クリスマスから年末年始の準備。なによりもその期間に休業となる肉屋に発注しておかないといけない。クリスマスイヴに取りに行って年始は第二週からとなる。今回は23日が土曜日なのでそれが最終日となり、新年は8日が月曜日となる。つまりそこ迄の肉類を発注する。勿論スーパーはその間も三日間の休み以外は開かれるが、普段買わない肉はわざわざ買わない。そこで一括発注となる。
昨年11日に注文したのは、栗ザウマーゲンとトリュフの入ったザウマーゲン、シュヴァルテンマーゲンという燻製したものと、リースリングの煮凝り、それに鴨野胸肉だった。昨年は初めて量を押さえた。理由は新年二週間目に何かが残るのを避けたかったからである。お客さんが来るようなことがなければ、それ以上には必要がない。さらに来年は一月の第三週目の頭には出かけたりフランスのスーパーに寄ったりするので、残り物を食しているような悠長なことはしていられない。カレンダー通り新年二日目から比較的正常化する。
但し、今年から食し出したヘルムートコールの夜食「アイスバイン」をどうしようかと思う。日持ちするので購入しておけば変化は楽しめると思う。アイスバインを新年に開ければ、トリュフをクリスマス前に手を付けてもいいことになる。なんとなくそちらの方がアドヴェントに似合うような。
故コール首相の片腕で私設秘書でルートヴィヒスハーフェンの自宅事務所に勤務していた女性が亡くなったとあって大きなニュースになっていた。どこかで顔を見たような気がするが思い出せない。ガラガラ声で、この人の声を聞かずにコール首相に会う人はいなかたっとされる。外交関係者は違うであろうが、先ごろ亡くなったキッシンジャーは自宅のコールと電話したことがあるのだろうか?そういえば故人はワイン街道のダイデスハイムに来ていない世界の数少ない要人だったのではないか。
トリフォノフのカーネーギーホールライヴの録音の編集をした。冒頭は僅かなリード部分を切らなければいけなかったが、いつもの番組冒頭の「カーネギーホールプリーズ」まではあまりなかった。そして、休憩時にネゼサガン指揮の「ラヴァルス」が流されていたが、これも前のお喋りがあり最小の短さで実況に移ったので、すっきりカットした。
しかし驚きは余分にタイマーセットして二時間半の録音時間のエンドも殆ど切り取るところがなかったことで、全部で2時間15分を超えていた。それでも舞台脇のオヤジたちの声が冒頭に被さるの毎回で、如何にトリフォノフが楽屋から一気にピアノに向かって弾き始めるかがよく分かる。
冒頭のラモー曲から集中力があるのだが、再三にわたってスマートフォンがおかしな音楽を奏ずる。流石バーデンバーデンではここまではないと思う。マイクを通したカーネーギーホールの舞台上の音響はとても素晴らしいのだが、やはり聴衆の質はこうしたリサイタルをするにはあまりにも程度が悪そうだ。
更に大管弦楽ならばあまり気が付かないのだが戸外の騒音が可也激しい。交差点だと思うが、これだけ聴こえるならば御免である。限られた時間のニューヨークに滞在中に出かけることもないと思う。
参照:
究極のフェティシズム 2023-12-14 | 文化一般
ニューヨークタイムズの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
昨年11日に注文したのは、栗ザウマーゲンとトリュフの入ったザウマーゲン、シュヴァルテンマーゲンという燻製したものと、リースリングの煮凝り、それに鴨野胸肉だった。昨年は初めて量を押さえた。理由は新年二週間目に何かが残るのを避けたかったからである。お客さんが来るようなことがなければ、それ以上には必要がない。さらに来年は一月の第三週目の頭には出かけたりフランスのスーパーに寄ったりするので、残り物を食しているような悠長なことはしていられない。カレンダー通り新年二日目から比較的正常化する。
但し、今年から食し出したヘルムートコールの夜食「アイスバイン」をどうしようかと思う。日持ちするので購入しておけば変化は楽しめると思う。アイスバインを新年に開ければ、トリュフをクリスマス前に手を付けてもいいことになる。なんとなくそちらの方がアドヴェントに似合うような。
故コール首相の片腕で私設秘書でルートヴィヒスハーフェンの自宅事務所に勤務していた女性が亡くなったとあって大きなニュースになっていた。どこかで顔を見たような気がするが思い出せない。ガラガラ声で、この人の声を聞かずにコール首相に会う人はいなかたっとされる。外交関係者は違うであろうが、先ごろ亡くなったキッシンジャーは自宅のコールと電話したことがあるのだろうか?そういえば故人はワイン街道のダイデスハイムに来ていない世界の数少ない要人だったのではないか。
トリフォノフのカーネーギーホールライヴの録音の編集をした。冒頭は僅かなリード部分を切らなければいけなかったが、いつもの番組冒頭の「カーネギーホールプリーズ」まではあまりなかった。そして、休憩時にネゼサガン指揮の「ラヴァルス」が流されていたが、これも前のお喋りがあり最小の短さで実況に移ったので、すっきりカットした。
しかし驚きは余分にタイマーセットして二時間半の録音時間のエンドも殆ど切り取るところがなかったことで、全部で2時間15分を超えていた。それでも舞台脇のオヤジたちの声が冒頭に被さるの毎回で、如何にトリフォノフが楽屋から一気にピアノに向かって弾き始めるかがよく分かる。
冒頭のラモー曲から集中力があるのだが、再三にわたってスマートフォンがおかしな音楽を奏ずる。流石バーデンバーデンではここまではないと思う。マイクを通したカーネーギーホールの舞台上の音響はとても素晴らしいのだが、やはり聴衆の質はこうしたリサイタルをするにはあまりにも程度が悪そうだ。
更に大管弦楽ならばあまり気が付かないのだが戸外の騒音が可也激しい。交差点だと思うが、これだけ聴こえるならば御免である。限られた時間のニューヨークに滞在中に出かけることもないと思う。
参照:
究極のフェティシズム 2023-12-14 | 文化一般
ニューヨークタイムズの耳 2022-11-14 | マスメディア批評