Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エントロピー制御の作曲

2023-12-26 | 
承前)10月21日に初演されたのはヴェルクミュラー作「シュリマーゼル」であった。翌日の(1時間16分から)演奏中継録音が放送された。初日のコンサートの三曲中この曲だけは言及は放送を待ってと思っていた。そしてその価値はあった。当日のメモは一行しか書き込まれていない。フリーイムプロヴィセーションとリズムの対比という意味合いだ。短縮してあって自身の前半の文字が読み取れなかったのだが、間違いない。

なぜこうなったかは明らかで情報量が多過ぎた。三部に分かれたタイトルが付けられた30分程の曲乍ら何回も録音を流さないと聴き取れない。勿論流していだけでも分かるのは、特に一部などは同じ指揮者エンゲルがドナウエッシンゲン音楽祭で2020年に初演した「ザブレードダンサー」などと似ていて、やや月並みな始まりである。エンゲルに言わせると「ボレロ」の様に始まってとなるが作曲家によると地震が起きる感じらしい。それどころかややもすると伊福部の「ゴディラ曲」みたいな展開をするのだが、そこからのイムプロヴィセーションはまさしく献呈している6月23日に亡くなったフリージャズのブレッツマンのそれを想起させ、より複雑なリズムの組み合わせへと進む。
Michael Wertmüller: The Blade Dancer (2020)

Ifukube Akira - Godzilla Medley

Peter Brotzmann Trio, Cheltenham 2-05-08


該当プログラムの他の二曲においてはジャズバンドと交響楽団や合唱との受け渡しが面白かったのだが、このヴェルトミュラーの作曲になると最早そうした奏法的な変化だけではなくて ― ビッグジャズにもクラシカルな奏法を要求 ―、ミニマル音楽でも重要な要素であったずれ感のような効果が時制の錯綜を生じている。

なるほど新しい音楽ではまだまだ音楽学的に新たな試みがあり、また反対に今年初めに聴いたような若干フルクス的な荒っぽい方法での伝統的な新しい音楽も創造されているが ― 今回の放送で初めて気がついたのだが、ヴェルトミュラーは故シュリンゲンジーフの2008年のガン闘病後の映画の音楽を担当していた ―、ここではそうした形式やジャンル的な制約を超えた新しい音楽の試みとなっていて、成功している。まさしくヘブライ語のタイトル通り、時制を超えた感情が迸り、部分間で大歓声を受けた要素でもあろう。

しかしそれゆえにこの複雑な構造は一度聴いたぐらいでは捉えきれなかったのも致し方ない。エンゲルもインタヴューで語っているように最初から最後まで気を緩めるところがない難曲となっていて、その効果が覿面だ。2023年に聴いた演奏の中でミュンヘンでのペトレンコ指揮クセナキス作「シェンジェ」が頂点だったと思うが、ボッフムでの三曲のプログラムはそれに匹敵していた。

こういうグルーヴする曲の場合、それに複雑な部分が連なると最早耳に入らなくなるとことがあって、何時も中々難しい。それは往々にしてビッグバンドやジャズのイデオムなどを入れ込むと決まっての傾向であって、ここにもエントロピーの法則が働く。そこでエンゲルが言及しているのも頂点を幾つも上手に作っているという意味合いでのその構成でしかない。その意味でこの作曲家は天才かも薬中かもしれず、そしてエンゲルはまさにそのドラマテュルギーを最初の譜面読みからしっかりと分析している。

エンゲルは殆どの作曲家との繋がりの中で指揮活動をしていて、特定の作曲家との仕事は数少ない。しかしこの作曲家とは音楽劇場作品を含めて今まで何度もの大成功をしていることからすれば、やはり相性の合う作曲家なのだろうと思う。



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
生きているだけでいい? 2023-10-04 | 文学・思想
挙動不審者たちの巣窟 2023-10-03 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする