Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

時を隔てた趣向の方向

2007-08-21 | 試飲百景
夏の終わりにソーヴィニオン・ブランを開けた。しかし、少し遅すぎたきらいがある。確かに、西洋酸塊の味は残っているが、土壌の味が前へと出てきて、清涼感は弱っている。瓶詰めから二月内が最も美味いときだったのだろう。

それで思い出したのは、五月の日本から来たお客さんとの試飲の風景である。何よりも、辛口リースリングにかける意気込みとその選択に興味があった。そして、何よりも気がついたのは、その酸味に対する評価で、量だけでなくその質までに触れる関心を示した事である。

「これはどうですか?」

「酸がよく効いてます」

「これは効いてますかね?」

「いい酸ですね」

こうした具合に、強い弱いの他に、酸の良し悪しについて評価が下された。そして、当方が最も関心を持っていたのは、日本食に対する相性とその環境での辛口リースリングワインの需要であった。

2006年産のリースリングの酸がヘタレ気味であることは、冬場の早い試飲からいくらか気がついていたが、夏になってその傾向は顕著に出てきて、確信を持った。

また試飲の機会以前に、ミネラル風味の苦味についての日本からの感想を頻繁に読み、、なぜなのか今ひとつ判らなかったのだが、いまリースリング種以外のワインを飲むことでなにかが掴めた。

どうしても瓶詰めから日が経ったリースリングワインの場合は、当初の新鮮さが薄れて、その搬送過程も手伝ってか、抜けた感じになることは何度か経験している。それが、どうしても酸への拘りとなり、ミネラル成分の突出で苦味として表れることが、ソーヴィニオン・ブランの落ちた酸味から感じられるものと、嘗て日本の友人の家で飲ませてもらった辛口リースリングの印象に似ていると感じた。

つまり、強い酸への希求は、新鮮な時点では自然なバランスを採っていればあまり起こらないのだろうが、どうしてもその変化を鑑みると必要な要素となるのかも知れない。また、その時点では、ミネラル成分は、瑞々しさを与える要素であって、苦味に通じる気配が少ない。

こうしたことから、必ずしも食生活や気候だけが趣向に影響を与えるとは限らないのではないかと考える。
コメント (2)
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