土曜日の夜から幾つかの中継を観聴きした。先ずはベルリンのフィルハーモニーからのDCH生中継だ。キリル・ペトレンコ指揮ではメーデーのオイロ―パコンツェルトから三回放送されて、二回目である。三回目はモーツァルトとドヴォルザークのセレナードとなる。グランパルティータと弦楽セレナードだろうか。
前半から後半への間にキリル・ペトレンコのインタヴューが流された。冒頭から、ヴィースバーデンモデルのことで動いているのだろう、観客をそれほどでなくても入れたいと話した。フィードバックが期待されると、まさしくヴィースバーデンでの百五十人未満の拍手とされるものを知らされると確信した筈だ。そして最後に秋には大きな編成で演奏したいと抱負も語った。
何事も一つ一つ実績を踏まえていくことは意味があって、それを碑にして先へと進んでいける。ベルリンのこの計画は、メーデーの時に突然で驚かされてよく分からなかったが、最初から一回限りのプロジェクトでは無かったのも窺える。結局今回後半の「浄夜」も弦の最低の増強に留まった。
もう一つ興味を引いたのはペトレンコがパユの事をエマニュエルと呼んでいたことで、このフルートの名人がペトレンコ体制作りへの木管の要にもなっていたことはよく分かっていたが、今回はマラルメの詩に関しても意見を交換したということである。
日曜日の午前中に再放送されたデュカの歴史的名演奏もあるがフランス音楽をペトレンコ体制でどのように扱っていくかなどの点も興味深い。まさしく先日フォンカラヤンの指揮としてフランス音楽の扱い方の例としてその録画をペトレンコ自身が紹介したその背景はここにあった。
管楽器ではクラリネットのバーダーがヒンデミットでもよく吹いていて、アバド指揮の制作CDは所持しているが、この生中継でよくやっていると思った。矢張りそれは2018年のルツェルン音楽祭での実況中継録画の映像作品を観れば、ライヴ中継でよくもここまでのものが制作されたなと思わない訳にはいかない。
こうした大編成の成果を観て、また最後の2月の国内ツアーの交響的舞踊の演奏を思い出すときに、やはりどうしてもそうしたものが再開できないといけないと思い、まさしく秋には何が可能になるだろうかということになる。現実的な問題として間隔の規定がある限り容易ではない。
しかし一方でテューリンゲン州では6月6日からマスクの義務と接触の禁止を解こうとしている。夏場になるとマスクは公共交通機関のみならず店内などでも不健康なものとなりかねない。マスクの効果が限定的なものである限り義務化を廃止する方向は合理的だ。しかし接触と距離を考えた場合に、中々そこに楔を入れるものが無い。接触を禁止しながらなんとか距離を縮められないだろうかと思うのは舞台の上を考えるからでしかない。
参照:
ヴィースバーデンモデル 2020-05-22 | 文化一般
モニターの前の評論家 2020-05-04 | 文化一般
前半から後半への間にキリル・ペトレンコのインタヴューが流された。冒頭から、ヴィースバーデンモデルのことで動いているのだろう、観客をそれほどでなくても入れたいと話した。フィードバックが期待されると、まさしくヴィースバーデンでの百五十人未満の拍手とされるものを知らされると確信した筈だ。そして最後に秋には大きな編成で演奏したいと抱負も語った。
何事も一つ一つ実績を踏まえていくことは意味があって、それを碑にして先へと進んでいける。ベルリンのこの計画は、メーデーの時に突然で驚かされてよく分からなかったが、最初から一回限りのプロジェクトでは無かったのも窺える。結局今回後半の「浄夜」も弦の最低の増強に留まった。
もう一つ興味を引いたのはペトレンコがパユの事をエマニュエルと呼んでいたことで、このフルートの名人がペトレンコ体制作りへの木管の要にもなっていたことはよく分かっていたが、今回はマラルメの詩に関しても意見を交換したということである。
日曜日の午前中に再放送されたデュカの歴史的名演奏もあるがフランス音楽をペトレンコ体制でどのように扱っていくかなどの点も興味深い。まさしく先日フォンカラヤンの指揮としてフランス音楽の扱い方の例としてその録画をペトレンコ自身が紹介したその背景はここにあった。
管楽器ではクラリネットのバーダーがヒンデミットでもよく吹いていて、アバド指揮の制作CDは所持しているが、この生中継でよくやっていると思った。矢張りそれは2018年のルツェルン音楽祭での実況中継録画の映像作品を観れば、ライヴ中継でよくもここまでのものが制作されたなと思わない訳にはいかない。
こうした大編成の成果を観て、また最後の2月の国内ツアーの交響的舞踊の演奏を思い出すときに、やはりどうしてもそうしたものが再開できないといけないと思い、まさしく秋には何が可能になるだろうかということになる。現実的な問題として間隔の規定がある限り容易ではない。
しかし一方でテューリンゲン州では6月6日からマスクの義務と接触の禁止を解こうとしている。夏場になるとマスクは公共交通機関のみならず店内などでも不健康なものとなりかねない。マスクの効果が限定的なものである限り義務化を廃止する方向は合理的だ。しかし接触と距離を考えた場合に、中々そこに楔を入れるものが無い。接触を禁止しながらなんとか距離を縮められないだろうかと思うのは舞台の上を考えるからでしかない。
参照:
ヴィースバーデンモデル 2020-05-22 | 文化一般
モニターの前の評論家 2020-05-04 | 文化一般