Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

延期になったバイロイトの声

2020-05-19 | 
アンコールは、バイロイトで夏に演奏される予定だったそのものを披露した。どうして歌手のギュンター・グロイスボェックがそのピアニストを選んだが分からなかった。個人的な付き合いなのかどうかとか思っていたが、決して舞台で近づくこともなかった。しかし最後のそこで分かった。

グロイスボェックはこの夏新制作「指輪」でのヴォ―タンで話題の中心となる筈だった。その時の付帯プログラムでそのピアニストとこの「惜別の歌」を披露する予定だったらしい。周りでそのように呟いている人もおり、本人もバイロイトの彼女とのプロジェクトだったと紹介していた。

ピアノ編曲はリストのものか誰のものかは分からなかったが、その為にこのピアニストと会を開いたようなもので、レコーディングで聴かれるようなフーバーの伴奏とは大きな差が出るのは致し方が無い。特にシューベルトの歌曲ではそれなりの流儀があるだけでなく、リズム的な精査でも大分損をしていた。まあ、ヴィースバーデンのヴァークナー協会の連中ぐらいはシューベルトの良さなどはどうでもよいのだろう。到底150人に満たないと思われないほどのブラヴォーが飛んでいた。

という訳で天井桟敷の人々はそういう地元の劇場常連さんが顔を揃えていたようで、ヴァークナー協会ヴィースバーデン支部と化していた。確かに予想外で挟まれていたレーヴェの三曲も全然悪くはなかった。つまりHPにあったプログラムに支配人のラウフェンベルクに朗読をさせて、19時半から22時前まで、満席にならないでもそれ以上の公演内容にしていた。休憩を一度挟んでいたが、全く長さを感じさせない公演内容で充実していた。

但し、このバス歌手をリート歌手としてしまうとやはり歌詞の明瞭性やその芸風としてはまだ物足りない。バイロイトのプログラムに言及していた隣の老夫婦が「まだ若いからね」というのを耳にすると、まあ必ずしも見当違いの講評でもないとも言える。

出かける前にバスバリトンのクヴァストッフの録音も幾つか聴いたが、この人も音楽づくりという事では楽譜を拾う以上の歌は歌えていない。あそこまで集中してレパートリーを積み上げている人だからもう少し歌えるのかと思っていた。やはり早めに引退してしまうのはなにも体調の問題だけではなかったろう。その意味からすれば「若いから」というのも事実で同時にオペラ歌手のリートであることは間違いない。

なるほどそうなるとマティアス・ゲルネの歌唱を考えるが、こちらはオペラ歌手として成功しておらず、そのオペラティックな表現でも声が出ない分をピアノで表現を作るような努力をしている。しかしそれが全てでダイナミックスで歌詞に語らせる力が無い。その点では深々とした声があることで全ては容易に働く。

やはり一流のオペラ歌手はレティタティーヴの扱い方やそのオペラティックな表現が巧い。「ヴォ―タンの惜別」だが、これは今年歌っていたならばあのヴォルフガンク・コッホのベルカントの軽く明るい声との好対照で、低く重めに響く。ヴォ―タンというとどうしてもテオ・アダムを思い出してしまうのだが、後年の歌は酷いものであり、グロイスボェックのような声は全くなかった。なるほど、終幕のフィナーレでどれほどの声が出せるかはまた異なるかもしれないが、いい指揮者と組めば大いに期待される歌唱である。生憎、後奏の所で喉からゴホゴホと出てしまった。ハンカチで抑え込んでいたが中々抑えきれなかった。

会の最初にラウフェンブルク支配人が舞台に出て来て、マスクを取って貰っても構いませんとなった。そして帰るときはまた来たときと逆にやって貰うようにと、シラーの「希望」の朗読前に挨拶があった。(続く



参照:
中々売れない高額席 2020-05-17 | 文化一般
シューベルトでの歌唱力 2020-05-18 | 雑感
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