ドイツ象徴主義詩人シュテファン・ゲオルゲは、1907年に「七つ目の指輪」と題する詩集を認めている。その一つ、「別世界に移る」では、他の惑星からの大気を吸いながら、暗闇に囲まれて、いつもの道や木が見えず、地面は白く柔らかい乳漿のようで、荒れ狂う嵐に襲われてと書いている。そして渦巻く音の中に自己を解放している。
どこかで聞いたような話である。葡萄の畑の中を歩いているのか?この詩と「リタナイ」と題された同じ詩集からの詩を並べると、同じ年に作曲されたアーノルド・シェーンベルクの作品番号10の嬰へ短調の第二番弦楽四重曲のそれぞれ四楽章と三楽章となる。リフレイン毎に変奏曲とした三楽章と、まさに別世界へと調性の世界から離れるその終楽章で、この詩が忠実に音化されている。
シュテファン・ゲオルゲの初の伝記が出版を前に新聞連載される。パリのマラルメを訪れ、影響され、ホフマンスタールによってヴィーンへと伝播した所謂ゲオルゲ派を形成する詩人の全容が始めて明かされようとしている。そのようなことで、ゲオルゲがビンゲンの人間であるとはじめて認識した。
ビンゲンのワイン商の倅として生まれ、ダルムシュタットで教育を受けている。パリをはじめ住所不定でところ定まらずであったとするのが一般的な認識であったようだが、実はビンゲンの生家には必ず帰って来ていたようである。更に、第一次世界大戦で両親を亡くしたことから、戦後15年間フランスにライン左岸が占領されて、その所帯が変わってからもタウナスのケーニクシュタインから、生まれ故郷に近い家族の想い出の地ヴィースバーデンのクーアハウスへと、しばしば舞い戻って来ていたと言う。
そしてその第一回目の連載にトーマス・カーラウフは、― ゲオルゲは、ラインの風景を好んで、訪問者たちと決まってワイン山の中腹へと長めの散歩を楽しんだが、その自然はやはりこの詩人には異質なものであって、牧歌的と言うものが欠けているとして、「風景は経験の背景にしかなかった」 ― と挙げる。
この詩人とその一派が大きな影響を与えたのは、ヴィーンのシェーンベルクらの一派だけでなく、ヴァイマール共和国でのドイツ主義であった。その思想は、国家社会主義の本来のドイツとドイツ文化の自覚であったように、多くのナチ党員を輩出したようである。宣伝相ゲッペレスに、ドイツ詩帝国協会の総裁に推挙されるなど、詩人はそれを固辞したようだが、思想的にナチの重要な核となっていたようである。
そうした一派の影響を特に強く受けたナチの要人に、ヒットラー暗殺計画の首謀者フォン・シュタウフェンべルク伯爵のみならずフォン・ヴァイツゼッカーなどが居り、またクラウス・マンが居ることから分かるように、保守主義から社会主義の間にその1928年のゲオルゲの著書「新帝国」はあるのだろう。
その神秘主義的な世界観の側面を鑑みると、最近議論となったサイエントロジーのトム・クルーズが新しい映画で、フォン・シュタウフェンブルク伯爵を演じることへの反響も、更にその背景をも実感できるのである。(続く)
参照:
"Das Geheimnis des Stefan George" von Frank Schirrmacher, FAZ vom 3.8.07
"Stefan George - Die Entdeckung des Charisma"(1) von Thomas Karlauf
シェーンベルク ゲオルゲの詩「架空庭園の書」による15の詩(ひろのマーラー独り言)
どこかで聞いたような話である。葡萄の畑の中を歩いているのか?この詩と「リタナイ」と題された同じ詩集からの詩を並べると、同じ年に作曲されたアーノルド・シェーンベルクの作品番号10の嬰へ短調の第二番弦楽四重曲のそれぞれ四楽章と三楽章となる。リフレイン毎に変奏曲とした三楽章と、まさに別世界へと調性の世界から離れるその終楽章で、この詩が忠実に音化されている。
シュテファン・ゲオルゲの初の伝記が出版を前に新聞連載される。パリのマラルメを訪れ、影響され、ホフマンスタールによってヴィーンへと伝播した所謂ゲオルゲ派を形成する詩人の全容が始めて明かされようとしている。そのようなことで、ゲオルゲがビンゲンの人間であるとはじめて認識した。
ビンゲンのワイン商の倅として生まれ、ダルムシュタットで教育を受けている。パリをはじめ住所不定でところ定まらずであったとするのが一般的な認識であったようだが、実はビンゲンの生家には必ず帰って来ていたようである。更に、第一次世界大戦で両親を亡くしたことから、戦後15年間フランスにライン左岸が占領されて、その所帯が変わってからもタウナスのケーニクシュタインから、生まれ故郷に近い家族の想い出の地ヴィースバーデンのクーアハウスへと、しばしば舞い戻って来ていたと言う。
そしてその第一回目の連載にトーマス・カーラウフは、― ゲオルゲは、ラインの風景を好んで、訪問者たちと決まってワイン山の中腹へと長めの散歩を楽しんだが、その自然はやはりこの詩人には異質なものであって、牧歌的と言うものが欠けているとして、「風景は経験の背景にしかなかった」 ― と挙げる。
この詩人とその一派が大きな影響を与えたのは、ヴィーンのシェーンベルクらの一派だけでなく、ヴァイマール共和国でのドイツ主義であった。その思想は、国家社会主義の本来のドイツとドイツ文化の自覚であったように、多くのナチ党員を輩出したようである。宣伝相ゲッペレスに、ドイツ詩帝国協会の総裁に推挙されるなど、詩人はそれを固辞したようだが、思想的にナチの重要な核となっていたようである。
そうした一派の影響を特に強く受けたナチの要人に、ヒットラー暗殺計画の首謀者フォン・シュタウフェンべルク伯爵のみならずフォン・ヴァイツゼッカーなどが居り、またクラウス・マンが居ることから分かるように、保守主義から社会主義の間にその1928年のゲオルゲの著書「新帝国」はあるのだろう。
その神秘主義的な世界観の側面を鑑みると、最近議論となったサイエントロジーのトム・クルーズが新しい映画で、フォン・シュタウフェンブルク伯爵を演じることへの反響も、更にその背景をも実感できるのである。(続く)
参照:
"Das Geheimnis des Stefan George" von Frank Schirrmacher, FAZ vom 3.8.07
"Stefan George - Die Entdeckung des Charisma"(1) von Thomas Karlauf
シェーンベルク ゲオルゲの詩「架空庭園の書」による15の詩(ひろのマーラー独り言)