Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

私達のバッハを求めて

2020-01-24 | 文化一般
ヘルヴェッヘ指揮コレギウムヴォカールゲントの記念演奏会があった。創立五十周年だったようだが、同時にフランクフルトのバッハの会ではヘルヴェッヘ特集として三回の公演を企画している。1970年の創立だが、フランクフルトでは比較的後になってしか登場していないと思う。それは指揮者ヘルヴェッヘにおいても同様で、私の知る限りここから育ったとも言えるヘンゲルブロックの方が馴染み深い。それでもある時期を過ぎてからはヘルヴェッヘのバッハこそが我々のバッハになった。

その証拠にレクチャーに於いてバロックの専門家カービッツ氏の話しで改めて確認した。そのお話しは全く私が想像した通りの内容だった。つまりカンタータとは?から入った。まさしく今回のプログラムを見て私が考えて自分なりの考えとこのレクチャーで更に膨らめようとした命題だ。それ程プログラムのBWV198のカンタータ「侯妃よ、さらに一条の光を」との出合いは意識を変えるに充分だった。改めて調べると侯妃死去に際してライプチッヒの大学から依頼されたものだが、宗教的な文言は一切使われず宗教カンタータに分類されている。内容からしても異色なのだ。

だからライプチッヒで200曲のカンタータ―が様々な団体によって演奏されたと報告されて、その演奏団体の名前が挙げられる。スズキやガードナーなどの団体名であるが、これらを称して少し言い淀んでから、「よく知られた団体です」と定義した。そうなのである、我々のバッハとは違うのだ。ガードナー自身を再三招聘したが、また今回肝心の曲を予習に少し流したが、全くバッハになっていない。

勿論我々とは、カービッツ氏が語るように「皆さんのようにバッハに造詣が深い方々には断るまでも無いかもしれませんが、」と、恐らくその多くは沢山の曲を自身歌ったり、弾いたりそら案じていたりする人たちであろう。しかしである、カンタータ―のその意味は、イタリア語からの訳であるぐらい知っていて、本当の意味合いはこうして啓けて行く。

実際に会でも毎シーズンの受難曲オラトリウムの演奏は様々な団体で、マルコ受難曲まで演奏されている一方、カンタータを片っ端からという企画は記憶にない。精々単発である団体がカンタータの夕べを演奏するだけだった。だからバッハの会の会員でもこうした出合いがあるのだ。

そもそもバッハがそれ程魅力的でもないライプチッヒのトーマス教会のカントールの職に就いたのは、この毎週課されるカンタータの創作への義務とそれへの挑戦があったとされた。我々はそこで曲の使い回しとかそうした経済行為を通しての作曲法とかを考えてしまうが、それは本末転倒な考え方であって、自分に課した職業的な課題であったとなる。

その成果を当夜確かめて行ったのだが、残念ながら入りが悪い。要するに我々のバッハとは言いながらその我々が限られるらしい。バッハの音楽に関してある種のコアな層で、恐らく本場の中欧ドイツとはまた異なった宗教とは一線を隔したドイツ音楽におけるバッハの護り手な筈なのだが、ドイツェバンクの支援無しには活動が成立しない。バッハ音楽の普遍性を標榜しながらも全く容易ではないのである。そして一時からすると高齢者の比率が少なくなっていると感じるのでやはり亡くなってしまった会員も多いのだろう。同じ演奏者の受難曲の公演が会場全てを使ってギッシリと埋まっていたのは何時の日か?あれは幻だったのか?(続く



参照:
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
空き部屋を押さえておく 2019-10-29 | 暦

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