Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2020年1月

2020-01-31 | Weblog-Index


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野趣味溢れる趣味の良さ

2020-01-31 | 
承前)キリル・ペトレンコにあってサイモン・ラトルに無かったものと、フルートのパユが中欧的な音楽性と定義した。これはなにも裁定したりするものでなくて、特に独墺音楽の演奏やその評価に於いてとても重要な要素であることを意外に忘れている。それはなにも音楽におかしなアクセントがあるとかないだけではない空気感のようようなものである。言葉を変えると生活感覚から生じてくる趣味とでもいえよう。古典の芸術に接するときにでもとても重要な要素で、パユのような中欧の音楽家がそれに言及することが珍しいのは自らがあまり気が付いていないことがあるからだろうか?そうした気風的な土壌の上に趣味の良さ悪さが問われる。

先のバッハのカンタータ演奏などにおいては最もその趣味の良さが問われるところであり、同じバッハのチェロソナタを超絶技巧で演奏してもマイスキーなどはとても趣味が悪いと思うのが普通である。その意味から英国人ガードナーのバッハはドイツでは限定的な支持しかなく、技術的に精査されたドグマ的なスズキのバッハと比べてもそれ程人気はないであろう。その趣味や趣向こそが感覚的に評価されるということで、中々分析的に吟味するのが難しいところである。

その意味で今回準備にも音源を使ったのだが、シュトッツガルトのバッハカントールのリリング指揮の録音はやはりよかった。奇しくもレクチャーでも流されたのも当然なのである。現在の批判的な演奏形態ではないのだがその音楽には違和感が無い。ヘンゲルブロック指揮のバッハよりは矢張りいいと思った。LPで何枚かは集めたので改めてその録音を聴いてみたいと思っている。

同様に趣味というかトレンドとしての楽音の響きもある。今回の四回音楽シリーズでハッキリ浮かび上がったのは、既に述べたようにピアノのアムランやワンに通じるバスの響かせ方などで、二十世紀後半に流行ったようにマスの響きが会場を包んで聴衆を驚かすというものでは全くなくなった。ピアノでもポリーニの「ペトローシュカ」演奏などもピアノの響きが割れんばかりの音を叩いていたが、アムランのようにアクション中のキーの数に応じた音量とかまさにデジタルな段階はなかった。その点ではワンも弱音を用いながらもその合理的な響きを追及しているという事ではトレンドのピアノであって、同じようにヴィルトーズとか言われるような音響とは異質である。

まさにムーティ指揮のシカゴ交響楽団が鳴らないとは言っても「オランダ人」で聴かせたように弦のクラウドの上に管が乗るといった形でとても現代的でクールであった。更にそこに強い弦の積極的な表現力を加えれば先頃中継されたベルリンからのマーラーの六番のような響きになる。それと同時に嘗てのチェコの楽団が響かしていたような東欧の音階的な響きやレントラーの面白さが展開するというまさしく中欧的な野趣に満ち溢れていた。

共通しているのはデジタルに一拍一符も疎かにしない点描的な和声の音化であって、嘗ての様にまるで通奏低音のような大管弦楽団のバスの響きというのは完全に払拭されている。勿論しっかりしたバスがあるからこそそこに倍音成分の重ね合せて大きな音が鳴る訳だが、よりシャープな鳴りが要求されていて、その和音の重なり合いこそが希求される。

それはかつてマーラーが自作を指揮した節に修正に修正を重ねていた点であって、弟子たちには何よりもその響きの明晰さの為に修正をも辞さない様にと指示したという。なるほどその曲に陶酔した新ヴィーン学派の面々はその楽譜からそれを読み込んでいたからこそ彼らの作風に大きな影響を与えたとされるのである。

一月のその僅か一週間の間の演奏会はとても勉強になった。自信を以て言えるのは新しいモダーンな会場の音響の明白さは其の侭演奏における明晰な演奏へと連なっている。最早逆行するような余地はない。そこまで敏感な和声的な感覚の無い音楽家は最早受け入れられなくなってきているであろう。時間の問題である。(終わり)



参照:
ピアニストに女王はいるか 2020-01-20 | 文化一般
浮かび上がる動機 2020-01-19 | 音
感興豊かな躍動性 2020-01-18 | 音
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