Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

シューベルトでの歌唱力

2020-05-18 | 雑感
ヴィースバーデンでの公立劇場再開公演の券が売れない。数えてみると212席中146席しか売れていない。月曜日の当日券で出ても30席ぐらいだろう。ざっと計算して券の売り上げが5000ユーロ弱、本来ならば6000ユーロで、歌手とピアニストで5000ユーロ弱を別けて、あとは経費にしたかった。

お勉強に幾つかの録音を耳にした。シューベルトでは最も多いのはフィッシャーディースカウの歌唱だ。流石にと思う反面、音楽的な流れでは流暢でないところもある。亜流とするゲルハーハーの方が優れている面である。その意味では初めてシューベルトで聴いたマティアス・ゲルネの歌唱は音色とかサウンドに凝り過ぎていて全く歌詞の力が及ばない。ダイナミックスをつけて如何にも歌詞の力のように見せる芸風を思い出した。要するにオペラ的でもあるのだが、オペラ歌手としてもそれほど成功しなかったからの折衷の道だったのだろう。始めて聴いて良かったと思うのはクリストフ・プレガルデンがピアノフォルテのシュタイアーと合わせたもので、流石に面白く細やかだ。結局オペラ歌手なのかリーダー歌手なのかというよりも、巧い人はどちらも上手い。

久しぶりのシューベルトの歌曲などを見ると、今までよりも様々な事が気になって来て、歌詞なども流して聴いているだけになってしまう。楽譜で直ぐに見当がつくこともあるのだが、どうしてこうなっているのかと思うことが出てくる。思い出すのは丁度1月のアルテオパーでのマルカンドレ・アムランの弾いたピアノソナタのそれだ。あの時に最初にコロナに感染したかもしれない時だった。

あとで何度も思い出すのだが、最前列の中華人が後半が始まる前に出て行くときに声を掛けて最前列に滑り込んだのだった。二人の若い男性で、衣裳は若干変わっていたが、フランクフルトの音大にでも通っている学生かと思った。なぜならば前半のファインベルクなどを聴いて、後半のシューベルトを捨てたからだ。それも別々な場所にいた二人である。勿論その時刻から列車でマインツなど近郊の街へ帰ったのかもしれないが、そこまでして後半を捨てた意味はよく分からなかった。しかし、あの時の最前列の男がコロナで不調だったとしたら辻褄が合うかもしれない。

もう一人の男性が後ろまで来て待っていて、後半が始まる前に一緒に帰って行った。その男性がどこに座っていたのかなどは分からないのだが、私が最前列の男が帰宅することが直ぐに分かったのだ。どうしてだろうか?後半が始まる直前というほどでもなく、最前列に滑り込んでからも横には誰もいなかった。そして私も帰るのかどうかを本人に確かめたぐらいだ。有り得るのは椅子の所に何かを置いていてそれを取りに来るときにもう一人が後ろで待っていたということだろう。すると本来は居る心算がもう一人の男性と話していて帰宅となったのだろう。体調不調もあれば、二人で誘い合わせて帰ろうとなったのかもしれない。一人の様子からすると旅行者では無く、ドイツ語も理解していたと思うのだが、当時はまだミュンヘンでのコロナ第一号も無かったので、旅行にも制限が掛かっておらず自由だったので、もう一人の男性が武漢から来ていたこともあり得る。そしてその男が居たまだ暖かい椅子に座って触りまくっていればオリジナル型でも感染した可能性があると思う。そして十日もしないうちに高熱を出したのだった。



参照:
中々売れない高額席 2020-05-17 | 文化一般
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦
野趣味溢れる趣味の良さ 2020-01-31 | 音
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