Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

2006-01-01 00:07

2006-01-01 | 









2. Chorus
Oh, the pleasure of the plains!
Happy nymphs and happy swains,
Harmless, merry, free and gay,
Dance and sport the hours away.
For us the zephyr blows,
For us distills the dew,
For us unfolds the rose,
And flow'rs display their hue.
For us the winters rain,
For us the summers shine,
Spring swells for us the grain,
And autumn bleeds the wine.
Oh, the pleasure. . . da capo.


12. Duet
Galatea, Acis
Happy we!
What joys I feel!
What charms I see
Of all youths/nymphs thou dearest boy/brightest fair!
Thou all my bliss, thou all my joy!
Happy. . . da capo



Georg Friedrich Händel
ACIS AND GALATEA
(c. 1718)

A Serenata; or Pastoral Entertainment
Words by John Gay, Alexander Pope and John Hughes
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文化的回顧と展望

2006-01-01 | 生活
年の変わり目に、文化的回顧と展望を書き留める。

見落とした新聞記事から、2月18日の米国とオランダの研究による重力自動ロボット開発は、5月12日の記事の自己増殖型の機械と並んで注目を引く。宇宙活動ではホイヘンスに並んでハヤブサも話題となった。量子コンピューター分野でカリシウムイオンによる量子ビットの製造に成功したと言うインスブルックの研究とそのアルゴリズムにも興味が行く。

更に文化欄から、モーツァルトの未完成ハ短調ミサK427がカーネギーホールで2005年1月にロバート・レヴィンによって補筆完成、ヘルムート・リリング指揮で初演されている。ボート・シュトラウス作品のディーター・ドルンやルーク・ボンディー演出のパリを含む各地での成功の一方、記念年のシラーは各地で現代に役立つ課題を掻き集め掘り起こしての上演を余儀なくされたと言う。

同様に2006年に記念年を迎える文化人が列記されている。先ずは、シラーと同じように取り扱いが難いのが没後150年のハインリッヒ・ハイネではなかろうか。反面、間違いなく興味ある存在で、今後も改めてここで扱う。没後100年のイプセンと生誕百年のサミュエル・ベケットも挙がっているが、後者はきっとこの年を有効に生かせるだろう。それに比べると没後50年のベルトルト・ブレヒトと生誕150年のジグムント・フロイドはそのイメージに新たな事象を加えて、記号化したステレオタイプの肖像から逃れる事は難しいのではないか。1951年にビュヒナー賞を獲得した没後50年の詩人エッセイストのゴットフリード・ベンや同じく生誕百年のハリウッドの映画監督ビリー・ワイルダー関連では新たな出会いがあるのだろうか。時代を遡ってレンブラント・ファン・レインは、その自画像の如く400年後に暗闇から再び姿を現すか。

それほどの年月どころか250年後にも再生登場するのが困難になっているのは、モーツァルトではないだろうか。そのオペラなどの情感や感興の繊細さは、記念の年の喧騒にはそぐわない。寧ろ月並みなメロディーなどが巷に溢れ、尚一層イメージが固定され強調されて、喧騒の中でのBGM化が更に進み、その音楽は朽ちて行くのだろう。グロテスクな環境の中でより強い刺激を求め、記号の洪水の中から瞬発的に定型を読み取る認知力に犯された不感症な我々の感応力が問われている。それをどういった形で示すかが、夕刻から中継されるベルリナーフィルハーモニカーのジルフェスター・コンツェルトのモーツァルトプログラムに問われているものなのである。


PS.フィルハーモニーからの中継を観る。上手に演奏して、抜群の技術的繊細を示す。軽やかな弦の扱いも見事である。要求すればするほど、発止とこなせばこなすほど、その表現の目的に首を傾けざるを得ない。牛刀で小魚を下ろすようなもので、こんな状況は、とても長くは続かないだろう。ベートーヴェンのようなダイナミックスを後輩作曲家の責任にしても仕方ない。サイモン・ラトルが鉄のカーテンを幕引きをしたミヒャエル・ゴルバチョフのように見えてしまう。管弦楽団といい歌手陣といい、如何したものか。幕は一向に下りないが、仕事納めは済んだ。
コメント (4)
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