ミラノからシーズン初日の中継があった。時差中継で幕間をカットしてあるのですんなりと長いオペラ「ドン・カルロ」を何かする傍らで流した。音楽的には冴えず、気になるのは友人のソロ奏者が乗っているかどうかぐらいだった。いつも目が行っていないことを確認するので一年おきで変わるのだろう。来年計画されているペトレンコ指揮「ばらの騎士」には乗っていると思う。
演出も芝居以前に舞台設定や服装がミラノファッションにもならずで興味がわかなかった。敢えて暗くしているのだろうが、シラーの原作にしてもなんでも今更そうしたところに感情移入できる人がいたらおかしい。ああいう舞台でもト書き通りと尊重する人がいたならばオペラのドラマテュロギーには無関係な人だろう。そのドラマの為に全ては作曲されているので、要するに音楽にも無感傷なのだろう。
流石にお歴々を集めて、国歌から始まる催し物であるからそれなりの歌手陣で、本愛ならなそれにふさわしい公演となる筈なのだが、冴えない。歌を熱唱に持ち込むでもなく、ヴェルディの音楽の権力抗争とか力もそこには抒情もなかった。奈落もしゃきとしないだけでなくて全てが指揮者の責任で、最後に一人だけ盛んにブーを浴びていたのが音楽監督のシャイーだった。例年このような公演が為されている。
指揮者シャイーに関してはアバド時代の業績になくてはなかったトレーナーである、コンセルトヘボー楽団を聴いてきてその指揮以上に素晴らしいアンサムブルは聴いたことがなく、名門ゲヴァントハウスでも現在も通用するように為したとされ、指揮者アバドの死後もルツェルンの音楽祭の臨時楽団を鍛えている功績は誰も否定しようがない。しかし同時にこの指揮者の演奏会に二度と出かけようとも思わないのはその音楽が詰まらないからであり、プログラムが上手に鳴らす為のような曲目しか並んでおらず全く興味がわかないのである。そういう意味からも最も優れた管弦楽団トレイナーでそれ以下でも以上でもない。
シャイーの指揮するオペラもあまり記憶にないので聴いていないのかもしれないが、こういう何をやっているのか分からないオペラ公演ならばお断りである。同時にこういう楽団がペトレンコが振ったとしてもどこまでの演奏が出来るのか不信感を抱く。そこがミュンヘンなどとは大きな差が開くところとなっている。
そのキリル・ペトレンコがジルフェスタ―コンツェルトのその前にノルウェーのベルゲンで復活祭新制作「エレクトラ」の練習の為に演奏会を振る予定で到着した様なのだが、不慮の体調不良でキャンセルしたとの情報が流れた。何らかの急性の症状があったととられる表現なので、慢性の症状などが悪化したものではないのだろう。まだ年齢的に五十歳を超えたところで大病は考え難い。
基本的には元気そうではあるのだが体格的にもそれ程頑丈そうな印象はなく、そもそも父親のヴィデオなどを見るところ、痩せていて早く亡くなったのも納得のいくような感じなので、本人もここ十年程がなによりもの活躍期だと思われる。時間の無駄を話す天才としてはやはり仕事の質を厳選して、仕事量を減らしてもやるべきことを達成して貰いたい。
Kirill Petrenko forced to withdraw from Elektra due to health issues ― Due to unexpected serious health problems Kirill Petrenko, who arrived yesterday in Bergen, was forced to withdraw with his deepest regret only a few hours before the rehearsal start from the project to which he was looking forward so much since a long time and which was extremely important to him. He promised to come back to Bergen and the Bergen Philharmonic Orchestra as soon as possible for a new project.
参照:
職業音楽家のルーティン 2023-02-21 | 文化一般
避けがたい芸術の力 2023-01-01 | 音
演出も芝居以前に舞台設定や服装がミラノファッションにもならずで興味がわかなかった。敢えて暗くしているのだろうが、シラーの原作にしてもなんでも今更そうしたところに感情移入できる人がいたらおかしい。ああいう舞台でもト書き通りと尊重する人がいたならばオペラのドラマテュロギーには無関係な人だろう。そのドラマの為に全ては作曲されているので、要するに音楽にも無感傷なのだろう。
流石にお歴々を集めて、国歌から始まる催し物であるからそれなりの歌手陣で、本愛ならなそれにふさわしい公演となる筈なのだが、冴えない。歌を熱唱に持ち込むでもなく、ヴェルディの音楽の権力抗争とか力もそこには抒情もなかった。奈落もしゃきとしないだけでなくて全てが指揮者の責任で、最後に一人だけ盛んにブーを浴びていたのが音楽監督のシャイーだった。例年このような公演が為されている。
指揮者シャイーに関してはアバド時代の業績になくてはなかったトレーナーである、コンセルトヘボー楽団を聴いてきてその指揮以上に素晴らしいアンサムブルは聴いたことがなく、名門ゲヴァントハウスでも現在も通用するように為したとされ、指揮者アバドの死後もルツェルンの音楽祭の臨時楽団を鍛えている功績は誰も否定しようがない。しかし同時にこの指揮者の演奏会に二度と出かけようとも思わないのはその音楽が詰まらないからであり、プログラムが上手に鳴らす為のような曲目しか並んでおらず全く興味がわかないのである。そういう意味からも最も優れた管弦楽団トレイナーでそれ以下でも以上でもない。
シャイーの指揮するオペラもあまり記憶にないので聴いていないのかもしれないが、こういう何をやっているのか分からないオペラ公演ならばお断りである。同時にこういう楽団がペトレンコが振ったとしてもどこまでの演奏が出来るのか不信感を抱く。そこがミュンヘンなどとは大きな差が開くところとなっている。
そのキリル・ペトレンコがジルフェスタ―コンツェルトのその前にノルウェーのベルゲンで復活祭新制作「エレクトラ」の練習の為に演奏会を振る予定で到着した様なのだが、不慮の体調不良でキャンセルしたとの情報が流れた。何らかの急性の症状があったととられる表現なので、慢性の症状などが悪化したものではないのだろう。まだ年齢的に五十歳を超えたところで大病は考え難い。
基本的には元気そうではあるのだが体格的にもそれ程頑丈そうな印象はなく、そもそも父親のヴィデオなどを見るところ、痩せていて早く亡くなったのも納得のいくような感じなので、本人もここ十年程がなによりもの活躍期だと思われる。時間の無駄を話す天才としてはやはり仕事の質を厳選して、仕事量を減らしてもやるべきことを達成して貰いたい。
Kirill Petrenko forced to withdraw from Elektra due to health issues ― Due to unexpected serious health problems Kirill Petrenko, who arrived yesterday in Bergen, was forced to withdraw with his deepest regret only a few hours before the rehearsal start from the project to which he was looking forward so much since a long time and which was extremely important to him. He promised to come back to Bergen and the Bergen Philharmonic Orchestra as soon as possible for a new project.
参照:
職業音楽家のルーティン 2023-02-21 | 文化一般
避けがたい芸術の力 2023-01-01 | 音