Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2023年12月

2023-12-31 | Weblog-Index



机上の年末整理など 2023-12-31 | 文化一般
ヘテロセックスの暴力 2023-12-30 | 文化一般
厄落とし年末調整 2023-12-29 | ワイン
明けるのか大晦日 2023-12-28 | 文化一般
栄養満点のフルーツパン 2023-12-27 | 暦
エントロピー制御の作曲 2023-12-26 | 音
AIに分からせるには 2023-12-25 | 文化一般
見識に根ざした表現 2023-12-24 | 歴史・時事
高い環境への意識 2023-12-23 | 文化一般
必然な歴史的な協力 2023-12-22 | 歴史・時事
大洪水の後で鳩は 2023-12-21 | 文化一般
クリスマスに向けて 2023-12-20 | 暦
バーンスタインのメロドラマ 2023-12-19 | マスメディア批評
BePhil番組をネット鑑賞 2023-12-18 | マスメディア批評
不死鳥の音楽的シオニズム 2023-12-17 | 文化一般
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般
年末年始の発注を纏める 2023-12-15 | 生活
究極のフェティシズム 2023-12-14 | 文化一般
演奏会と劇場での相違 2023-12-13 | マスメディア批評
資料整理の枝払い 2023-12-12 | 雑感  
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音
社会文化的な意味あい 2023-12-10 | マスメディア批評
やるべきことを達成 2023-12-09 | 音
アシスタントとしての実力 2023-12-08 | 音
くっつかない米粒ヌードル 2023-12-07 | 料理
若い時からの伝記 2023-12-06 | 文化一般
新鮮で刺激的な展開 2023-12-05 | 音
放射冷却の待降節初日 2023-12-04 | 暦
凄まじい肉感的な音響 2023-12-03 | 音
セカンドフラッシュの濃く 2023-12-02 | 生活
黴取り処理で備える 2023-12-01 | 生活


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

机上の年末整理など

2023-12-31 | 文化一般
本年は週末が年末で若干余裕がある。片付けものは殆ど済んでいるが、部屋の本年中のプログラム類が積んである。これを仕舞い込みたい。シーズンを重要視しても夏前には到底そのような片づけをしている余裕がない。だから先ずは片付けたい。

積んである理由には、感想を書いておいて、続きとしてあることが多々ある様に続きを書くためにとおいてあるのだが、ものによっては本格的な資料調べをしないと分からないこともあり、また何を調べたら答えが出るのかが分からないこともあって、なかなか終わりまで行かないことも多い。

そこで本年の公演などの重要なものを採り上げて、その終止符が打たれているのかどうかを確認する。

なによりも演奏会では、ミュンヘンのイザールフィルハーモニーでのクセナキス「シェンジェ」1977年は特筆される。20世紀後半の創作を通常の演奏会で歴史的な大管弦楽団が決定的な演奏をするなどは予想していなかった。一般的に創作百年が転機になるが、これによってベルリナーフィルハーモニカーのメインレパートリーが後期浪漫派からその後百年に延びる可能が広がった。この演奏に関しての記載は終止符が一旦打たれている様である。

その前には、ルクセムブルクのフィルハーモニーでのシェーンベルク「管弦楽の為の変奏曲」で、前のブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」と別のプログラムのレーガー「モーツァルトの主題による変奏曲」からシェーンベルクプロジェクトそしてブラームスの四番へのシーズン後半へと繋がる。

同時にボッフムのヤールフンデルトハーレでのステンアンデルセン「トリオ」も恐らく今世紀前半を代表する創作での再演の大成功で、歴史的な価値があった。来年はパリなどでも演奏されるようだが指揮者などは異なる。そもそもクリックトラックの間を三人の指揮者が変わり番こに振るということで従来の感覚では指揮者の実力が示せ得ないものなのだがエンゲル指揮は見事だった。

そこで音楽劇場公演となると野外劇場どころか街までを劇場効果に巻き込んだメシアン「アシジの聖フランシスコ」は復活祭の「影のない女」と同様に個人的には運命的な作品であり、体験できた意味が大きい。その意味からすればヘンツェ「メデューサの筏」もベルリンのあるべきテムペルホーフ飛行場での公演がベルリンの街への再訪の契機になったこと以上に大きかった。まさしくその通りの内容だったことが、10月7日以降にその近くの交差点で起こっていたのだった。

室内楽や器楽音楽では、コロナ後の企画の問題もあってか、近場でこれという演奏会はなかった。せめてものトリアノフのラフマニノフ協奏曲ぐらいだろうか。来年は既にピアノや弦楽四重奏団やリーダーアーベントの券を購入した。ある程度の満足は叶うかもしれない。コロナ発病が初めて美術館を訪問した。ファイニンガーの展示会は取り分け勉強になった。



参照:
二極化によって描かれるもの 2023-11-14 | 文化一般
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする