Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ハイデルベアーの味覚

2007-08-05 | 
本日は久しぶりに夏らしい。三十度に至らず、ぽかぽかとしている。爽やかで気持ちが良いとは言えないが、真っ青な空に日差しが強い。夜は冷えるかもしれない。

こうした日には、野菜や果物が美味い。本日は甘いスイカが出ていた。ネクタリンやプラム類に、またミラベルを楽しむ。先日食したハイデルベーアは、それで出来た同じような形の乾燥菓子の強く印象に残る味を思い起させる。

昨晩は、本のネット注文のついでに、廉価CDを探して夜なべした。今日は目が焼けてはれぼったい。結局、本は求めたものとは異なり不要なことが分かったが、既にネットの買物箱の中には沢山のCDが放り込まれているので、異なる手ごろな本を探して注文することになる。本の注文で無料になる多少ばかりの送料をケチりたいからである。こうしてまた積読の書籍が増えるのである。なにせ、一枚は新しい録音ながら二ユーロしないので、払う必要が生じる送料よりも廉いのである。

文庫本一冊に五枚のCDで、殆ど44ユーロとなってしまった。廉価版を選んだ心算ではなかったのだが、必要なCDをお買い得のうちに確保しておこうとした買物であった。

文庫本の方はアドルノの著作であるので、直ぐに手がつけられるかどうか判らない。しかし、CDの方はハイドンの交響曲やピアノソロなので、暑い日々にも邪魔にならないで、鳴らせるのが嬉しい。同じような感興を持って嘗て購入したマンハイム楽派のLPなどは手元にあるが、演奏は素晴らしいもののどうしてもその音楽芸術の限界が見えてくると、鳴らすのもその物足りなさから鬱陶しくなってくるのである。

そうなるとアドルノではないが、どうしても楽聖ベートーヴェンの哲学的美学やその正統的な演奏様式が気になり出してきて困る。そのような構造主義的な美学観は今日的ではないと言う批判が一方にはあるからだ。しかし、ただただ爽やかだから良い訳でもないのである。鬱陶しいのとは、紙一重であるからだ。
コメント
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