Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

壁を乗り越えて進もう

2020-01-03 | 文化一般
オペラ演出家ハリー・クッパーの訃報記事が休み明けに載っている。年末にベルリンで亡くなったようで放送等でもニュースになっていた。その演出目録を見ると舞台を生で経験したのはミュンヘンでの「マクベス夫人」だけのようだ。新聞評にあるようにベルリンのコーミシェオパーの仕事がオペラ劇場の音楽劇場化へと壁を越えて西側にも影響したとある。

そして、その演出自体は同時代のコンヴィチニー演出などとは異なって、観客に三省させる切っ掛けを作る演出とある。実際にミュンヘンでのそれは批評では必ずしも良くはなかったが、基本的にはより円熟しただけでその演出の基本姿勢は変わらなかった。但し書き忘れてはいけないのは、この演出家はあくまでも感覚の人であったと思う事である。

それ故にショスタコーヴィッチの二幕の結婚式シーンが最も印象に強く残った。舞台もなぜか工場のようなところなのだが、上の渡り梯子で踊る音楽師たちの背景には空が広がり、三幕では雲勝ちになるその天への視線は理屈ではなく、演出家が活きたソ連の空を思い浮かべさせた。本人は78年には西側へと旅行が許されていたようだが、まさに大地を行けばその下にはどこかで壁にぶつかるような井戸の中の蛙感を覚える。

つまり新聞評にもあるように、彼の演出では今日の窓からその歴史の時を覗き込もうとはしない。その時のその風景をそのまま描くとしてもそれほど間違いではなかろうか。

先月中旬にショスタコーヴィッチの11番交響曲を聴いて、チャイコフスキーとの関連にも留意するようになって、この最も先鋭へと進んでいた時代の作風にも、まさしくその越えて行く彼方への視線が感じられる。

この年末年始の音楽中継は、毎年同じ様乍そのプログラムからE-とU-Musikつまり芸術音楽と娯楽音楽の境界線を見極める契機となった。それをクルト・ヴァイルの言葉を引用してバーンスタインは、「音楽には良い音楽と悪い音楽の二種類しか無い」と、裏側から語ったに過ぎない。特にキリル・ペトレンコ指揮のプログラミングとその演奏がその確かな視点を与えてくれたのだが、ライプチッヒでの第九に始まりドレスデンでの「微笑みの国」そしてヴィーンでのノイヤースコンツェルトへとその視線が注がれることになった。

先ずはMeToo指揮者ガッティの第九があまりにも酷かった。滑稽なアーティキュレーションとそれに輪を掛けたリズム上の癖が稀なるベートーヴェンとしていた。最後の行進曲まであまりにも品が無かった。アムステルダムのコンセルトヘボーはヤンソンス時代で壊れた弦合奏をシャイー時のようにもどそうとしてのトレーナー委嘱だったのかもしれないが、名門ゲヴァントハウス管弦楽団がこの指揮者を使う理由が全く理解できなかった。

なるほどミュンヘンのフィデリオでの話しや音を聴き、今回も一楽章でのサウンドへの拘りが、四楽章でのイタリア風レティタティーヴへの拘りと、これまた感覚的な判断で指揮をしていることがよく分かる。そのような指揮者に第九を任せた意味は全く以って不明だった。歌手陣も引退のゲルネを除いて降りてしまったので代わりの程度も低かった。

この指揮者の全く知恵の無い様な古臭いプログラミングを見ていたので、MeToo事件前から全く興味が無く予定されていた復活祭の「オテロ」も一切買っていなかった。やはり、そのプログラミング感覚で指揮者の音楽性などは分かるものなのである。

ゼムパーオパーのティーレマンの指揮には捧腹絶倒だ。話題のクレンティスの真似をして指揮台から降りて、指揮台に足を掛けて指揮していたが、そもそも序曲でのあの重々しさとマニエーレンでその不器用さ以上に無粋な頭の悪さが明らかになった。一体レハールの音楽で思わせたっぷりのお涙頂戴の音楽をやるものだから、アンドレ・リューの指揮と変わらなくなってしまっている。これほど単刀直入なレハールの音楽で何かをやろうとするのは典型的に二流の小屋の仕事ぶりである。ベルリンのコーミッシェオパーでのコンヴィチニー演出でのペトレンコ指揮のヴィデオでの音楽と比べると何が安物の音楽で何が上等の音楽かの違いが誰にでも実感できるだろう。



参照:
電光石火の笑いの意味 2016-12-13 | 女
ミュージカル指揮の意味 2019-01-27 | マスメディア批評
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