Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

素材になり易いもの

2020-01-14 | 雑感
アムランリサイタル前半のプログラムに眼を通した。中々手強い。昨年初めて聞いた時はリサイタルではなかったので数曲弾いただけだが、今回はずっしりと中味が詰まっている。何よりも休憩前のファインベルクの三番のソナタは興味が尽きない。作曲家自体もベートーヴェンの系譜にあって、あらにリストの流れを汲んでいるとされるが、先ずはこれでベートーヴェンイヤーの幕開けだ。それにしてもこの曲を立派に弾ける人はどれぐらいいるのだろう。その前のプロコフィエフのザッカーマンも面白いが、こちらはプロコフィエフの書法としてそれほど馴染みが無い訳ではない。しかし音資料を聴くと今日本訪問中で一部では人気のあるエリッソとかいう人などよりも遥かに上手に弾いている無名の人の録音もあって、如何にこの辺りの曲が「演奏解釈」の素材になり易いかというのがよく分かる。リスト然り、相違のばかりを聴かされていると冗談音楽にしか思えなくなる。そして一曲目のスクリャビンも名人アムランがどのように弾いて来るか、前回はシュパンを弾いたが、今回はどちらかというとリスト方向でメインレパートリーどころだ。三月には編曲集なので、放送で聴いたペトレンコとのマイトナー協奏曲など、大体このピアニストの全貌が分かることになるのではなかろうか。そして今回のこのファインベルクだけでも聴き逃せない。もう少し楽譜を見ておかないと駄目だ。

アムランへの期待はとても高くなってきた半面シカゴ交響楽団演奏会への期待は一向に膨らまない。精々ヒンデミットを綺麗に演奏するだけぐらいかなと思っているので、もう少し勉強しておきたい。ヴィーンでは新世界の代わりにプロコフエフの交響曲三番を後半に持ってきているので、少しは面白いかなと思うがムーティ指揮での期待は限られる。一曲目もオランダ人序曲とプロムナードコンサートの按配だ。そういうエンタメはムーティが得意とするところである。それでも楽譜にだけは目を通しておこう。

週末にはサンテミリオンのグランクリュを開けた。大きな開放的な白い砂岩の地下倉庫で寝かされていたワインである。1996年物なので期待したが、若干色落ちしていて、それでも開き方は充分ではなかった。そもそもメローとのミックスなのでメッドックの様には力強いワインとはならない。それでも長持ちと同時に早飲みも出来るという事で人気もあり価値もある。しかし、本当に長持ちするワインは限られるだろう。風光明媚なワイン所であり、またワインのロールスロイスと言われるポメロールもあり、果実風味豊かなワインが簡単に楽しめるので次の旅行の際もそこに滞在したいと思っている。

口の傷が癒えないうちにグランクリュのヴィンテージワインとは思ったが、健康の為になる事なら何でもしたい。コラーゲンたっぷりの煮豚もとって来た。生憎腎臓も頬も無かったので腹肉などが大きくなって価格の割には合わなくなったが、腹肉でもなんでも食して同時に豚骨ラーメンを摂ることにした。通常はジャガイモで栄養バランスが取れているのだが、怪我療養中である。頑張って栄養を摂ろう。ここでのブリッジ掛けが上手く行くかどうかは二十年先のQOLの大きな差になると思う。実際に歯が抜けているだけでもやはり消化の具合が大分違うように感じる。



参照;
ハイデルベルクの春へと 2019-12-10 | 生活
忘却とは忘れる事なり 2019-05-14 | 音


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