月曜日から肉屋が再開だ。学校の休みも年末で終わっている。しばらくお休みになるかもしれない峠攻めも厳しかった。降りてくるときに抜歯する歯がむずむずした。もう数日の事である。抜いて直ぐには難しいかもしれないが、一昨年並に体力が戻って欲しい。パン屋が再開するまでに好転の兆候が見られるだろうか?兎に角、足腰が冷えて厳しい。
シラー劇場での「影の無い女」を聴いた。とても素晴らしかった。アナウンスされていたように改修中のベルリンのウンターデンリンデン劇場よりも小さな劇場で上演されたために特別に密な演奏がなされたという事だった。
それにしても十八番にしているメータの指揮は見事で、昨年新制作されたヴィーンでのティーレマンとホーネックの協調のそれのやろうとしていたことは全て叶っていて更に本格的にシュトラウスの音楽に迫っている。
シュトラウスの孫弟子位のメータの指揮した「ドン・キホーテ」のベルリンでのエアーチェック録音を見つけた ― 先日録音したアンコールでのベルリンのプレヴィン指揮も二晩の録音ともカセットが手元にあった。チェロを確かユダヤ系のボルヴィッツキーが弾いている1983年6月13日の演奏だ。ヴィオラはレーザであった。録音していながら当時はその価値をあまり考えていなかった。
2017年の公演で初めて皇后を歌ったニュールンドは大成功したらしい。そこからヴィーンの新演出へとつながったのだろう。しかしそこで歌っているテオリンも上手いが、やはり小さな劇場が得しているのだろう。
メトからの「ばらの騎士」のマルシャリンを歌うニュールンドの言葉があわあわになって仕舞ってどうしようもない。とても重宝されている歌手のようだがあれではドイツオペラ超一流の舞台で歌うことはあまりないと思う。ミュンヘンにもメータ音楽監督時代にデビューしているが、また今年ゼンタを歌うようだが、あの歌唱では批判される。
そもそもラトルがベルリナーフィルハーモニカーに「ばらの騎士」を仕付けたとされるが、やはりメトの座付楽団とは違って、復活祭上演では上ずったような音楽にはなっていなかった。勿論当時にハルテロスの伯爵夫人もニュールンドとは違って自ら音楽を作れるだけの力があった。ラトルのような頂点を極めて、そこそこに経験がある指揮者が間違った音楽をやらかすことは今後もあり得るのではなかろうか。奥さんは良いにしてもシュルツもあの指揮で歌うのは嫌だろうなと思う。要するにラトルがどこでオペラを指揮してもバーデンバーデンでの様には上手く行かないという事だ。
新年になってトリュフのミニザウマーゲンを食するにあたって、ハウスヴァインのガンツホルン2016年を開けた。2014年にするか躊躇したが、よいと分かっているものよりも落ち着いてきたところで三本の一本を開けた。結果からするとまだ若過ぎた。酸が若干弱いのであまり大きな期待はできない。但しまだ開き切っていないのでもう少し寝かしておきたい。その根拠は下位のフォムブントザントシュタインが愉しめて六本飲み干してしまっているからだ。
ズビン・メータが入院を終えてロスで指揮を再開した。なんと杖もついてい無いようで、余程カンフル注射でもしたのだろうか。抗がん剤治療などは体調を悪くすると思うが、合間に足腰を鍛えるリハヴィリでもしたのだろうか。心配していたがこれで先暫くは予定通り活動するだろう。最寄りでの公演のティケットを押さえておかないといけない。
参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
シラー劇場での「影の無い女」を聴いた。とても素晴らしかった。アナウンスされていたように改修中のベルリンのウンターデンリンデン劇場よりも小さな劇場で上演されたために特別に密な演奏がなされたという事だった。
それにしても十八番にしているメータの指揮は見事で、昨年新制作されたヴィーンでのティーレマンとホーネックの協調のそれのやろうとしていたことは全て叶っていて更に本格的にシュトラウスの音楽に迫っている。
シュトラウスの孫弟子位のメータの指揮した「ドン・キホーテ」のベルリンでのエアーチェック録音を見つけた ― 先日録音したアンコールでのベルリンのプレヴィン指揮も二晩の録音ともカセットが手元にあった。チェロを確かユダヤ系のボルヴィッツキーが弾いている1983年6月13日の演奏だ。ヴィオラはレーザであった。録音していながら当時はその価値をあまり考えていなかった。
2017年の公演で初めて皇后を歌ったニュールンドは大成功したらしい。そこからヴィーンの新演出へとつながったのだろう。しかしそこで歌っているテオリンも上手いが、やはり小さな劇場が得しているのだろう。
メトからの「ばらの騎士」のマルシャリンを歌うニュールンドの言葉があわあわになって仕舞ってどうしようもない。とても重宝されている歌手のようだがあれではドイツオペラ超一流の舞台で歌うことはあまりないと思う。ミュンヘンにもメータ音楽監督時代にデビューしているが、また今年ゼンタを歌うようだが、あの歌唱では批判される。
そもそもラトルがベルリナーフィルハーモニカーに「ばらの騎士」を仕付けたとされるが、やはりメトの座付楽団とは違って、復活祭上演では上ずったような音楽にはなっていなかった。勿論当時にハルテロスの伯爵夫人もニュールンドとは違って自ら音楽を作れるだけの力があった。ラトルのような頂点を極めて、そこそこに経験がある指揮者が間違った音楽をやらかすことは今後もあり得るのではなかろうか。奥さんは良いにしてもシュルツもあの指揮で歌うのは嫌だろうなと思う。要するにラトルがどこでオペラを指揮してもバーデンバーデンでの様には上手く行かないという事だ。
新年になってトリュフのミニザウマーゲンを食するにあたって、ハウスヴァインのガンツホルン2016年を開けた。2014年にするか躊躇したが、よいと分かっているものよりも落ち着いてきたところで三本の一本を開けた。結果からするとまだ若過ぎた。酸が若干弱いのであまり大きな期待はできない。但しまだ開き切っていないのでもう少し寝かしておきたい。その根拠は下位のフォムブントザントシュタインが愉しめて六本飲み干してしまっているからだ。
ズビン・メータが入院を終えてロスで指揮を再開した。なんと杖もついてい無いようで、余程カンフル注射でもしたのだろうか。抗がん剤治療などは体調を悪くすると思うが、合間に足腰を鍛えるリハヴィリでもしたのだろうか。心配していたがこれで先暫くは予定通り活動するだろう。最寄りでの公演のティケットを押さえておかないといけない。
参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音