学・思想 ] / 2005-06-21
慣れた無意識の運動 [ 雑感 ] / 2006-03-07
