(承前)シュテファン・ゲオルゲ一派のシェーンベルク一派への影響をさらに考える。後者の中にいて、首班を父親の権威の如く仰ぎ影響を受けていたのは、ミニュチュアリズムの作曲家トニーことアントン・ヴェーベルン博士である。
当然のことながら、無調音楽へと進む作品番号で二番から四番を、またそれ以外の作品カタログから除外された曲を含めて都合全15曲ほどの作品を、ゲオルゲの詩作を用いて完成させている。
そこでは、素材を徹底的に活かすことから、作品三との創作時期が前後すると言われる作品二の四声混声合唱曲ではカノンによる対位法によって調性の束縛から遠ざかる方法を取りながら、最後の作品四ではその厳格なシンタックスの詩作に既に明らかに点描的に色付けをしており、その内容と共に改めて注目すべき点が存在する。
なぜならば、一つにはそのシンタックスを、素材と幾分距離を置いた師匠とは異なる方法で扱っていることであり、もう一つは作曲家の世界観が詩人のそれとは相容れないとする一般的な指摘*が流布しているからである。
そして、この創作の次ぎの過程に訪れる有名な作品五からの荒唐無稽と思われた芸術は、ここにその萌芽を見て取るのが最も都合が良い。それゆえに、その後の約四半世紀の時の経過にもその作曲家の美学を読み取ることが出来る。
ナチ・レジームとなった時である。祖国オーストリアが合弁されて、自らの作品は退廃音楽の烙印を押されるようになった後も、ゲオルゲ一派とナチとの親密な関係を知り、自らの不名誉の撤回を期待していた作曲家は、1941年のクリスマス状に、パールハーバーの大日本帝国参戦の報を受けて次のように語っている。
「私には、それがどう係わるかはなんとも言えません。一体、誰がこの民族から生じるものについて知りつくしているのですか!この考えは、充分に信憑性があるものですと言わなければいけません。私が想像するに、大和民族は、全く健康な種族のようです!徹底的に!新しいものが、湧き起こるのではないですか?無垢で、太古の土壌から! ― 私はそのように思うばかりです。それ以外に言い様がありません。それで、私はなんと幸福なのでしょう!!!...もう少しで、再び活発化するのです。― 私が年中、強く心に感じている自然の大きな変動なのです。なんと素晴らしいことでしょう!」
当時あまり読まれていなかったヒットラーの著書「我が闘争」を下線を引くほどに熟読しながらも、元々社会民主党の親派でもあり1934年の労働闘争に拍車をかけた演奏会「闘争への歌」を指揮してナチに「ボルシェヴィツキの作曲家」と糾弾される。それでも1940年にこの作曲家は、「内面の浄化において発展を示す幾つかをあげることが出来るのです。それは、ドイツであり、他でもない国家社会主義なのです!!!二十年前に出来た国は、いまだ嘗てない新しい国となっているのです。新しいものです。...一期一会の、この自然に端を発するものを認めましょう。」と、自然災害のような独裁体制の革命的急変に憂慮しながら、世界を力によって平和に導く第三帝国に大きな希望を抱いている。
あれまでに、厳格なドイツ伝統音楽の継承者に、一般には*そのあまりに素朴な思想が指摘されるが、実際には当時の文化人にとっての共通項をも見る事ができる筈である。少年リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの首を強く握ったゲオルゲの手の感触を思い浮かべながらその文学の影響力と愛着を先日もインタヴューで語っている。同じように戦後ビンゲンの隣町で化学会社ベーリンガーに務めていた、後に連邦大統領となる会社員が案内したエルンスト・ユンガーの印象とそれへの評価とは、しかし大きく異なる、ゲオルグ派の世界観を読んでいくのは、今日から見る戦前レジームつまりヴァイマール憲章下のドイツ共和国を備に見ていくことでもある。
シュテファン・ゲオルゲが残したもの、その一派を教育したもの、マックス・ヴェーバーからアドルノが放棄していた秘密、それをこれからこうして見ていくのである。
*昭和54年度文化庁芸術祭参加受賞作品「ヴェーベルン全集」録音制作の資料を見ると、特に該当の日本版においては誤りなどが幾つか散見した。その日本語版の執筆陣がただの誤訳資料を参考にした誤りと言うよりも、衒学的な知識や認識からのステレオタイプの思い込みがその誤りの背景にあるようで大変具合悪い。「ナチに対する賞賛」が先入観念**から「ナチ否定の文章」として訳されるのはご愛嬌である。しかし、それは今ここで扱おうとしている議論や考察に初めから参加出来ないようにする構造主義的な知識や思想の固定化であり、ゲオルゲを「冒涜の思想」で括れる大胆な単純化や均一化は、「ニヒリズム」を「無常観」と容易に置き換える文化土壌ならではでもあり、「無神論」を「素朴な宗教観」に対比させるその素朴な民族文化は、上の作曲家が絶賛した「無垢な民族」の特徴なのでもあろう。そうした土壌に、知的な議論も本当のジャーナリズムも生まれないに違いない。
**後には、第三帝国を批判していたのは良く知られている。ヒットラー暗殺計画未遂の粛清の影響はどうか?
参照:
"Webern" von Hanspeter Krellmann
"Opus 1945" von Stefan Amzoll(Freitag37)
"Das Geheimnis des Stefan George" von Frank Schirrmacher(FAZ)
当然のことながら、無調音楽へと進む作品番号で二番から四番を、またそれ以外の作品カタログから除外された曲を含めて都合全15曲ほどの作品を、ゲオルゲの詩作を用いて完成させている。
そこでは、素材を徹底的に活かすことから、作品三との創作時期が前後すると言われる作品二の四声混声合唱曲ではカノンによる対位法によって調性の束縛から遠ざかる方法を取りながら、最後の作品四ではその厳格なシンタックスの詩作に既に明らかに点描的に色付けをしており、その内容と共に改めて注目すべき点が存在する。
なぜならば、一つにはそのシンタックスを、素材と幾分距離を置いた師匠とは異なる方法で扱っていることであり、もう一つは作曲家の世界観が詩人のそれとは相容れないとする一般的な指摘*が流布しているからである。
そして、この創作の次ぎの過程に訪れる有名な作品五からの荒唐無稽と思われた芸術は、ここにその萌芽を見て取るのが最も都合が良い。それゆえに、その後の約四半世紀の時の経過にもその作曲家の美学を読み取ることが出来る。
ナチ・レジームとなった時である。祖国オーストリアが合弁されて、自らの作品は退廃音楽の烙印を押されるようになった後も、ゲオルゲ一派とナチとの親密な関係を知り、自らの不名誉の撤回を期待していた作曲家は、1941年のクリスマス状に、パールハーバーの大日本帝国参戦の報を受けて次のように語っている。
「私には、それがどう係わるかはなんとも言えません。一体、誰がこの民族から生じるものについて知りつくしているのですか!この考えは、充分に信憑性があるものですと言わなければいけません。私が想像するに、大和民族は、全く健康な種族のようです!徹底的に!新しいものが、湧き起こるのではないですか?無垢で、太古の土壌から! ― 私はそのように思うばかりです。それ以外に言い様がありません。それで、私はなんと幸福なのでしょう!!!...もう少しで、再び活発化するのです。― 私が年中、強く心に感じている自然の大きな変動なのです。なんと素晴らしいことでしょう!」
当時あまり読まれていなかったヒットラーの著書「我が闘争」を下線を引くほどに熟読しながらも、元々社会民主党の親派でもあり1934年の労働闘争に拍車をかけた演奏会「闘争への歌」を指揮してナチに「ボルシェヴィツキの作曲家」と糾弾される。それでも1940年にこの作曲家は、「内面の浄化において発展を示す幾つかをあげることが出来るのです。それは、ドイツであり、他でもない国家社会主義なのです!!!二十年前に出来た国は、いまだ嘗てない新しい国となっているのです。新しいものです。...一期一会の、この自然に端を発するものを認めましょう。」と、自然災害のような独裁体制の革命的急変に憂慮しながら、世界を力によって平和に導く第三帝国に大きな希望を抱いている。
あれまでに、厳格なドイツ伝統音楽の継承者に、一般には*そのあまりに素朴な思想が指摘されるが、実際には当時の文化人にとっての共通項をも見る事ができる筈である。少年リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの首を強く握ったゲオルゲの手の感触を思い浮かべながらその文学の影響力と愛着を先日もインタヴューで語っている。同じように戦後ビンゲンの隣町で化学会社ベーリンガーに務めていた、後に連邦大統領となる会社員が案内したエルンスト・ユンガーの印象とそれへの評価とは、しかし大きく異なる、ゲオルグ派の世界観を読んでいくのは、今日から見る戦前レジームつまりヴァイマール憲章下のドイツ共和国を備に見ていくことでもある。
シュテファン・ゲオルゲが残したもの、その一派を教育したもの、マックス・ヴェーバーからアドルノが放棄していた秘密、それをこれからこうして見ていくのである。
*昭和54年度文化庁芸術祭参加受賞作品「ヴェーベルン全集」録音制作の資料を見ると、特に該当の日本版においては誤りなどが幾つか散見した。その日本語版の執筆陣がただの誤訳資料を参考にした誤りと言うよりも、衒学的な知識や認識からのステレオタイプの思い込みがその誤りの背景にあるようで大変具合悪い。「ナチに対する賞賛」が先入観念**から「ナチ否定の文章」として訳されるのはご愛嬌である。しかし、それは今ここで扱おうとしている議論や考察に初めから参加出来ないようにする構造主義的な知識や思想の固定化であり、ゲオルゲを「冒涜の思想」で括れる大胆な単純化や均一化は、「ニヒリズム」を「無常観」と容易に置き換える文化土壌ならではでもあり、「無神論」を「素朴な宗教観」に対比させるその素朴な民族文化は、上の作曲家が絶賛した「無垢な民族」の特徴なのでもあろう。そうした土壌に、知的な議論も本当のジャーナリズムも生まれないに違いない。
**後には、第三帝国を批判していたのは良く知られている。ヒットラー暗殺計画未遂の粛清の影響はどうか?
参照:
"Webern" von Hanspeter Krellmann
"Opus 1945" von Stefan Amzoll(Freitag37)
"Das Geheimnis des Stefan George" von Frank Schirrmacher(FAZ)