Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

序 トロージャンの不思議

2005-03-17 | 数学・自然科学
トロージャンとは、ギリシャ神話に描かれる小アジアの北西部(現在のトルコの位置)にあったトロヤ国の人や有名な戦士を言う。ホメロスのイリアスとオディセイに描かれていたトロヤの遺跡は、1870年に考古学者ハインリッヒ・シュリーマンが発見するまでは実在が疑われていた。神話でも考古学でもコンピューターヴィールスでもない、天体の不思議の話題である。

土星の衛星探査機カッシーニから発射されたホイヘンスが衛星タイタンに着陸した。ホイヘンスから膨大な資料が送られて、二月ほど経つ。ESAのデータ解析は今後を待つとして、土星の謎と言われるのが有名なワッカである。それどころかこの間、更に三つの月状の衛星がリストに加わっている。2004年の10月に見つかった小遊星ポリィデウスがこのトロージャンに当てはまる。この概念は、ハイデルベルクの天文学者マックス・ヴォルフによって使われるようになって、これによって小さな天体を探索することが出来るようになったと言う。写真撮影の比較から1906年に、木星の軌道に見つけた116KM径の小遊星アキレスが太陽を中心に60度の角で存在する事を示した。300年前のケプラーの観測を髣髴させる話である。

天体物理では、これをトリノ出身フランスの数学家ジュセフ・ルイ・ラグランジェ(1736-1813)の名前を付けて五つの点が定められている。こうして万有引力の場も流体や量子の系の様に扱われる。ここでは、なんでもないアイザック・ニュートンの17世紀の有名な物理学が基本となっている。重要なその第二法則をここで確認すると、「物体の運動の変化は、その物体に及ぼされる外力に比例し、その力の方向におこる。」となる。これを批判的に位置と運動を同時に扱えるようにラグランジェ博士がフリードリッヒ大王の命でベルリンで纏めた表記方法を、ラグランジェ・システムと先ずしておく。そしてこれを天体に当てはめると、二つの比較的大きな質量の惑星の軌道から、小さな質量の小遊星が在り得るべき位置が自ずと定まってくる。

さて土星の不思議は、1684年に天文学者カッシーニよって発見された月テティスに始まる。これと土星が独自にトロージャンらしき小遊星を有しており、それが太陽を中心とした土星本体の軌道と関係なく存在しているということが分かった。1981年にそれが発見されてから、昨年その月の小遊星の一つテレストが観測され、これがトロージャンとして確認された。また他の衛星ディオーネには、ヘレナと名付けられたトロージャンが少なくとも一つ存在する事が発見されている。極めつけは月ポリィデウセスで、これには定められた位置を外れて行き来するトロージャンが存在するというのだ。

数学者ラグランジェの天体への興味ではないが、このような天体の不思議は自らが観測しなくとも万人に大きな関心を齎す。天文学者でも物理学者でなくても関心が自然と湧く事象ではないだろうか。さて、これを工学家や経済学者が使うような定式でなくて、17世紀のニュートン物理を基本に18世紀末のラグランジェの発想を追って行くとどうなるだろう。個人的な思考の飛躍を科学史の中で静的に捉えるのではなくて、発想の展開や飛躍を追体験する事で何かが見えてくるのではなかろうか。これを短く簡易に纏めて考察する事は決して容易ではないが、面白いと思うので試してみたい。
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ベッティーナ-七人の子供の母

2005-03-16 | 
最後の五マルク紙幣を飾っているのが、ベッティーナ・フォン・アルニムである。この小悪魔的で、お喋りな女性は、1785年にイタリア商人を父に7番目の子供として生まれる。兄は、クレメンス・ブレンターノで「子供の不思議な角笛」の編者として著名である。その共同編者で友人のフォン・アルニムと結婚して現在の姓となる。

修道女生活を経て、フランクフルトに在住の少女の時代、様々な芸術家と交流する。あるユダヤ人女性を通してゲットーの実情を知る事となると記してある。

19歳の時から巨匠ゲーテに手紙を書き、その母親と文通を始める。こうして巨匠の死後、この親子の手紙を綴り彼女の出世作となる。1810年までの間に南ドイツを中心に盛んに知己を広げ、その中でも詩人ルートヴィヒ・ティークとベートヴェンは特筆される。そのような訳で当時絵画と音楽に専心したとある。ゲーテの詩につけた作曲もある。

1811年からの夫との結婚生活も二十年後にアーヒムの死によって終わりを告げる。その後に活動は本格的となり、社会民主主義的傾向を持って、架空書簡形式の創作等を発表する。特にプロイセン王のフリードリッヒ・ヴィルヘルムIV世とその母親との架空の手紙は発禁処分となっている。

今回、プロイセン王本人との書簡などが全集の第四巻として出版された。それと並んで、ベルリンのシャウシュピールハウスの設計者でもあり「魔笛」などの舞台装置で有名な建築家カール・フリードリッヒ・シンケル、クララ・シューマンやフランツ・リストらとの書簡が、実務的から文学的な幅広い雑多な様式の172通の手紙に含まれている。

彼女から熱い手紙を受け取って当惑した、貴族や有名人や学生は多い。その他にもロベルト・シューマンや若きブラームスさらにメンデルスゾーンが彼女の訪問を受けている。国王から一介の学生にまでに影響を及ぼした先進的な女性の目を通して見えるのは、ドイツ統一と第二帝政への創成期である。それと重ねてドイツ関税同盟のドイツロマン主義最盛期を、欧州統一の今日から振り返ると言うの作為的過ぎるだろうか?

彼女の詩に、「孤独に浸る人は」というのがある。表題に続き世事に勤しむ人は、ミューズの女神に身を捧げる人はと来て、ミューズの女神は喜びも悲しみも神聖化して文芸は永遠となると詠む。さらにそれが心の中で燃え上がるが、天国的な中でこれらは悉く世俗的だと何処かで気づいていると結ぶ。先に世を去ったロマンティカーの夫よりも随分と現実的で冷めているようだ。
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お宝は流れ流れて

2005-03-15 | 文学・思想
ラインの黄金の指輪の話を、「子供の不思議な角笛」で読むと、これはかなり地方色豊かな話となる。これらは、「ニーベルンゲンの歌」伝説によるようだ。13世紀の手書きの書物によると、ジークフリートは竜を退治して下ラインからヴォルムスの王室に乗り込む。この辺がヴァーグナーの楽劇「指輪」の第二夜「ジークフリート」と第三夜「神々の黄昏」で描かれるところである。

民謡集「子供の不思議な角笛」の「ラインの盟約の指輪」では、ラインとネッカーの畔で草刈する男が、労働歌を口ずさむ塩梅で夢想とも幻ともつかぬ情景を髣髴とする。ローカルな話で恐縮だが、両河の畔で草刈るという事は両河が交わる現在のマンハイム市のライン・ネッカー三角洲地帯であろう。何れにせよ取材先の関係もありハイデルベルクで纏められたこの民謡集にはこの地域の話が多い。指輪を河に投げ入れると、流され流され下ラインを越え、ネーザーランドを通って大西洋に出る。ここで、魚に食われて、それが結局王の食卓に上る。ラインの妖精らしきは、水に飛び込んで四苦八苦して指輪を探して返してくれるが草刈は手伝ってくれない。相変わらず、寓話性に満ち溢れている。

この民謡集、最近のドイツ語学者の研究では多くの部分で編集者二人の手が加わっていると言う事である。そのようにしてみると1859年に近くのオーデンヴァルトの山中で取材された別ヴァージョンは、ネッカーの代わりにアッカーとなっており場所が異なる。これは、農耕地を意味する。農耕地で草刈では、全くバルビゾン派のミレーの農民の姿になってしまう。因みにこれも「ラインの伝説」としてグスタフ・マーラーの歌曲集に含まれる。テキストは変わらないが、ここでも民謡集とタイトルが異なっている。
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ドイツ鯉に説教すると

2005-03-14 | 文学・思想
パドヴァの聖アントニウスは、1195年にリサボンに生まれ、1220年にフランシスコ修道会に入る。そこで神学の重要な役職に付く。天性の口上手を認められて、善悪二元論を採る異端のカタリ派の再改心を促す任務を得た。この宗派はオック語が使われていた南フランスを中心にケルト人の多い北イタリアロンバリディア地方にも広がり、土地の言葉を使って説教して人気があったようである。

聖アントニウスの有名な逸話には、「聖体拝領の秘儀に疑いを持った者が現れた時、三日間飲まず食わずの驢馬を連れてこさせて、それが聖餅を持った聖アントニウスに歩み寄る事も無く、餌にも触れずに倒れ廃れるのを示して改心させた。」とある。また、「聖アントニウスは、ある日教会に行っても誰も居ないので仕方なく近くのリミニ川の畔で説教を始めると、魚が集まり水面に頭を揃えて説教を聞きだした。この奇跡を知った町のものは殆んどが改心したという。」。アシシのブラザー・フランシスコの鳥との対話と並んで有名な話である。

鳥と魚は、植物に続いて五日目に神に創世されたとあり、人間の地上とは違う空と海に住む。からすと鳩はノアの船で運ばれたのに対して、魚は救済される必要は無かった。旧約ヨナ章で預言者は魚から吐き出される。新約(マタイ14.17、ヨハン6.9)では、魚二匹と五個のパンが五千人を潤すとある。迫害された初期キリスト教者は、魚の印をこっそりと示してお互いを確認したようだ。これは今でも欧州の車に張り付けられているのをしばしば見かける。

さて、この聖アントニウスの昔話が伝えられ収められているのが「子供の不思議な角笛」というドイツの民謡集である。クレメンツ・ブレンターノとアーヒム・フォン・アーニムが1808年にハイデルベルク遊学の日々に共同して纏めた。ここの「パドヴァのアントニウスによる魚への説教」に見る伝承は、絵画等で良く見かける逸話と様子が大きく違っている。出てくる魚の種類は、子持ちの鯉、カワカワス、鰻、チョウザメ、蟹に亀と多彩である。どうもこれを真面目に解釈すると、これらの魚は人間の暗喩になっている様で悉く皮肉が付きまとう。教会批判と自己批判が入り混じって毒々しい。要約すると、「なるほど説教しても、口をパクパク食いまくるわ、歯を尖らして争うわ、ゆっくりと急いで詰め寄るわ。説教なんて、上等も下衆も頭を上げ、神の求めに応じて神妙に聴くだけ。説教終われば皆が全てを忘れ、カマスは泥棒に逆戻り、鯉は食い道楽、鰻は凄まじく愛し合い、蟹は逆戻り、元の木阿弥。」となる。

聖アントニウスが従事した改心への異端撲滅任務こそが、ジャンヌ・ダルクやガリレオ・ガリレイ、マルティン・ルターを弾劾裁判へと追いやった事を想起させる。これらの民謡が宗教改革に上手く利用されたのだろう。こうしてブレンターノとアーニムはロマン派運動を形成して行き、前者の妹で後者の妻ベッティナ・フォン・アーニムはグリム兄弟を助け、後年初期社会主義に参加していく。

この民謡集を使って、交響曲集を作曲したのがグスタフ・マーラーである。彼は、マンハイムのドイツロマンティック歌劇「魔弾の射手」の作曲家フォン・ヴェーバーの図書室からこの民謡集を見つけた。ピアノ伴奏の歌曲集のために21作を作曲している他、交響曲にも使っている。上の民謡は、第二交響曲の三楽章として殊に有名である。宗教改革によって揶揄されて意味を付加された聖者の逸話が、このカトリックに改宗したユダヤ人作曲家によって再び変調された説教となっているので耳を傾けてみたい。

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飛び地に生きるロマンシュ語

2005-03-13 | 生活
トップ・オヴ・ザ・ワ-ルドをコピーとするサン・モリッツは、海抜1856メートルに位置する。ドライ・シャンペンのような気候とも謳うだけあって、年間平均322日間太陽が降り注ぐ。そのようなイメージや高賃金を見込んで、観光関係従事者も多くの外国人労働者が集まる。だから意識して地元の人と接触しないと、ここがロマンシュ語の地域である事に気が付かない。

この言語は、スイスの第四の公用語でラテン系言語である。これに近い言葉を使う地域は、欧州内で数箇所あるようだが、飛び地になって存在するドロミテ渓谷の四つの谷の存在が最も興味を引く。お互いの土地で聞くところによると、その言語は殆んど変わらないと言う。直線距離で200キロほど離れ、途中には海抜2000メートルを超える峠が最低二つは存在する。ドロミテの場合は、イタリア政府が少数民族政策を採っていないのでロマンシュ語は公用語とはなっていない。そこから峠を越えて、この両飛び地の間に位置するのが、ハプスブルクの権勢のもとに発達したドイツ語圏南チロルである。両飛び地の直接の交流は皆無なので、双方とも古の文化を谷深くで保持していると考える事が出来るだろう。

サン・モリッツのあるエンガディーンの谷から西に向かいユリアパスを越えて、ライン渓谷へ降りて行くとクーアという町がある。そこから更に河を下るとワインが栽培されている。そこのマリエンフェルトのピノ・ノワールを飲んだ。シュペート・ブルグンダーならずそこではブラウ・ブルグンダーと呼ぶ。オーストリーも同様で、写真で見る限り葡萄の色が青く黒ずんでドイツのものよりもピノ・ノワールに近いのかもしれない。2003年産のこのワインは、14パーセントという通常でないアルコール濃度であった。軽さを備えていたので、表示を見るまではその事に気が付かなかった。その地方でそれ以上のご当地物を求めるのは所詮無理である。それ故に、それなりに貴重なワインであった。

高所にはワインは育たないので、近くの谷のワインを消費する事になる。それでも何故か、ドロミテの谷で飲んだアルコール類とここで飲んだワインがどこか共通しているように思う。高度の影響ではなくて、ご当地の人や形に通じる素朴な共通点がある。素朴と言っても、ドイツ語圏やトスカーナやスコットランドのような粗野な感じがないのも好ましい。
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アマデウス君への反対尋問

2005-03-12 | 文化一般
ベルリンの新しいモーツァルト肖像の真偽に関して有力な疑問が呈され、これをFAZ紙が伝えている。原告のミュンヘンの国立公文書資料館は、先ず何よりも経済危機にあった作曲家が堂々として太り気味なのが気に入らないらしい。伝承されている熱狂的な作曲家の眼に対して、青く丸い眼が描かれているのも気に食わない。申し立て理由として、その言われる日程では画家に描かしている時間が無かったというのである。更に当時の常として、描かれた人物の本業への示唆が何処かに入っていて然るべきと言うのである。当地で有名だった作曲家のその絵が、何故作曲家の死直後に見付からなかったのかと問う。画家側の全作品カタログにもこの作曲家の名前がないのも事実だ。1906年にミュンヘンのグラスパラストでこの絵と共に展示されたペンダント型の女性画に、この緑色の燕尾の男が寄り添って描かれていると言う。コンスタンツ・モーツァルトは、当時ミュンヘンには居ない。つまりその夫婦は別人で、嘗てアマチュア家族研究家によって調べられていた。該当の絵は、1934年にベルリンへと売却されて、その一枚は紛失した。公文書資料館は、描かれていた人物はシュタイナーといいミュンヘンの市議であって、「プロイセンは、またもやミュンヘンから市議を、モーツァルトをベルリンから奪い取った。」と断言する。

これによって真偽が覆されても一向に構わない。その節ネットでネオナチ団体などのサイトがこの新しい肖像画の記事を扱っているのを見た。それらのサイトのように情報の一部を拡大して英雄崇拝したり何らかの神格化に勤しむ向きにはこのような情報の混乱は困るのではなかろうか。そのような人達にとっては、些細な情報の一つ一つが都合の良いように積み上げられて重要な論拠になっているからである。本来は証拠開示も、被告が存在しない限り、用を成さないと思うのだが。

ネットサーフィンをしていて、「理論物理学者アインシュタインの業績は本人でなくとも誰かが必ず完成させていたが、モーツァルトの作曲は他の誰にも出来ない。」と云うような一節が目に入った。確かに情報集積的な学術と新奇な発想を狙う芸術の場合は大いに異なるが、特に理論体系の構築や概念掌握への探求は前者の理論自然科学分野ものであり、後者では伝統継承されたものを実験素材として具象化する方法に重きが置かれる。実際モーツァルトは、同業者シェーンベルクとは違い、理論の構築による創作の経済には殆んど寄与していない。それどころかその作品は、絶えず消費され使い古される危機に面している。

物理学者アインシュタインの数学力なども既に周知のことで神格化をする必要は無いように、作曲家も同様である。教育環境や時代・社会背景などの偶然と必然も大きな要素となることをここから学べる。只、洞察力や主義の相違が創造への具体的な希求の違いになるので、この様な比較の例えは些か具合が悪い。天才が天才たる所以は、発想の展開を辿ってこそ初めて立証出来る。


参照:達人アマデウスの肖像 [ 音 ] / 2005-01-19
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Fontina Val d'Aosta

2005-03-11 | 料理
フォンティナ・ヴァル・ダオスタは、スイス・フランスからイタリアへ抜けるアルプスの南側のアオスタ渓谷で出来たチーズである。

夏季に搾った牛乳から半硬のシリンダー型のチーズが生まれる。三ヶ月ほどの熟成で、青黴が生えている。それほどに強い匂いや味があるわけでないが、藁の草生した匂いが夏の高原の牛糞の香りそのものである。

スイスから向うと、セントバーナード犬で有名なサン・べルナール峠を越える。シャモニからはモンブラン・トンネルを抜けて、アオスタ渓谷の有名な登山基地クール・マユールに出る。そこにはモン・ブラン南面のアルプス最大級の壁が聳え立つ。

ここから明るい谷を下っていくとトリノを中心とするピエモンテに出てくる。アオスタ渓谷にかかる地域にも、マッジョーレ湖に向かった方にも、ワイン産地が散在する。有名なピエモンテのランゲ山地を除くとネッビロ種の繊細な赤ワインが多いようだ。
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滑稽な独善と白けの感性

2005-03-10 | 歴史・時事
フランクフルトへ向う車の中で、「教会は異端者が必要か」というフォーラムの放送を聞いていた。各宗派から現役の大学教授や執筆家の神学博士をお招きして、討論させている。特にユダヤ教との討論が激しく為される。プロテスタンティズムの聖書は、読めば読むほど争点が顕著となるようだ。特にユダヤ人向けに書かれ、救世主キリストによる旧約の成就を記した「マタイによる福音」は相容れないものとなる。聖書を金科玉条とする教義が独善そのものであることは当然だが、今日の教育者でも倫理学者でもある神学者がこれを語るとドグマを超えて滑稽でさえある。故に独善と寛容の矛盾する二面性を自らが内包しなければならないのだろう。

バッハの受難オラトリオも、マタイによる福音によるものは特別なようだ。ドラマティックな要求から二組の合唱と二群の楽団に分かれていることも特筆される。ヨハネによる福音のものは1723年3月26日にライプツィッヒで初演され、その後そこのトーマス教会の職に就く。そしてマタイは、最近の研究によれば1727年に第一版が初演されたとある。100年後の1829年のベルリンでのメンデルスゾーンの復活再演が象徴するように1729年に少なくとも再演されている。一昨日のプログラムには、その後1736年から1742年にかけての作曲家本人による改訂版の上演が記されている。

この様な特別な編成の解釈に、トーマス教会には二つのオルガンが存在したからだとか、ヴェネチアの二重合唱の様な音響効果を指摘する向きもある。現に今回の公演も数年前に会場の音響を理由にお流れになった経緯がある。前回同じコンサートホールで経験した公演は、二組の特色の違う団体が掛け合う形式になっていた。

ピカンデルが作詞したマドリガルの部分で、独唱と合唱のディアローグとなる。「独り言やモノローグをドイツ語では二人称を使うという著名なドイツ語学者の話」を思い出した。実際には自分に「君」と話しかけるのは決して普通ではないのだが、だからこそそれを使う場合は「視点の移行」としての特別の意味を持つ。掛け合いの意味は?あのようなミサを作曲したほどのバッハが、音響効果だけでこのような手段を採っただろうか?この作曲家の楽譜には、ルネッサンスの作曲技法を継承して聞き取る事の出来ない数字やシンボルが隠されていることは周知の通りである。ここでも定旋律の利用だけでなく、最終稿では聖書の言葉が赤インクで書かれているようだ。

現代においてこのような受難オラトリオが「真面目に真っ当に」演奏される事は、益々少なくなって来ている。バッハ作曲においても、マタイよりもヨハン、ヨハンよりもマルコ受難曲の方が、TVソープオペラ「ビッグブラザー」宜しく、ベネルクスの音楽家達の秀逸した演奏によって、直裁に遥かに多くを訴えかける。これらこそが、中欧文化先進国の今日の感性と白けた日々の生活感そのものなのである。

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高みからの眺望

2005-03-09 | 文学・思想
3月6日、日曜日。

気温零下摂氏19度の昨日よりも随分と温かい。ポントレジーナよりサンモリッツ・バードを左に見て、スルレイのロープウエーに乗る。海抜1870メートルの町から、高度差830メートルを一気に登り、そこで乗り換えて海抜3451メートルのコルバッチ頂上へと向う。中間駅には、創業70年のザレワ社の大きな看板が懸かっている。氷河の塊の淵でカービングの板を走らすダイナミックな写真である。それに向かい合う外科病院の看板が目に入る。靴先が崖淵より食み出すスキー板を懸垂氷河の下から見上げた写真の下方に大きく書いてある。「その前に今ひとつ自己紹介させて頂きます。」と。

スキー客に混じって、黒服の帽子を被った男がいる。長い茶色の髭を幾つも編んで複数のお下げにしている。連れている男の子も黒服である。チューリッヒのツェントゥルム・シュトラーセで見るようなラビの正装ではないが、黒尽くめである。ヘブライ語を喋っている。ユダヤ人街で見る光景とは違い、その佇まいだけで一瞬にして周りの風景を変えてしまう。

親子を乗せたゴンドラは頂上に着いた。展望台のテラスからエンガーディーンの谷が雪煙の霞を通して、左右に大きく横たわる。西のユリアーパスを正面にして、右のサン・モリッツの町から細く湖が見え隠れする。そして左側のマロヤパスへと向うジルスの町へと続いている。黒服の親父さんの目に映った世界は、谷の広さといい、深さといい唯一神の創造通りに違いない。大海に島を配するように造形が定まり、有るものが有るべき所に配置される。俯瞰は出来ないが 少 し 高 み からの眺望を得る事が出来る。凍りついた氷河湖面に乗った雪も、そこでのマラソンのために付けられたコースも、黒光りする森が縁取る道路も人々の営みも全てが絶対の摂理の下に存在している。

ここサン・モリッツの風光は、谷を隔てたトーマス・マンの「魔の山」で有名なダボースのそれとは大きく異なる。イタリアへと抜ける峠は、陽に包まれ白く輝く。標高も高く空気は軽い。狭く曲がった谷の角に位置するダボースの生活のような隠遁の感はここにはない。雪山遭難への憧憬もなければ、水平と垂直の世界の葛藤もない。セガンティーニらが描いたように空が拡がる。限りの無い青い空と対峙することになる。

ここの湖の町、ジルス・マリアでニーチェは、6年間のシーズンを過ごした。「ツァラストラはかく語りき」、「善悪の彼岸」や「アンチ・キリスト」などをここで著した。彼の生まれ故郷の中部ドイツとは大分違うが、本人は血が合うと言って、「強く明るい風光の中で、住み良い。真に稀ながら穏やかさと厳かさと、神秘性が入り混じっている。それゆえにジルス・マリア以上に気に入った所はない。」と絶賛している。
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ドイツワイン三昧 第三話 2005年版

2005-03-08 | ワイン
名前
ミュラー・カトワール

場所
ノイシュタット アン デア ヴァインシュトラーゼ

特記
フランス名前から分かるようにカルバン派ユグノーの家系。 1744年以来の九代目。中小規模高品質の醸造所としても近年脚光を浴びた。その後の品質も安定している。

履行日時
2005年2月28日

試飲ワイン
2003年ムスバッハー・エーゼルスハウト辛口リースリング、
2003年ギメルディンガー・マンデルガルテン、
2002年ハルター・ブュルガーガルテン辛口リースリングキャビネット、
2003年ハルター・ブュルガーガルテン辛口リースリングキャビネット、
2003年ハルター・ブュルガーガルテン半辛口リースリングキャビネット、
全5種類。

感想
最初の最も廉価なワインが出色であった。その豊かながら引き締まった芳香に気が付かざるを得ない。懐かしいような青い林檎の香りである。口に含むとこれまた刺激性が無くて、中から心地よい酸味が出てくる。林檎酸の含有量が高いのだろう。勿論後味もここの特徴ですっきりと嫌味がない。濃くもあり薄っぺらい感じがしない。専門誌ヴァインプルスの「特に素晴らしい」87点よりもコストパフォーマンスで加点したい。久しぶりの軽量快適リースリングだ。それに較べマンデルガルテンキャビネットでは、公証で半パーセント高いアルコールが強く出て、ミネラル風味とのバランスが今ひとつであった。ブュルガーガルテンは内容が詰まっており例年ラインガウ・ワインをを果実風味にしたような特色だが、2003年は典型的な藁のようなリースリングの香りが高く、通常ならば最高の品質である。只、前者の軽量物と比べると重みが増し2003年の陽の恵みがかえって印象を鈍重にしていた。2002年は青臭いの評価が出たものだったと記憶する。半辛口ワインは、噛むと味が出ると週刊誌ブンテ誌に書いてある通りである。ワインを噛むよりもどちらかと言うと食事を噛みたい。2003年の此処のワインは、大味になるところを上手く抑えてあるので推奨できる。

総論
決して最高級のグラン・クリュなどの特等地所を持たないが、媚びない味の醸造技術や姿勢が素晴らしい。このようなワインを共感を持って評価し合うのは、なんと言う至福の時であろうか。最高級ワインの三分の一もしくは半額の価格でそれらと比較出来る素晴らしいワインが存在する事に感謝したい。同じように高品質でも、飲み方や消費の仕方、保存の期間などで大きく異なる。つまりこのようなワインは、長い保存期間を特徴としないので商業的な価値は小さいが、旬を楽しむ地元の愛飲家には夢のようなワインである。適当な時期に一年分ほど買い足しておかなければ、早々に売り切れる。それに比べグラン・クリュのようなワインは、その名声の下に海外にて流通してその文句を言わせない高品質が享受され消費される。対外向けのイメージと堅実な消費への対応商品と両極化していく傾向が見えて、その中で醸造所も棲み分けしていく。繰り返すが、今回最も良かったワインは日常消費出来る価格帯で最も廉価なワインであった。


参照:ドイツワイン三昧 第三話 [ ワイン ] / 2004-11-07
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ドイツワイン三昧 第一話 2005年版

2005-03-07 | ワイン
名前
バッサーマン・ヨルダン

場所
ダイデスハイム

特記
96年の親方交代時期の低調からの脱出が伝えられて久しいが、今回の試飲を以って完全復活を祝福したい。伝統的な個性を継承しながらバラツキの少ない質を維持して、新しい都会的な軽やかさを身につけた。

履行日時
2005年2月28日

試飲ワイン
2004年ダイデスハイマー・キーセルベルクの辛口キャビネット、
2004年ルパーツベルガー・ライターパードの辛口キャビネット、
2004年ダイデスハイマー・ラインヘーレのキャビネット、
2003年フォルスター・イエズイテンガルテンのシュペートレーゼ、
2002年ダイデスハイマー・キーセルベルクのシュペートレーゼ、
全五種類。

感想
キーセルベルクの2004年辛口キャビネットは、飛びぬけて良かった。土地の良さが素直に出るような控えめさと、此処の伝統的なアロマの出方が巧妙である。つまり此処のワインを愛している者にとっては間違いない選択である。この控えめさこそが現親方の美質である。次のワインは、ガラス製の封を使っており、開け締めが出来る。独特の濃くがありながらも、まとまりがあまり良くなかった。2003年のラインヘェーレのキャビネットは幾分大味である。甘口のシュペートレーゼでは、2003年のイェーズイトガルテンが流石に寝かせておけるだけの内容があった。しかし酸と糖の強さが無く、10年以上の長期保存にはあまり適さないだろう。

総論
今回は試飲しなかったグラン・クリュの特等地所ワインと一般消費用の手頃な価格帯のワインの色分けも注視したい。そのような洗練した旨味のある辛口ワインだけでなく、長期保存向きの強い甘口ワインが今後提供されるかにも注目。ラインガウのロバート・ヴァイルや地元のフォン・ブールなどのグラン・クリュ名門醸造所同士で共同試飲会を行うようなことなどは、以前では考えも出来なかった状況の変化である。これらの企画が少なくともドイツワインの内外でのイメージ向上に繋がる事を期待したい。


参照:ドイツワイン三昧 第一話 [ ワイン ] / 2004-11-07
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ドイツワイン三昧 第一話

2005-03-07 | ワイン
2003年5月編集

名前
バッサーマン・ヨルダン

場所
ダイデスハイム

特記
指折りの名門、数年前までは100%リースリング。醸造親方の高齢化と交代でポケットジョンソンなどでも不調が伝えられるとことなり、実際低迷の感があった。キャビネットクラスではステンレスタンクでの近代的な醸造法に転換されたようで復活の様子。

履行日時
2003年5月16日

試飲ワイン
2002年ルパーツベルガー・ライターパードの辛口リースリング、
2002年ダイデスハイマー・キーセルベルクの辛口リースリング、
2002年フォルスター・ウンゲホイヤーの辛口リースリング、
2002年ルパーツベルガー・ホーエブルクの辛口リースリング、
2002年ヴァイサーブルグンダー、
2002年シャドネー、
2002年グライワーブルグンダー、
全七種類。

感想
2002年のリースリングは、何れも瓶詰め後未だ新しいせいかまろやかな香りが漂う。色から察するにも果汁の比重は十分だが、軽みがある。酸味も同様に強く出ている訳ではなく、アルコールとのバランスも良い。特にルパーツブルクの物は、土壌の質からミネラルに満ちた味。その点からも秀逸。ただし人によっては、当家のワインの特徴である食道へと沁みる酸が好まれないかもしれない。その点ヴァイスブルグンダーは、万人に好まれる口当たりが良いワイン。ただ香りに特徴が無いのが、フランスワインと違う。

総論
繊細さが増し、伝統的な醸造法の特徴を残しながら現代的な嗜好にもマッチしてきた。値段設定もカビネットで900円ぐらいと、経営努力が見られる。往年の一等級の畑ルパーツベルク・ホーへブルクを土壌から改良復活させたようで、根本からの品質改善が推進されている。今後品質評価受賞の機会も増え、再び注目されよう。
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われらが神はかたき砦

2005-03-04 | 文学・思想
重要な宗教改革に、礼拝の形式が含まれる。ルター自身も、様々な材料を基に賛美歌を作曲している。この影響は、バッハの作曲への使用 の み に 限 っ て も 多大である。それらに関しては改めて扱いたいが、同名のカンタータ「われらが神はかたき砦」BWV80が殊に有名である。

その賛美歌を素材として、宗教改革300年後1830年に初演されるべく作曲されたのが、メンデルスゾーンの第五交響曲である。この作曲家には、やはり聖歌を使ったグーテンベルクの400年祭の1840年に初演された第二交響曲が存在する。第五交響曲の解説では、「ドレスナー・アーメン」といわれる古い旋律をヴァーグナーが十字教会で聞いて後年「パルシファルの聖杯の動機」として使う事とこの「われらが神はかたき砦」が四楽章の主題であると決まって記してある。前者の起源や原型にも、ヴァーグナーの創作と共に大変興味があるのだが、十分な資料は直ぐにはネットでは出てこなかった。

結局この第五交響曲は、政治的な困難を伴ない予定の祝典を飾る事が出来ずに、二年遅れの1832年にベルリンで初演された。ハイネなどに「まやかしの信仰」と叩かれ、作曲家も三省して生前の出版とはならなかった。ドイツ主義の渦が巻く真っ只中、1829年にマタイ受難オラトリオを復活上演してバッハの復興を先導していたキリスト教徒作曲家の判断であったろう。

フェリックス・メンデルスゾーンの活動において、祖父の1729年生まれのモーゼス・メンデルスゾーンの存在は大きい。貧しいユダヤ人としてのその伝統的な教育を受けると同時に西欧の自然科学などの教養も吸収する。絹工場で働きながら帳簿を預けられ、何時しか共同経営者になっていく。ユダヤ人としての居住の制限の下でも、レッシングなどとの親交を結び、ユダヤ人への時代錯誤の認識を警告する。1763年には「形而上学の明証性への考察」でプロイセンの賞を受け、アカデミー会員に推挙されたが啓蒙の王フリードリッヒはこれを認証しなかった。

その後も啓蒙思想のモーゼスは、ユダヤ社会のドイツの大地における疎外を取り除くべく活動する。ヘブライ語の聖書のドイツ語への翻訳を遂行する。しかし文字はヘブライ文字を使わなければいけなかった現実は見逃せない。多くのユダヤ人はドイツ語の教育を受けていなかった。ヘブライ文字のドイツ語がユダヤ人ドイツ語を生んでいく。ユダヤ教とプロテスタントの融合を図る試みとして今後とも彼の活動は繰り返し取り上げられるだろう。キリスト教を諭しの宗教として、ユダヤ教を戒律の宗教として定義したのは彼である。そして彼の活動に対して最も厳しく抵抗したのは、当時のラビたちであった事も記されている。

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マルティン・ルターのグロテスク

2005-03-03 | 文学・思想
このサイトの護り神でもあるマルティン・ルター博士は、1534年に記している。「其々に自らの悪魔と云うものを保持している。我々ドイツの悪魔は、都合の良いワインの革袋になっている。これを大酒飲みと云う。ワインやビールを大飲みしても灼熱の渇きは癒される事はない。そのような永遠の渇きがドイツの憂いであり今日まで続いている。」。1517年に始まった宗教改革の波は、食生活にも影響を与えたという。政治的には反宗教改革から三十年戦争へと進む中での発展途上国へと戻るような甚大な被害が拡がる。同時に天候不順でワインや果物の収穫が落ちて、ワインはそれ以前の中世後期に較べて高価な飲み物となった。しかしビールに対してワインは、必ず結婚式などの祝典には欠かせなかったようである。しかし多くの中世の食文化はこうして葬り去られた。ご多分に漏れずヨハネス・グーテンベルクの印刷技術の恩恵を受けた料理書の影響も大きいようである。そして啓蒙主義の時代へと連なっていく。

宗教改革後、魔女狩りや錬金術師が横行して、ゲーテの手本となるファウストの伝説などが取り扱われたのがこの時代であることも忘れてはならない。デューラーの弟子、当時から更に200年前のペトラルカの詩の挿絵で有名なハンス・ヴァイディッツには多くのグロテスクな木版画が存在しているようである。彼が描いた1521年の「人間ワイン革袋」の絵もルターが言う当時の状況を如実に表している。1530年のオットー・ブルンフェルツの植物の書物への絵も見事である。グロテスクといわれる意匠の流行は、1528年出版のルーカス・フォン・ライデンのマスター集が切っ掛けとなったようである。

1912年生まれのイタリアンルネッサンス学者アンドレ・シャステル氏の著書を読むと、グロテスクの特性を「空間の否定、種の混合、形式の無重力化や大胆な雑種の繁殖。図的遊びで得られる密や量の無い垂直の世界。厳格と夢のような気まぐれの混在。」と定義している。
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試飲百景-深い香りの中で

2005-03-02 | 試飲百景
客人があって、二軒のワイン醸造所で試飲をした。試飲の内容は改めて報告するが、先ずはその風景から。旧知である同行者のワインに対する判断に驚き、味覚の蓄積と呼べるような学習効果を目のあたりにした。このどちらかと言えば下戸の人間が、この間数多くのワインを口にしてリースリング愛飲家に「成長」して行く過程は瞠目に値する。既に香りを吟味する時点での達人のような態度を玄人は見逃さない。集中した試飲となる。

試飲室に入った時は、月曜午前中に関わらず先客が居た。その先客が語るには、近所の巷のワイン農家で赤ワインなどをそこへ来る前に物色してきたという。ヴィンテージについて意見を語って貰った。彼に言わせると、2003年の記録的な猛暑が与えた影響は大きくて赤ワインには大変満足しているという。それに較べてこの名門のリースリングは想像していたように十分な陽の恵みが得られていないと感じたようだ。結局、リースリングでなくてムスカテラーと云う特別な味のワインを買い込んで行った。この30代前半の男性の嗜好は理解出来る。この趣味は極一般的なのだが、見るからにワイン愛好家だけにこの男性の学習力の限界は残念である。各々が独自の趣味と感性を持って選択するのは麗しい。しかし、その差異に気が付かずにいるのを見るのは悲しい。

審美眼と云うような難しいことではない。要するに、この先客はそれまでの試飲でめぐり会えたであろう良きアドヴァイスを聞き逃しているのである。自分の嗜好に合う意見のみが蓄積され、他人の違う指摘に耳を傾ける事はなかったのではないだろうか。好き嫌いの選択ではない。鈍感なのである。視点ならず感点の相違に気が付いていない。ワインの消費には、其々の目的があって一概に言えない。食事抜きで飲料を楽しむ人、寝酒にする人、ワインに合わせて料理をする人と様々である。しかし、質の評価とこれは別物である。その好人物だが神経の十分に張っていない先客が支払いを終えて先に席を出て行った。

それに較べ同行者の含蓄のある意見は、高級リースリングの本質に迫っていた。香り、酸の出方、残り味等々である。特に「青臭いの表現」は、通常ワインに使われる事がないので気を引いた。地所の土地組成への興味や特定の地所への思い入れも、昨今のドイツワイン協会のグランクリュ等級制への取り組みに対応している。彼は、ワインの書物などを殆んど読む事もなく、只自宅では今まで100本程のドイツワインを試し、旅先で世界中の様々なワインを試した。こうして辿り着いた結論は、リースリングワインは最高の白ワインでありこれに比するワインは少ないという事である。確かにこれは正しくて、フランスのパフュンのような軽やかさを除けば、フランスの白ワインはドイツのリースリングをなかなか超えられない。

高級ワインの醸造と天の配剤に気づく事は、確信と喜びを知る事そのものである。これは芸術文化の美の意識や巧みに相当する。古い醸造所の敷地に町の古井戸があった。これは、16世紀中旬まで公共で使われていた。写真の井戸水のように、ワインの芳香は汲めども尽きない。
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