ミュンヘンの座付楽団がこんなに素晴らしい演奏をするとは思わなかった。ペトレンコ指揮では昨年も無観客演奏会があったが、このような出来ではなかった。なにが違うのかと思っていたら、休憩中にインタヴューが流れていて、指揮者も楽団も解決しなければいけないことが沢山あってと、やはりその慣れが違うのだと分かった。
今回も首席を前に出して、独伝統的配置では無くて通常の楽器配置で演奏させていた。少人数とは言い乍も数パーセントは音楽監督時代の顔ぶれと変わっていて、敢えてこの機会に経験を積みさせながらの引継ぎと伝統の継承を同時に行っているのだと分かる。同じミュンヘンの放送管弦楽団よりも州立座付楽団の方が新陳代謝が出来ているのは興味深い。
その話しに出ていた二楽章の素晴らしさは言葉に尽くせない。殆どハイドンのような楽想からそのユーモアから楽聖のヒューマニティーへと進む過程が流れて行くような音楽の実践は比較のしようがない楽興の時だ。
キリル・ペトレンコ自体もこのコロナ禍で経験が重ねられたのか、「楽員が一期一会で演奏することはこうした無観客ストリーミングの最大の長所だ」と言い切ったように、その幸福な時がそこにある。先日も誰かが話していたが、舞台の上に立って始まってしまうとその演奏実践行為に集中してしまうというのがここでも繰り返し言及された。
そしてこの座付楽団がこのようにペトレンコ指揮で演奏すると、嘗てのカルロス・クライバー指揮でのべートーヴェン演奏よりも遥かに名演奏となる。矢張りペトレンコの指揮がよくなったのは、自身の回想でも分かる事であり、ベルリンに行ってからのそれがまた大きい。
後半のショスタコーヴィッチも期待に違わぬ演奏解釈であり、今まで聴いたこの処女作で最も明白で精妙な音楽的意味合いを提示していたが、こちらはいづれベルリンで指揮すれば更に深堀りされることは分かっている。しかし、前半のベートーヴェンの演奏は独自の楽団の色合いがあって中々超えられないのではないかと思う。ヴィーナーフィルハーモニカーが余人の許さぬ演奏をするように、クライバーがこの楽団を愛したようにである。
まるで計ったように、ミュンヘンからの中継が終るとバーデンバーデンからのそれが始まった。新制作「マゼッパ」で歌うオルガ・ペレティアコの歌にも多くの人の関心が集まったようで瞬間550ヴューほどの最高の数字が出た。インタヴューで語るには、元々ベルカントでこれから徐々にチャイコフスキーという事で如何にもペトレンコ好みのキャスティングだと分かる。
さて支配人スタムパの説明は全く変わらないので、悩みが多いのだろう。恐らく週明けにペトレンコやチェルニコフなどが皆集まるのだと思うが、ストリーミング中継のそれも含めてプランBやCがまだ完全に調整されていないと見えた。
最新の土曜日午後の実行再生産数が1.07のこの何週間も無かった高さになっていて、時間経過とともに上がっている。要するにドイツの新陽性者数の減少は止まって増大へと転機に至った可能性がある。それは既に言及されている様に第三派の到来で、今迄の施策でも波を乗り越えるには最低二ヶ月は掛かるだろう。つまり先日までの希望を持てるのは5月になってからとなるだろう。再来週から床屋も開けられなくなると本当に非常事態になりそうだ。
残された方法は、ワクチン接種を更に推し進めて、重病者や死者を減らすとともにコロナの感染予防を断念することだろう。元々メルケル首相が国民八割方いづれ感染すると言っていたように死者数さえ押さえれれば、皆が感染しても問題が無いのではないか
参照:
あとは辛抱だけでは 2020-11-10 | 歴史・時事
Nach Tokio! Nach Rom! 2017-09-15 | 音
今回も首席を前に出して、独伝統的配置では無くて通常の楽器配置で演奏させていた。少人数とは言い乍も数パーセントは音楽監督時代の顔ぶれと変わっていて、敢えてこの機会に経験を積みさせながらの引継ぎと伝統の継承を同時に行っているのだと分かる。同じミュンヘンの放送管弦楽団よりも州立座付楽団の方が新陳代謝が出来ているのは興味深い。
その話しに出ていた二楽章の素晴らしさは言葉に尽くせない。殆どハイドンのような楽想からそのユーモアから楽聖のヒューマニティーへと進む過程が流れて行くような音楽の実践は比較のしようがない楽興の時だ。
キリル・ペトレンコ自体もこのコロナ禍で経験が重ねられたのか、「楽員が一期一会で演奏することはこうした無観客ストリーミングの最大の長所だ」と言い切ったように、その幸福な時がそこにある。先日も誰かが話していたが、舞台の上に立って始まってしまうとその演奏実践行為に集中してしまうというのがここでも繰り返し言及された。
そしてこの座付楽団がこのようにペトレンコ指揮で演奏すると、嘗てのカルロス・クライバー指揮でのべートーヴェン演奏よりも遥かに名演奏となる。矢張りペトレンコの指揮がよくなったのは、自身の回想でも分かる事であり、ベルリンに行ってからのそれがまた大きい。
後半のショスタコーヴィッチも期待に違わぬ演奏解釈であり、今まで聴いたこの処女作で最も明白で精妙な音楽的意味合いを提示していたが、こちらはいづれベルリンで指揮すれば更に深堀りされることは分かっている。しかし、前半のベートーヴェンの演奏は独自の楽団の色合いがあって中々超えられないのではないかと思う。ヴィーナーフィルハーモニカーが余人の許さぬ演奏をするように、クライバーがこの楽団を愛したようにである。
まるで計ったように、ミュンヘンからの中継が終るとバーデンバーデンからのそれが始まった。新制作「マゼッパ」で歌うオルガ・ペレティアコの歌にも多くの人の関心が集まったようで瞬間550ヴューほどの最高の数字が出た。インタヴューで語るには、元々ベルカントでこれから徐々にチャイコフスキーという事で如何にもペトレンコ好みのキャスティングだと分かる。
さて支配人スタムパの説明は全く変わらないので、悩みが多いのだろう。恐らく週明けにペトレンコやチェルニコフなどが皆集まるのだと思うが、ストリーミング中継のそれも含めてプランBやCがまだ完全に調整されていないと見えた。
最新の土曜日午後の実行再生産数が1.07のこの何週間も無かった高さになっていて、時間経過とともに上がっている。要するにドイツの新陽性者数の減少は止まって増大へと転機に至った可能性がある。それは既に言及されている様に第三派の到来で、今迄の施策でも波を乗り越えるには最低二ヶ月は掛かるだろう。つまり先日までの希望を持てるのは5月になってからとなるだろう。再来週から床屋も開けられなくなると本当に非常事態になりそうだ。
残された方法は、ワクチン接種を更に推し進めて、重病者や死者を減らすとともにコロナの感染予防を断念することだろう。元々メルケル首相が国民八割方いづれ感染すると言っていたように死者数さえ押さえれれば、皆が感染しても問題が無いのではないか
参照:
あとは辛抱だけでは 2020-11-10 | 歴史・時事
Nach Tokio! Nach Rom! 2017-09-15 | 音