Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

殆ど出家ものの私

2021-02-01 | 
メータ師の指揮を堪能した。もう殆ど出家ものである。昼には2018年のヴィーンでのイスラエルフィルを振った録音が流れて、前半を聴いた。夕方には、金曜日からオンデマンドになっていたミュンヘンのフォルハーモニカ―を振った録画を流した。

オベロン序曲はクリスマスにペトレンコがローマで指揮した曲である。楽団も頑張っているが兎に角ふっくらとよく鳴る。

二曲目は、リサ・バティシュヴィリがベートーヴェンのニ長調協奏曲を弾いた。一昨日丁度一年前のサイモン・ラトル指揮のベルクの協奏曲を聴いたところなので、余計に期待は高まった。メータ指揮ではこのヴァイオリニストの良いところを引き出せると思ったからだ。案の定素晴らしい競演になっていて、地元のフィルハーモニカーが素晴らしい反応をしている。メータ師も霊感に満ちた指揮をしていて、ご満悦そうだった。

すると今度はそれを受けて更にいい響きを出して来るのがこの女性奏者で、そうなるとこの人がゾフィームターなどと一緒になって政府に賠償を請うた女性と同一だと思えなくなる。結構独創的で殆ど官能的なところもあるのだが、そこはメータ師の包容力が大きいだけでなくてとても上手に付ける。会場に恐らく座っているであろう奥様は「お父ちゃん格好いいよ」と胸の中で叫んでいるに違いない。

一楽章のカデンツァの響きは誰にも出せない。比較できる人を知らない。なるほど音楽自体はとても保守的な作りかも知れないが、中々ここまでの音楽をやれる人はそれ程いないと思う。こうして感応し合おうと、このフィルハーモニカーの方が放送交響楽団よりも芸術的にも上ではないかと思う。楽員も準備も出来ているようで、集中力もとても高い。なによりも楽員の世代交代が上手に出来ていて若々しい。

二楽章もとても良い。節度と流れがありながら歌い込みも充分で、同じように管弦楽団が対応して演奏している。三楽章とのバランスもヴァイオリニストの天性の感性もあるのだろうがとてもセンスがいい。合わせる指揮がヴィヴィッドに共感して対応できるのは、チャイコフスキーで上手く合わせていたバレンボイムなどよりも遥かに音楽に息吹があるからだ。可成りの名演が繰り広げられていて、このガルネリ、デルジェスはどうしてこんなに鳴るのだと思わんばかりで、圧倒的だ。 

二月を前に、やっと2019/2020年シーズンのプログラムを一纏めに出来た。片づける心の準備が整ったという事だ。2019年のルツェルンからの資料が積んであるので些か思いは色褪せるのだが、シーズン後半でコロナ禍に落ち込んでしまったから、そこから時間が止まって仕舞っていた。一つづつをアーカイヴへと仕舞い込む気持ちに漸くなった。

二月には春から夏への展望が徐々に開かれていくが、同じように中々上手く行かないかもしれない。しかし最早昨シーズンとの繋がりの中にはない新局面である。事情が大分異なる。どのような形になって受け身だけではないだろう。

疎ましく思っていた通知類にもやっと目を通した。ここで気になる事も出て来たからで、細かな情報を見落としていた12月中旬のバーデンバーデンの祝祭劇場の友の会からの手紙だった。勿論開封と同時にざっと目を通していたが、その仮会員としてどのような特典があるのかまでは興味が向かなかった。

しかしここに来て、復活祭でオペラ上演があったとしても非常に制限した人しか入場出来ないとなると、これは念の為に目を通しておかないといけないと思った。予定では「マゼッパ」三回で既に6000席ほどは売れていたから、どんなに入れても1500席でその四分の一である。パトロン等を初日に入れるとして、残り二回でも1000席しか出ない。友の会で捌けてしまう可能性があるからだ。流石に既に購入してあるように三回とも入れろとまでは欲張りしないが、一回だけでもとは思うからだ。

兎に角先を向いて歩こうと言うだけで、足元を固めて歩み出す準備をしておくに過ぎない。その為にも記憶の上でもアーカイヴ化が欠かせない精神活動となる。復活祭ではビュシュコフ指揮でリサ・バティシュヴィリのチャイコフスキーが演奏されることになっている。



参照:
イザ、バティアシュヴィリ 2020-01-27 | 女
自慢のエネルギー源 2021-01-31 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする