Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「無力ではないのです」

2022-03-03 | 文化一般
月曜日は4キロをじっくり小一時間かけて歩いた。靴に足は入るのだが、下から突き当たるように、足の疲れが残っていた。金曜日に同じぐらいの距離を走って上っただけだったが、矢張り具合が悪くなっていた。ゆっくり歩くことにしても急斜面を上ると足を十分に使えずにふらふらした。荷物無しでこれであると思いやられる。

結局右足だけで歩こうとするとバランスが崩れて苦しかった。しかし歩いた後は歩く前よりも足が解れた感じでよかった。但し走れるほどには回復していないので、運動不足を解消するためには回数を増やして時間を三倍ほどかけて歩くか、その間の日に走りを入れていくしかないだろう。

今回のウクライナ侵攻に関して、多くの音楽家がコメントを出した。その中で行動とそのコメントが気が利いていて、頭脳明晰さを示した歌手がいた。それはポーランド人のテノール歌手ピオトール・ベチャラのそれであった。

五月にモスクワのユース管弦楽団と共演して歌を披露する予定であったようだが早々にキャンセルして、語っている ― この楽団を先週土曜日に振ったのは前N饗首席指揮者。

「僕の沢山のモスクワのファンがとても楽しみにしてくれてたのは分かっています。でも実際のところ、これが唯一の正しい判断です。」

そして続けた。

「僕は、一人のアーティストで、私の声で以て反戦を表現することが出来るのです。私達はちっとも無力ではありません。」

これにはいたく感動した。とても早く決断した背景には自身の意思を表したいという背景もあったかもしれない。それによって面倒な質問を避けることもできる。そして同時に試してみようとするいかにもポーランド人らしい楽天的なところ見え隠れする。渡り上手でもある。同時にとても考え抜かれた言葉である。

「私の声」は勿論歌声でもあるが其の儘「私見」でもある。それが、今即刻キャンセルすることで、彼が気にしているモスクワのファンに何らかの形で伝わる。「反戦」でなくても「キャンセル」だけでファンの人たちは事情を推察する。それがここでいうアーティストのそして個人としての「表現」である。そして「私達はちっとも無力ではない」と皆に語り掛けている。

共産圏のポーランドで育った人がここまでの発言を出来るのかと不思議に思うのだが、平素話しているような雰囲気とは全く異なるコミュニケーション能力を示している。一流のオペラ歌手であることには疑いはないが、技術的にも甘いところもあってもう一つの印象を受けているのだが、これを読むと見縊っていたのではないかとも思う。

ここに、私達がすべきであって、最早手遅れでしかないかもしれない行いへの手引きがある。


A Scene from Iolanta (Anna Netrebko, Piotr Beczala)




参照:
独裁者を裏切るとなると 2022-03-02 | 歴史・時事
それなりにハナがある 2021-09-22 | 雑感
コメント
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