ミュンヘンからクリスマスチャリティーコンサートが生中継された。モーツァルトの「イドメネオ」が初演されたキューヴリエ劇場からだった。昨年「ブルートハウス」の再演で音響も確かめたが素晴らしい劇場で、同じモーツァルトの所縁のあるシュヴェツェインゲンの夏の離宮のロココ劇場のように軋まない。それだけ手が入っているということでもあろう。そしてそこの主がミュンヘンに移ってからの自作自演初演だった。因みにそこでモンテヴェルディの曲を挟んでのハース作曲「ブルートハウス」こそはオペラの三大作曲家として歴史に残る上演となった。
さてそこでフランクフルトの市立劇場の音楽監督に抜擢されたグックアイスが指揮するということでお手並み拝見であった。11月にも就任最初の新制作「グランマカーブル」の評判も悪くなくて出かけようかどうかの選択肢もあったのだった。
結論からするとその音楽を聴きにフランクフルトまで出かける様な指揮者ではないということだった。少なくとも世界最高の座付き管弦楽団を振りながらアンサムブルの妙味も聴かせずになにも楽譜も読めていない指揮をさせるべきではないということだった。それでもフランクフルトの支配人が老衰のバレンボイムに代わって指揮したのを観て抜擢するだけの才覚を魅せたかどうかとなる。
なるほど歌手が上手ければそれに合わせて伴奏するだけの力はあるようで、アシスタントとしての下準備もある程度できるのだろう。バルティックからの歌手がデズデモーナの「柳の歌」を歌ったが若干問題があっても中々表現として出来ていた。敢えて言えば少し合わせた時にそうした傷を何故最初に手当てするだけの力量がこの指揮者にはなかったのかとなる。恐らくそこ迄の余裕がこの指揮者にはなくて自分が指揮することで手一杯かに思えた。
流石にイントロ当てクイズまでにはならないのだが、指揮台でやっていることは声部のダイナミックスや強調だけのようで如何に楽譜が読めていないかが分かる。同じフランクフルトで阿波踊りのように振っていたマルヴィッツなどの方が読めていると思わせる。そして本人が出来ていないのが分かっていない様子が一番痛い。
ドイツ最年少の音楽監督となったのはヴッパータールの現在日本の新国立劇場で客演指揮をしているパトリック・ハーンであるが、こちらも演奏会放送中継などを観ると問題もあるのだが、少なくともやろうとしていることもはっきりしていて、キリル・ペトレンコが最も信頼をおけたアシスタントだけの音楽の基礎が出来ている。だからコロナ期間中で流れてしまった復活祭での高度に音楽的に難しい新制作「フィデリオ」上演でそのアシスタントの実力が評価されるところだったのである。
故ヘルムートコール首相の夜食の残りあったので、ザウワーボーネンを温めて食した。やはりその脂や煮凝りがその熱で溶けだす直前の旨味が最高である。それをまだ一年も経っていないプリュミエクリュのモンツィンゲンのニーダーベルクのまろみのあるリーズリングで食するのだから堪らない。勿論本格的な辛口の醸造とは言いながらもその新鮮な酸に調和するだけの糖は残っていて、アルコールも12パーセントと喉越しがよい。特に零下へと向かう夜にはこうした食事で温まる。その後まだ足りなかったのでジャガイモを残ったソースに付け合わせて、更にダルマイヤーのケニア産の最後の一杯のコーヒーを淹れた。それ程味は落ちていなかったが、香りは飛んでいた。
参照:
くっつかない米粒ヌードル 2023-12-07 | 料理
何時の間にドイツの森に 2022-09-15 | 文化一般
さてそこでフランクフルトの市立劇場の音楽監督に抜擢されたグックアイスが指揮するということでお手並み拝見であった。11月にも就任最初の新制作「グランマカーブル」の評判も悪くなくて出かけようかどうかの選択肢もあったのだった。
結論からするとその音楽を聴きにフランクフルトまで出かける様な指揮者ではないということだった。少なくとも世界最高の座付き管弦楽団を振りながらアンサムブルの妙味も聴かせずになにも楽譜も読めていない指揮をさせるべきではないということだった。それでもフランクフルトの支配人が老衰のバレンボイムに代わって指揮したのを観て抜擢するだけの才覚を魅せたかどうかとなる。
なるほど歌手が上手ければそれに合わせて伴奏するだけの力はあるようで、アシスタントとしての下準備もある程度できるのだろう。バルティックからの歌手がデズデモーナの「柳の歌」を歌ったが若干問題があっても中々表現として出来ていた。敢えて言えば少し合わせた時にそうした傷を何故最初に手当てするだけの力量がこの指揮者にはなかったのかとなる。恐らくそこ迄の余裕がこの指揮者にはなくて自分が指揮することで手一杯かに思えた。
流石にイントロ当てクイズまでにはならないのだが、指揮台でやっていることは声部のダイナミックスや強調だけのようで如何に楽譜が読めていないかが分かる。同じフランクフルトで阿波踊りのように振っていたマルヴィッツなどの方が読めていると思わせる。そして本人が出来ていないのが分かっていない様子が一番痛い。
ドイツ最年少の音楽監督となったのはヴッパータールの現在日本の新国立劇場で客演指揮をしているパトリック・ハーンであるが、こちらも演奏会放送中継などを観ると問題もあるのだが、少なくともやろうとしていることもはっきりしていて、キリル・ペトレンコが最も信頼をおけたアシスタントだけの音楽の基礎が出来ている。だからコロナ期間中で流れてしまった復活祭での高度に音楽的に難しい新制作「フィデリオ」上演でそのアシスタントの実力が評価されるところだったのである。
故ヘルムートコール首相の夜食の残りあったので、ザウワーボーネンを温めて食した。やはりその脂や煮凝りがその熱で溶けだす直前の旨味が最高である。それをまだ一年も経っていないプリュミエクリュのモンツィンゲンのニーダーベルクのまろみのあるリーズリングで食するのだから堪らない。勿論本格的な辛口の醸造とは言いながらもその新鮮な酸に調和するだけの糖は残っていて、アルコールも12パーセントと喉越しがよい。特に零下へと向かう夜にはこうした食事で温まる。その後まだ足りなかったのでジャガイモを残ったソースに付け合わせて、更にダルマイヤーのケニア産の最後の一杯のコーヒーを淹れた。それ程味は落ちていなかったが、香りは飛んでいた。
参照:
くっつかない米粒ヌードル 2023-12-07 | 料理
何時の間にドイツの森に 2022-09-15 | 文化一般