グランクリュワインを購入する。ご進物にするかどうかを吟味する目的を口実としている。ここ暫くは、2003年ヴィンテージのルッパーツべルク産のものを、副親方勧められて、地元割引価格で用達させていた。それでも平素飲んでいないので、自宅のワイン倉庫の在庫は未確認である。何れにせよグランクリュの経年変化を知りたいと、同じものを所望した。残念な事にこれが売り切れており、同じ地所の2001年度産を同価格で別けて貰う。何よりも、通常では飲む事の出来ない高価な高級ワインなので、この際と思い三本纏めて購入する。ヴィンテージの比較と経年変化を最高に高度なレベルで行う目標がこうして設定された。
さて、ルッパーツべルクのガイスボールは、ここで以前に評価している。それを読み返すと、玉露の味などとあってその発想に我ながら感心する。そしてそれを拠り所とすると、今回のものは新茶に近い味だ。勿論、五年経っているので新鮮さは無く、残雪現象が始まりかけている。酸味が少なく辛味が目立つのは個人的には好まない。つまり、香りも無風のお花畑といった感じで、静的なのである。
この時間の止まったような印象を与えるワインは大変珍しい。ステファン・キングのサインエンスフィクションの小説・映画を思い出す。時間が止まると全ては無味無臭になる強引な設定の味なのである。しかしこのワインの最後には黒砂糖のような味が残る。味としては、若い蒸した藁といった傾向だろうか。大変微妙な味覚で、全神経を集中しなければ解析出来ない。
可能な限り客観的に評価しようとしたが疲れたので、主観的評価へと移る。簡単に女性像として捉えると、2003年は非常にグラマラスで少しコケットな要素があって、男なら誰でも鼻の下を伸ばして仕舞うようなワインであった。若いのに拘らず、化粧も完璧で、付き合って見なければ本来の育ちの良さは判らないような雰囲気があった。そして今回の2001年は、決して若くはないのだが、薄化粧で何となく良い香りがするのだ。その育ちの良さが、アピールを控えめにしている。外見は、女性らしい上半身よりも、重心が低いのが気になるが、無駄な肉は付いていない。
2002年ものは試したことは無いが、幾分メリハリが利いているという噂だ。何れにせよこの地所のワインは、深窓の令嬢で目鼻立ちも整っていて、大人しさが特徴である。それでいてこちらは何時の間にか酔わされている。
こうして読み返すと、どうも夏風邪ならず春風邪をひいた様だ。充分に判定が出来ていない。二本目は保存用にと考えていたが、体調万全にして再度試飲してみるべきだろうか。深窓の令嬢とつきあうには、こちらもそれなりの我慢をして、良さを引き出すまで通い続けなければいけない。
さて、ルッパーツべルクのガイスボールは、ここで以前に評価している。それを読み返すと、玉露の味などとあってその発想に我ながら感心する。そしてそれを拠り所とすると、今回のものは新茶に近い味だ。勿論、五年経っているので新鮮さは無く、残雪現象が始まりかけている。酸味が少なく辛味が目立つのは個人的には好まない。つまり、香りも無風のお花畑といった感じで、静的なのである。
この時間の止まったような印象を与えるワインは大変珍しい。ステファン・キングのサインエンスフィクションの小説・映画を思い出す。時間が止まると全ては無味無臭になる強引な設定の味なのである。しかしこのワインの最後には黒砂糖のような味が残る。味としては、若い蒸した藁といった傾向だろうか。大変微妙な味覚で、全神経を集中しなければ解析出来ない。
可能な限り客観的に評価しようとしたが疲れたので、主観的評価へと移る。簡単に女性像として捉えると、2003年は非常にグラマラスで少しコケットな要素があって、男なら誰でも鼻の下を伸ばして仕舞うようなワインであった。若いのに拘らず、化粧も完璧で、付き合って見なければ本来の育ちの良さは判らないような雰囲気があった。そして今回の2001年は、決して若くはないのだが、薄化粧で何となく良い香りがするのだ。その育ちの良さが、アピールを控えめにしている。外見は、女性らしい上半身よりも、重心が低いのが気になるが、無駄な肉は付いていない。
2002年ものは試したことは無いが、幾分メリハリが利いているという噂だ。何れにせよこの地所のワインは、深窓の令嬢で目鼻立ちも整っていて、大人しさが特徴である。それでいてこちらは何時の間にか酔わされている。
こうして読み返すと、どうも夏風邪ならず春風邪をひいた様だ。充分に判定が出来ていない。二本目は保存用にと考えていたが、体調万全にして再度試飲してみるべきだろうか。深窓の令嬢とつきあうには、こちらもそれなりの我慢をして、良さを引き出すまで通い続けなければいけない。