トリフォノフ演奏の「パガニーニの主題によるラプソディ」他が放送された。やはりマイクを通してもネゼセガンの指揮が悪い。楽団も前半はサブの面々しか出していないのだが、指揮さえしっかりしていたならばやれる楽団である。
ペトレンコが出てくるまでは頂点の領域でここまで指揮で変わると思ってもいなかった。それは後半の交響曲でのようにじっくり時間をかけて練習しておけばある程度出来るのとは大違いだ。ペトレンコ指揮で日本でも同曲を演奏したようで、その練習回のミュンヘンでの演奏が放送されていた。勿論その時のピアニストのイゴール・レヴィットとはなにもかも違ってその反応速度も要求されるものも違う。しかしペトレンコも協奏曲となると合わせることに全力を注いで、それは歌手に合わせる時よりも遥かに徹底している。そうして合わせれる実力が全く違うのである。
実演ではなんとか鍵盤を走る指に注目することでピアノに集中できたのだが、マイクを通すと今度は楽譜が必要になりそうだ。これからはピアノ協奏曲を聴く場合は指の見える位置に陣取ることにさせる貴重な経験だった。
嘗てはカラヤン指揮ヴァイセンベルクのべートーヴェンでも不満は感じなかったのだが、やはりつけたしのような演奏家が奏する協奏曲は御免である。同じバーデンバーデンの祝祭劇場でランランのピアノを残り残らず聴かせたペトレンコの指揮はそれだけで立派だったと今改めて思う。
日曜日から流していたLPを最後まで通した。件の雑音はある程度の時間を超えると出てくるが、オペラ全曲をBGMで流しておくのはそのもの針も消耗して勿体無い。しかし、名盤の「シモンボッカネグラ」を二回に分けて最後まで流した。事務仕事をしながらの流れ聴きであるが、今迄感じていた問題点が分かった。問題点とは戦後のミラノスカラ座公演で最も成功したストラ―レル演出の制作録音であるが、初訪日引っ越し公演で文化会館で演奏されたものからすると大分相違がある批判点である。
LPで聴くことでの問題点でないのは同じスタディオを利用しての「マクベス」では大成功しているにも拘らず、この録音のダイナミックスなどの問題は録音にある。明らかに弱音の表現は文化会館での上演の方が優れていて、更に制作録音の「マクベス」にも劣る。録音の問題もあり得るのだが、それ以上に比較的大きな編成に楽団が奈落に入らずに演奏しているために、奈落でのようなダイナミックスの凄味が失せてしまっている。
勿論制作録音のマイクロフォンの問題もないことはないのだが、例えば舞台の前に下された紗の幕の効果もここでは全く得られていない。要するにこの制作の音楽的な効果としても絶賛されたそのダイナミックスが、制作録音でもそしてコンサート形式の公演でも絶対得られないということである。如何にコンサート形式のオペラ上演というのが不完全なものであるかの典型的な実証である。
そして勿論歌もその感情移入には至らず、そして大成功した制作ゆえに少々のキャスティングに相違があったとしても完成度の高い制作は維持されていた。そうした音楽劇場の妙が伝わらないのである。
参照:
舞台に現れるメダリスト 2023-11-15 | 音
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音
ペトレンコが出てくるまでは頂点の領域でここまで指揮で変わると思ってもいなかった。それは後半の交響曲でのようにじっくり時間をかけて練習しておけばある程度出来るのとは大違いだ。ペトレンコ指揮で日本でも同曲を演奏したようで、その練習回のミュンヘンでの演奏が放送されていた。勿論その時のピアニストのイゴール・レヴィットとはなにもかも違ってその反応速度も要求されるものも違う。しかしペトレンコも協奏曲となると合わせることに全力を注いで、それは歌手に合わせる時よりも遥かに徹底している。そうして合わせれる実力が全く違うのである。
実演ではなんとか鍵盤を走る指に注目することでピアノに集中できたのだが、マイクを通すと今度は楽譜が必要になりそうだ。これからはピアノ協奏曲を聴く場合は指の見える位置に陣取ることにさせる貴重な経験だった。
嘗てはカラヤン指揮ヴァイセンベルクのべートーヴェンでも不満は感じなかったのだが、やはりつけたしのような演奏家が奏する協奏曲は御免である。同じバーデンバーデンの祝祭劇場でランランのピアノを残り残らず聴かせたペトレンコの指揮はそれだけで立派だったと今改めて思う。
日曜日から流していたLPを最後まで通した。件の雑音はある程度の時間を超えると出てくるが、オペラ全曲をBGMで流しておくのはそのもの針も消耗して勿体無い。しかし、名盤の「シモンボッカネグラ」を二回に分けて最後まで流した。事務仕事をしながらの流れ聴きであるが、今迄感じていた問題点が分かった。問題点とは戦後のミラノスカラ座公演で最も成功したストラ―レル演出の制作録音であるが、初訪日引っ越し公演で文化会館で演奏されたものからすると大分相違がある批判点である。
LPで聴くことでの問題点でないのは同じスタディオを利用しての「マクベス」では大成功しているにも拘らず、この録音のダイナミックスなどの問題は録音にある。明らかに弱音の表現は文化会館での上演の方が優れていて、更に制作録音の「マクベス」にも劣る。録音の問題もあり得るのだが、それ以上に比較的大きな編成に楽団が奈落に入らずに演奏しているために、奈落でのようなダイナミックスの凄味が失せてしまっている。
勿論制作録音のマイクロフォンの問題もないことはないのだが、例えば舞台の前に下された紗の幕の効果もここでは全く得られていない。要するにこの制作の音楽的な効果としても絶賛されたそのダイナミックスが、制作録音でもそしてコンサート形式の公演でも絶対得られないということである。如何にコンサート形式のオペラ上演というのが不完全なものであるかの典型的な実証である。
そして勿論歌もその感情移入には至らず、そして大成功した制作ゆえに少々のキャスティングに相違があったとしても完成度の高い制作は維持されていた。そうした音楽劇場の妙が伝わらないのである。
参照:
舞台に現れるメダリスト 2023-11-15 | 音
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音