Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

熱いイェーガーテェー

2006-01-16 | その他アルコール
スイスから戻って来て、イタリア料理店へと駆け込んだ。牛肉の細切り肉をこってりとした甘みのあるバルサミコソースで和えたものを、ルッコラサラダに乗せて、新鮮なパルメザンチーズを置いたものを摂った。山の上で昼に食した豚肉を使ったミラノ風カツレツの黄身がオムレツのような感じで美味かったので尋ねてみる。スパゲッティーに乗せたこのカツレツこそが、良くトマトソースにも合って、スプーンが付いていたがナイフとフォークだけで食べるには最適であったからだ。ドイツでは、シュニッツェルと言う強豪があって余り売れないらしい。ラデツキーマーチのラデツキー伯がミラノからヴィーンに持ち込んだヴィーナーシュニツェルの原型である。

一汗掻いた後のビールが何よりも美味いのはお馴染みだ。何処のスキー場も降りて来た所かそれともその少し上に最後の一休みを満喫出来る所がある。そこへと地図を確認しながら慎重に降りて来て、一気に疲れを癒す。「飲んだら滑るな、滑るなら飲むな」を座右の銘としているので、昼食の時にも我慢しているが、そこまで降りてくると無性に咽喉が渇く。ビールを飲み干し咽喉を潤すと言いたいが、見る見る内に泡が凍っていった。明くる日も谷へ降りても、摂氏マイナス14度と非常に寒く、金曜日で人も少なくて微風が余計に堪える。ビールを諦めて熱いイェーガーテェー(狩人のお茶)とした。紅茶に赤ワイン、シュナップス、レモン、オレンジ、砂糖、シナモン、チョウジを入れて炊いたもので、アルコールも強い筈だが余り体が温まらない。それも直ぐに冷たくなるので、残念ながら長居は出来ない。そこから車のある駐車場までは一滑りである。

ビールを飲んだ場所は、アルムの小屋であるが、お品書きにあるようにベルクケーゼを直売りしていた。小屋の窓から顔を覗かす親爺の顔を見て、偽物ではなく手作りと確信した。当日は泊まりであったので、それを買い損ない残念である。



参照:
一杯飲んでタミフル要らず [ その他アルコール ] / 2005-11-21
アルムの牛乳チーズ [ 料理 ] / 2005-01-23
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上がったり、下がったり

2006-01-15 | 生活
ヴェンゲンでスキーワールドカップの試合が開かれている。伝統あるスキー競技会の一つで、特にその滑降コースは、所謂「ルーシの跳躍」と言うようなカーブしたジャンプなどを含みトリッキーな感じすらする。今回は、滑降のスタート地点に居て、下部からスタートする複合競技自体は観れなかったが、場内アナウスだけは聞こえていた。ベンヤミン・ライヒが勝ったようだ。自分のカメラでヴィデオを録りたいとも思ったが、断念する。

ヴェンゲンは、グリンデルヴァルトからすると反対側のミューレンのあるラウターブルンネンタールへの斜面の中間に位置する。雪が充分にある時は、スキーでクライネシャイデックからヴェンゲンの町まで降りて、また戻って来る事も出来るが、そうでないと林間コースが主体となるので然程面白くない。その下の谷底から町まで上がるのに、車を降りて列車に乗り継がないと到達出来ないのが、何よりも面倒である。それに比べ、グリンデルヴァルトは雪に閉ざされる事も少なく、比較的容易に町へ直接車で乗り入れる。

夏は盛況な世界的な山岳基地も冬はどちらかと言うと、そのスキー場の大きさの割りに余り人気が無い。特にクリスマス休暇の時期は、雪不足で谷の車の駐車場まで滑り降りれる可能性が少なく、物足りなさもある。グリンデルヴァルトの町から直接後ろの山を、ヴェッターホルンを間近に見ながら滑る事も出来るが、大きなスキー場へはグルントと言う谷間の駅まで降りて行かなければならない。ラインホルト・メスナーが誰かと待ち合わせた時に、上と下の別々の駅でお互いに待ち合っていたと書いてある。

そのような欠点があるためか、如何してもこのスキー場は他の高級スキーリゾートに比べると野暮ったいままである。咋シーズンを、サンモリッツで滑り終えた為かその違いは顕著である。それでも当方からは、日帰りで行くには惜しい近場の大スキー場であるため、定宿を持っている。今回もそこに泊まったが、二年前からオーナーが変わっているのを知った。料金も値上げされていた。以前は一人35CHFから泊まれたのが、50CHFになっていた。それもシャワー付きになると70CHFとなりスキー旅行には些か高価である。以前のオーナーの時もバスで来る団体を泊めたりして、最後にはアラカルトの食堂は無くなってしまっていたのも残念であった。

今回初めて、道路の反対側のシャワー・トイレ無しの部屋に泊まったが、静かで良かった。食堂は、また昔のようにアラカルトとなっていたが、手抜きのキッチンには失望する。それでも料金は通常に取る。朝食も特に良くなくて、どこか一点でも自慢出来る物を提供して欲しかったが結局は探せなかった。部屋は元々比較的広々としており長逗留にも向いているので、譲渡されてからも改装はしていないと言う。しかしあのままでは、以前の常連さんは逃げて仕舞わないだろうか。

この町は、槙有恒のアイガー東山稜の初登攀以来日本との関係も強く、多くの観光客を呼び寄せている。ホテルに婿養子入りしている日本人や日本人観光案内嬢もいるようだ。冬の町中は足場も悪く、ウインドーショッピングすらも儘ならない。嘗て、インテルラーケンの輸出ビールの事を書いたが、ゴンドラに書いてある「楽しいドライヴを」の訳も何か可笑しい。要は「気をつけて」滑って下さいとのことで、自動車の宣伝ではなかったと思うのだが。

色々とけちをつけたけれど、ここのそのような素朴さは尊い。マッタータールのツェルマットの様には辺境にはないけれど、その様に高級ではない。マッターホルンのようにアイガーは美しくはないが、北壁の威圧的な絶壁は誰にも印象に残る。そこからメンヒ、ユングフラウへと繋がる峰は美しく、ヴェッターホルンの山容は堂々としている。宿は今後考えないといけないが、この山域の常連客であり続けるのは間違いないだろう。



参照:エクスポートビーア/Das Exportbier [ その他アルコール ] / 2005-04-08
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ラジオに耳を傾けて

2006-01-14 | 生活
グリンデルヴァルトでシーズン初スキーをする。朝から薄暗闇に車を走らせる。途上に聞くラジオの見聞だけでも盛り沢山である。前夜から所謂アイスレインと言う、振る矢先から凍り付く雨が降って、その量や温度はそれ程でもなかったが、ニ三件の事故を目撃する。ラジオが伝えるには、ルートヴィヒスハーフェンからマンハイムへのライン河越えの橋の上で多数の事故が発生、最も被害が大きかったようである。橋の上は風が吹きすさび凍結しやすい。普段は温暖な地域でも気象条件が揃うと必ず事故の発生する幾つかの危険箇所が存在する。エルザスでの、トラックに突っ込んだ乗用車の死亡事故も関係があるのかどうか判らぬが、フランスの国境ではトラックの税関で何処も大渋滞していた。9.11の当日の風景を思い出す。

歌手のビルギッテ・ニルソンが既に亡くなっており、生まれ故郷で埋葬されていた事を伝える。インタヴューの録音を交えながらその芸と人となりを詳しく紹介している。ヴィーラント・ヴァーグナーとの協調上演こそがバイロイトでの本格的な活動の場であった事、多くの指揮者とはその歯に衣を着せぬ物言いで余り良い関係を築けなかった事、特にカラヤンには「心が籠って無い」と言われて「心はお金と一緒に金庫に締ってあるのじゃないの」と皮肉を言ってのけ、「この時ばかりはお互いに心から通じ合えた」と言う。それでも何故かこの人にはその声や喋り方に可愛いらしさがあり、お高く留まっている大プリマドンナとは違う親しさがあった。その芸も、中音域の不足やその最高音域の変ロ、ロ、ハ音程の歌い別けが出来る歌唱力の反面、中音域での弱さが指摘される。何れにせよ、フラグスタートとしか比較で出来ぬイゾルデで、またその比類の無いブリュンヒルデで歴史に残る歌唱であった。弱音不足は現代の指揮者にも言えることで、その音響を乗り越えるためには強い声こそが必要だったと言われる。

2006年1月12日は、現象学の哲学者レヴィナスの100回目の誕生日だそうで、SWR2では特番を流している。専門家のサイトによって幾らかは馴染みがあるお蔭で、凍結注意の走行中に係わらず、大変興味深く聞いた。ユダヤ教について語りあったお孫さんの回想インタヴュー等を「究極のヒューマニズム」の説明に交えている。こうして我々一般の聴視者にも大変印象に残り、その業績を認識させるには充分である。スイスのDRS2も誕生日を記念してトピックスとして流す。

フランスの音楽専門波MUSIQUEは、フランスでのアーノンクール指揮の実況録音でモーツァルトを流すがどれもそれほど特別なものではなく、そうこうしている内にスイス国境に辿り着いてしまう。最後までは聞けなかった。しかしその前の時間に流された古楽が、グレゴリオ聖歌との繋がりを詳しく説明していて、ドイツの放送局ではどうしてもここまで深く扱う余裕が無いので、これも興味深い。
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脳に刺激を与えるお話

2006-01-12 | 雑感
先日から気が付いていた細々した事を、何の脈絡無くメモしておこう。

一つは、常時使用している英語版GOOGLEでのこのサイトのランキング移動である。英語版とは言いながら、「wein, weib und gesang(ヴァイン・ヴァイプ ウント ゲザンク」を入れると上位にリストアップされて、トップに位置する場合もある。しかし、流石にと言うべきか、この季節は強敵が現れる。ヨハン・シュトラウスの名曲の名前と言う事で、ノイヤースコンツェルトの影響から、音楽サイツとウイキペディアが上位に現れる。もう一件の強豪は、ワイン農家新聞のサイトである。それら、この言葉合わせが何らかの記事で登場しているサイトを、こちらから開く事は先ず無いが、この言葉合わせをサーチするのは音楽興味とルターへの興味である事からすれば、例えばワイン関係者が「日本語の記事のくせに何がプェルツァーヴァイン(pfaelzerwein)だと思う」事は少ないと予想する。更に英語版と言う事で、こてこてのドイツ人ネット訪問者は少ないだろうから、このHNだけでも幾らかは地元のワインの宣伝になっているとすると喜ばしい。

もう一つは、戯曲「ヴォツェック」を調べていたら、人権委員会の創立者としてビュヒナーの友人としてアウグスト・ベッカーが出て来て驚いた。ドイツ語文学における地元小説の草分け的存在でありながら、なぜこの比較的無名の物書きを知っているかと言えば、そのものプファルツを描いているからだ。いづれこれもここで紹介したいが、必要あれば翻訳せねばならないかもしれない。

この話を元職業学校のドイツ語教師の友人に話すと、流石にただ事ではなかった。早速、「方言で書いてあるのか」と、自らが未だに読んでいない事を認めた。ビュヒナーの話題には、関心がなくてと言っていたのに、状況は一変した。彼は、私の地元郷土話の先生で、自動車クラブの地元ラリーゲームに参加してご指導と薫陶を拝領している。言えば、ドナルド・キーン紛いの身近な者によって、自ら直接知らない阪神大水害を、谷崎文学を通して語られた、神戸っ子のようなものである。

「ハイデルベルク大学の老人講座も歳だから何時までも出来るか分からんし」と言いながら、私が芝居の観衆は若いと言うと、「また一緒に行かなきゃいかん」と嘗て定期会員でオペラと掛け持ちしていた時代を思い出したようであった。幾らかは、彼の脳に刺激を与える事が出来たようで本当に喜ばしかった。

写真は、我が師の獲得したメダルの数々。我がメダルの数はまだまだ及ばない。



参照:
小市民の鈍い感受性 [ 文化一般 ] / 2005-07-10
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11
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シャローンの種

2006-01-11 | 歴史・時事
イスラエルのシャローン首相が死の床にある。宿敵アラファト議長は先に逝去したが、首相に就任してからも容赦無く、PLOの事務局等に対する武力攻撃は激しかった。元々軍人出身で、イスラエルが起こした多くのパレスチナ市民虐殺事件にも直接間接に関与している。

元々、父親はドイツポーランド系ユダヤ人で苗字はシュイナーマンと言うようだ。シオニズム運動に関わっていた父親とロシア系の母親は、モスクワからイスラエルに1921年に移住している。本人は、シャローン平原で1928年に生まれている。

聖書の舞台である共に、シオニズムによる入植地となったこの地域は、以前は排水設備が無く湿地化が進み、マラリアの発生地であった様で、アラブ系の住民の多くは山岳方面に居住していたと言う。

現在、ここはワインを初め、柑橘類や綿花の産地でもある。1880年代にロットシールド家の力で近代的なワイン栽培が始まり現在に至る。最近は、高原の気候を活かした耕作が盛んとなって、元来典礼様であったワインの三分の一を白ワインが占めてリースリングがその主力となっている。

ここで収穫されるシャローンの名前を持ったカキは、種 が 無 く 水気が多く、渋みも無く甘い。
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スクリーンの中の史実

2006-01-10 | 文化一般
スピルバーク監督作品「ミューニック」について記事が載っている。クリスマス前に慌てて米国封切りとして、オスカーのノミネートに間に合わせ、出演者には緘口令を引いて、自らは珍しく作品について語ったと言う。フィクションでありながら、モデルともなっているモサド関連で映画化された「ギデオンの剣」のモデルなどは、偽りの語りで謝礼を取ったとして裁判沙汰になったような裏事情もあるらしい。

イスラエルの情報局モサドとパレスチナ解放軍の「目には目を、歯には歯を」の猫と鼠の追いかけっこを、ミュンヘンオリンピックのテロ事件を絡めて描いた作品の様である。「シンドラーズリスト」のような興業的成功も全く見込めないらしい。ユダヤ系のジャーナリストなどは、退屈で一面的な映画で、監督自身や台本作家が落ち着いていないのはこのためと言う。実際、ドイツにおける公開も一月の末であり、イスラエルにおけるそれも前宣伝に追われているようだ。

「暗黒の九月」テロ事件の時のバイエルン警察の突撃で死亡した代表選手被害者家族にも賛否両論があり、一方では映画の感性を賞賛しながら、一方ではその死によって稼いでいると批判している。モサドの当時の責任者で何らの相談も受けなかったツヴィ・ツァミールは、「スピルバークが俺のお陰で稼ぐのに、切符を買うのも吝かでは無いけれど」と言いながら、「映画で金を儲けるのが主で、スピルバークにとって事実など如何でも良いのだろう」と言い切る。

クリントン政権の外務省に措いて中東を専門としていていた、現在も中東政治のシンクタンクに属するデニス・ロスが呼び掛け人となって、マンハッタンのユダヤ人会で試写会が開かれた。氏は、シュピルバークに二つのシーンを追加させたと言う。それは、アヴネルスの母親とモサド射殺隊の隊長のモノローグのシーンのようだ。こうしてロス氏が言うように、イスラエルの為にもユダヤ人の為にも良い映画となっているらしい。

さて、スピルバーグ映画の本質に迫ろうと言いたいところだが、プロディース作品ぐらいは知っているが監督作品はTVでさえ「シンドラーズリスト」を真面目に観たぐらいで「ET」すらも十分に観ていない。何も言う資格は無い。それでも、自らが言うように「何ら社会を変えようとしない」映画で、史実にも余り拘らない 芸 術 作 品 を観て感じる点は幾つかある。

一つは、映画が配給されるような地域のお客さんのステレオタイプな感受性や月並みな反応を熟知している事。それも、エンターテイメントを求めて、映画館へと足を運ぶお客さんを良く知っている。一つは、映画によって彼らの普遍的な世界観を共有する事が出来る。それも出来る限り、知的な世界観でなくて、共通の文化的意匠や巡り合わせを提出する事に重きが置かれる。一つは、政治的な次元から注意深く離れる事で、二項対立よりも多極化された視点で描く事が出来て、如何にも公平に真実を観ていると思わせる事。

その反面、オスカー・シンドラーのように有能な企業家が自らが自己を破滅に導く過程すら釈然としない映画運びとなるのである。所詮ハリウッド映画と諦観するのは容易だが、観る者に日常の感情を重ね合わさせ、そうして思考するのを阻止する。何となく心に残るのは、赤いブラウスの女の子だったりする。一体このような作品は、何なのか?

ドイツ連邦内に措いて映画館入場者は、昨年度は前年比二割減となった。米国に措いても業界の苦戦が伝えられる。ゲームソフトやTVメディアと並んで映画興業にも翳りが見えて来た。これらは全て、仮想の世界観をスクリーンに写す事によって商業的に成り立って来た。映像表現の可能性とは別にして、劇映画は演劇を代行するのかと言う古い問いが再び繰り返される。

シュピルバーク氏は、今春より250台のカメラをパレスチナとイスラエルの子供の前で廻して、それを双方でお互いに交換して行くらしい。しかしそうして写されるものが、テロへと駆り立てられるパレスティナの若者達を、銃口から逃げ回り石を投げる子供達を写すニュース映像よりも、充分に知らしめるものとなるかどうかは判らない。



参照:
少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
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ライ麦控えめ穀物パン

2006-01-09 | 料理
コルン・アン・コルン・イン・ディンケルを馴染みのパン屋の売り子に薦めて貰った。通常の物と二種類あったが、勿論違う方を試す。大変似ているが、娘が言うには原料が違うのだ。ライ麦の割合が少なく、その分裸麦の割合が多い。ライ麦が多いと黒くなる。肌理が違い、時間が立つと経年変化が大きい。

通常試している物との違いは、写真を比べて見ても光の加減で色の黒白は分かり難いが、そのスポンジの密度であろうか。そのスポンジが違うのでライ麦の多い物より湿り度と口当たりが良い。

味の方は、ライ麦の少ない分香ばしさは落ちるものの柔らかい。しなやかである。バターをタップリと塗るだけで良い。他には何も要らない。



参照:亜種ライ麦パン [ 料理 ] / 2005-07-18
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嫌悪されている女

2006-01-08 | 
イラクで人質となったスザンヌ・オストッフ女史が話題となっている。解放後再びイラクへ戻ろうと言うので、大衆写真紙ビルトなどは批判的に扱っている。それを受けて、本人も最新のシュテルン誌のインタヴューに答えて、「ドイツ人皆に、私は嫌悪されている」と語って、更にバグダットの独大使館を批判したので、余計に話題となった。

更に解放後に頭巾を被ったままインタヴューに応じた。そこで述べられたと言う、人質の解放に尽力したシュレーダー元首相に対する感謝がカットされたとFAZ紙は伝え、そのインタヴューを演出した独第二放送の偏向放送が批難される事となる。そのインタヴューに当たる記事は、現在第二放送のサイトから全て削除されている。

ベルリンの政権交代を見透かして揺さぶりを掛けたには間違いないが、ヴィデオ似あった元々の、犯人の外交的要求は何であったのだろうか。犯人グループはどうもアルカイダ一味と言う事なので、小額の 必 要 経 費 だけで解放されたとは信じ難い。人質本人がアラブ語が流暢でドイツ政府の立場を充分に伝えたと当初言われていたが、その後のアルジャジーラのアラブ語のインタビューを見るとその語学力にも疑問が投げかけれられている。

ミュンヘン生まれの考古学者は、80年代から発掘活動を通して、独イラク協会を通じて、またご主人を通してアラブ世界に流通している様で、バクダットではフセイン大統領の主治医の家に今でも逗留すると言うほど旧政権ともパイプがあった。ファルージャ地域を自由に行き来出来る最後の外国人とも言う。

最近は、プライヴェートな情報も謎を解こうとして伝えられるようになっている。別れたご主人との間に生まれた12歳になる娘さんはドイツに居て、彼女によって仕送りされていると言うが、その財政源も余りハッキリしない様子である。以前永く住んでいたミュンヘン郊外の町での生活ぶりや親戚付き合いにも関心が及ぶ。

クリスマスの解放後にも出来る限りマスメディアを避けたので余計に関心を持たれた。ベルリンの外務省当局もバクダットの独大使館もCIAも一貫してぶっきら棒な情報しか流さない。そもそも誘拐のVIDEOが独第一放送に送付された時から、その扱いに関心が持たれてた。

伝えられるところによると、つい最近まで内務省の情報局に情報を流して謝礼を取っているので、諜報活動にも幾らかは携わっていた事になる。貴重な存在で重宝されていたのだろう。その割には、最も関係の深いフランス人のイラク内での活動が余り表面に出てこないのも気になる。

そんなこんなの一方、元外務省の長官がイエメンで休暇中に家族と誘拐されて、部下に救援を求め解放されて戻って来た。犯人は捕まったというが、無謀な旅行に批判が集まり、救出費用を返せとの圧力に、軍のお迎え機に対して平常の航空賃だけは返済すると申し出た。弁護士からの最速出世組で、サハラ砂漠のドイツ人誘拐事件では自ら救出陣頭指揮を採ったと言うから呆れる。

スザンヌ・オストッフ女史が参画する活動へは、今後一切の援助を打ち切るとベルリンの外務省が言明している。それでもイラクに戻るというからには、一掃のことイラクの国籍を採れないのだろうか。活動には国籍は関係ないように思われる。

アルカイダグループのザワヒリは、ビンラーデンに代わって表面に出て来ているが、元々の生まれ故郷エジプトのイスラム化が最終目標と言うからテロリストの無差別テロのターゲットも徐々に変わってより政治戦略的になって来ているのかもしれない。今回の誘拐で女子供には手を出さないとして、実行部隊は女史に語ったようだが、その危険性は一向に変わらない。

直接には関係ないが先月には、ウルムのマルチカルチャーセンターが閉鎖されたりで、どうもきな臭い。先日からの議論等を見ていると、イラクを取り巻く国際情勢が動いて来ているのを感じる事が出来るかもしれない。



参照:ジャーナリストの本懐 [ 歴史・時事 ] / 2005-12-05
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レーマーグラスのワイン

2006-01-07 | ワイン
2005年産リースリングワインを二種類試飲した。辛口と半辛口で双方とも一リッターの瓶に入っている日常消費品である。それでも、今の早い時期から新しいワインを試飲しておくと、10月末に初スキーをするように、春本番の時に大きな違いが出るだろうか。決して2004年産が悪かったわけではないが、記録的な暑い夏の2003年産の繊細さの少ない物に比べても、2004年産はその酸の質から余り感心しなかった。

それに比較すると、2005年産の元素が詰った様に構築的な味はリースリングの独断場であり、期待が膨らむ。試飲に行く前に、偶然他のワイン醸造親方に出会ったので尋ねてみると、夏の水の足りなさは嘆くものの大きな期待をして良さそうである。

世界的に有名な小さなワイン醸造所で試飲した辛口は、在所の農家から葡萄を買ったもので、自己の畑からではないが、一リッター4ユーロ40セントにしては悪くなかった。もう一つの半辛口の方は自己の畑からの葡萄で5ユーロしていた。結局は、アルコールも11,5%と0,5ポイント高い辛口をお試しに買って来た。料理にも使いながら、暫く三本ほど飲んでみよう。

以前はこの価格帯は、外食時にしか飲まなかったので、こうして摘み取りから三ヶ月も経たない内から、実っていた葡萄を頭に浮かべながら飲む喜びを味わう事も少なかった。

ここの醸造所でも、2005年の特徴である収穫量と渇水対策を聞いてみた。収穫量は三分の一と言う事で、二割減では到底及ばないと否定していた。ここの2005年産ワインを、廉く良いのが買えると期待していたので、価格設定が気になる。最終的には、高級ワインが出揃う4月から5月まで待つしかないようだ。

一リッターワインの瓶は、栓がねじ式になっている物とコルクが差し込んであるもののどちらかが普通である。何れにせよ栓には包まれていなくて裸になっている。そして、日常消費ワインを食事を流しながら飲むにはレーマーグラスと言うグラスが気楽で丁度良い。
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勇気と不信の交響楽

2006-01-06 | 文化一般
1月4日付けのFAZ紙の文化欄の音楽会批評を紹介しよう。中継されて多くの人がTVで観たジルフェスターコンツェルトにも触れている。エレオノーレ・ビュニック女史は、この保守系高級紙の定期執筆者で、ドイツレコード批評家賞の審査委員でもあり、あまり高踏的にならず単刀直入な文章が特徴である。粗四分の一面を使った長い文章なので、読者に興味のある部分だけを詳しく、それ以外は掻い摘んで紹介する。専門の批評家の批評へのコメントは控えるが、既に折に触れ私見を表明しているのでそれは必要ないだろう。大胆カットの上、更に五楽章の大交響楽曲の態にして、この新年交響楽をお楽しみ頂く。

さて今回の記事は、ワイルドクラッシックと言うタイトルで、副タイトルには新年交響楽-第九三回、モーツァルト二回とある。

先ず一楽章序奏、元旦の午後のリンデンオパーでは、ドイツの二つの方向から違う感興が錯綜すると切り出し、ここで二つの主題が提示される。一つは勇気、一つを不信とする。ドイツェバンクによるリンデンオパー若手育成への成果の表彰、トロフィー授与式風景である。 赤 と 黒 とゴールデンのそれが素晴らしいアイデアだと溢す。案の定、授与の挨拶では銀行家の「必要な改革への経済の強い意志」と言う演説に、天井桟敷から「もっと職場を」と冷笑的に掛け声が掛かる。

年末年始の浮きだった感興での、音楽は万事OKで、会場は満杯、コンサートは中継されて、音楽教育の社会全体への価値を誓う新年の挨拶は、年の終わりには赤字のラッシュになるとしながらも、年始ムードの会場でバレンボイム氏の音楽教育への提案を拝聴する。そして年末年始には都合三回繰り返される演奏会をベルリンとライプチッヒで鑑賞する。そしてこのような年末年始時には、歴史的にも 宗 教 に 代 わ る ほ ど のイデオロギーを持った、これほどの堅い素材の第九ほどお門違いな曲はないと主張。

第二楽章、年末の第九の歴史を紐解いて、1918年のライプツィッヒの労働運動「友好と自由の集い」での事始めを挙げ、戦争は終結して、君主制を乗り越えた民主主義の勝利が謳われて、アルテゥール・ニキシュ指揮のゲヴァントハウス・オーケストラは三千人の前で演奏したと述べる。更にその伝統は1927年にレオ・ケステンベルクの力でベルリンへと伝播して、1933年にはナチによってプロレタリアートの為の第九の上演は禁止された。

と言うような理由で、ゲヴァントハウスとベルリンの東側地域で二箇所での第九の上演は決して偶然ではないと語る。それどころか新任のリッカルド・シャイーによって子供の合唱を交えての恒例行事になると言うから、若者達がこれからの夜明けを開くのだと書く。

第三楽章、先ずバレンボイムの演奏は、遅いところは遅く、早いところは早くで、この指揮者にとってのテンポは、稀に見るばかりの音色に齎すダイナミックの副次的な役割でしかないと定義する。アダージョにおける音のない死んだような白色は、パラダイスの域での散策となる。脈は全てまるで凍りついたようだ。終楽章での先を見越した訴えは、まるでそれ自体がそうである引用の如く、祝されるのだとある。

ヤノウスキーの放送交響楽団の第九の方は、アダージョに措いて慰めと温かさで、何時もの如く既にまるで先を約束されたかのように急ぐ。 ア メ リ カ 風の楽器配置を採った素晴らしく力のある楽団は、木管はカペレに劣るながらそれなりの凶暴性と澄んだ声部と古典的清澄を持っている。既に酔っ払って、シャンペンのコルクを開けて鳴らしたような世俗的なフィナーレにしたとある。

シャイーはそれらと違い、この壊れた交響曲を、そのダダイズム的箴言と奈落と亀裂と傷を修復しようと考え直したようだと考える。だから一楽章からして突進して、全く劇場的な、荒々しい、いきり立つティンパニー協奏曲にして仕舞った。古の ド イ ツ 風の楽器配置は採りながらも、前任者ブロムシュテットの意志をあまり継いでいない。非力な木管と今回は柔らかな弦も濁り、アダージョではカンタービレの変わりに不一致な三管の不協和音は離れ小島の様に、間抜けな中声部から孤立して、金管が前へと抜けて、恐る恐るとしたソリスト達はティンパニーを追い越して仕舞う。ロベルト・ホルはまるで人民裁判の舞台のように振る舞い、アンネ・シュヴァンヴィルムスの咽喉の鐘のような高い声は、重く動きの悪い合唱の上に漂ったとして、全ては流儀に乗っ取って、多大な効果を上げたとする。一度改革気運に乗れば、ご気楽気分や快適なものが一変に吹っ飛ぶと述べる。

第四楽章、モーツァルトのインバル指揮ベルリン交響楽団のハフナーや協奏曲や戴冠ミサを聞き、ツァグロセクが就任すれば新しい時代が期待が出来るとする。

終楽章、フィルハーモニーでモーツァルトプログラムを聞いて、ラトルは軽いフットワークの刈り取られたフィルハーモニカーを息も吐かずの快速でフィガロ序曲を演奏した。それは、未だにどうも絶えない、「神の愛した自然の子モーツァルトにとっては、作曲は子供の遊びでしかなかった」というキッチュな思考を思い出させたと言う。ジェノム協奏曲も呟くように流れ、遅い楽章の弱音器付きのラメント主題の夢のようなフレージングや歌の趣味の良さを褒め称える、一方ロンド楽章でのアックスのペダリングとレガートの不正確さを指摘する。

さてここまでがジルヴェスター気分で、その後休憩後には最高級のアンサンブルが只調子の良い時だけに至る頂点へと舞い上がって仕舞ったとする。プラハ交響曲のプレストでラトルはテンポを更に巻き、全くスタイルにあった、表現に必然的な凶暴性と耳を劈くようなトランペットとティンパニは、劇場的な荒々しさを与え、各パートは仕事を貫徹して、お互いに鋭角的に角を凌ぎ合う。嘗て聞いた事の無いような管の音色の配合は色彩的に冷めて行く。この曲に嘗て見とめた事の無いようなショック療法的な進化を聞く。栄光の終結は、フィガロの暗闇の最終景が光り輝く中で執り行われ、「他と比較出来ないケルビーノのマグダレーナ・コゼーナのみがが舞台を表出させただけでなく、かけはなれて清らかで心を打った」とする。

終結部、こうして幕開けした記念年を行ったり来たりしながら、楽団は再び日頃の仕事へと戻ると続ける。「各々は、若い聴衆教育の為に様々な方法で戦い、定期会員の獲得に齷齪する」。「ある者は、クラッシック音楽の力に懐疑して、ある者は勇気を貰う」。放送交響楽団のスローガンは、「音楽は最も大事なもの」である。それに引き換え、「フィルハーモニカーのマーケティングアイデアは、マイクロファイバーのブラジャーの売り込みを思い起こさせるものである」と断定して、エレオノーレ・ビュニック女史は次のように結ぶ。

「ワイルドクラシックのモットーの下に、そのシャトルバスの回り道は、ベルリンの会堂に集う訪問者を、直接室内楽ホールへと導く。つまり、そこにこそ慣れ親しんだ一流のプログラムが有るからだ。勿論、それは遠に昔から絵に描いた魚であったのではあるのだが。」。



参照:
朝だか夜だか判らない [ 音 ] / 2006-01-02
文化的回顧と展望 [ 生活・暦 ] / 2006-01-01
袋が香を薫ずる前に [ 文化一般 ] / 2005-07-14
近代終焉交響楽 [ 文化一般 ] / 2005-06-17
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
ワイングラスを皆で傾けて [ 歴史・時事 ] / 2005-09-24
政治的東西の壁の浸透圧 [歴史・時事] / 2005-07-12
伝統文化と将来展望 [ 文化一般 ] / 2004-11-13
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13
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意志に支配される形態

2006-01-05 | 
オペラ「ヴォツェック」に目を向ける前に、もう一度断章として残された戯曲「ヴォイツェック」の創作背景から真の創作動機を推測してみる。しかし多くの専門的研究がある事でもあり、作者が幼年期を過ごしたダルムシュタットを想像しながらいま少し考えてみたい。

今回の文化記事にあった様に、全ての地理的な対象は実在するようで、それは現在のその周辺を知るものからも当時の生活が浮き上がるようである。つまり、ビュヒナーが描いた世界は、かなり現実的な風景であって、疾風怒涛時代の開かれた作品としても認識されると言う事である。その開かれた形式は、不幸にも未完成の断章に終わった事でもあると同時に、主人公が沼の底に消え、主人公の子供が遊びながら母の死を告げられる幕切れによっても導かれる。しかし、このような筋運びは決定的なものではなくて、例えばクラウス・キンスキー主演の映画では、前者の入水の景で終わっているようだ。

前述したように、法廷闘争がこの後に展開したとすれば大きく変わって来たのであろうが、重要なのは主人公のキャラクター付けとその主観から我々の客観への橋渡しにまた反対方向への橋渡しであろう。これは、改悪とされているフランツォーズのセンチメンタリズムを交えた自然主義的な校訂を通しても失われていない。

更に、今回の記事に纏められたような実際のモデルの実話の創作過程での変容は、著しく興味深い。例えば、ダルムシュタットの事件の被害者がユダヤ人であって、その当時の反ユダヤ主義的な裁判官は、被害者が暴利を貪っていたとして、シュナイダーは軍法裁判で絞首刑を逃れ情状酌量で銃殺刑とされた。これは、勿論戯曲には登場しないが、凶器を売る商人として、また街の女の妻マリアへの揶揄の言葉に、また酒場の歌に登場する。1814年にヴァルトブルクで書籍の焼却があったことからすると当時の雰囲気を良く伝えている。

ヴォイツェックは、浮気の妻を殺害して、その足で店へ行き、そこで踊り、血糊が見付かる。急遽死体の許へと戻り、凶器を隠匿する為にナイフを持って沼へと向う。ナイフを投げ捨ててから、沈んだナイフを確かめる為に探しながら入水して、体に付いた血糊を気にして溺れて行く。その景の後、父親が親子関係を築け無かったヴォイツェックの11歳になる子供の終景となる。

沼には灰色の霧が立ち込め、空には燃える鉄のような赤い月が輝く中で沼に沈んで行くヴォツェックは、表現主義の芸術として変容されたオペラ版「ヴォツェック」である。フランツォーズが手書きの原稿を読み違えたので、作曲家アルバン・ベルクも間違ったままのタイトル「ヴォツェック」を使用している。当時、ビュヒナー研究が既に進んでいた事から、作曲家も様々な情報を考慮しているようだ。しかし、ヴィーンでの戯曲の初演の臨席から自作のオペラの完成後まで、作曲家はこの戯曲の断章そのものにカオスを見ていたらしい。

ヴォツェックが医者に診察を受ける一幕4景に措いて、作曲家は自分の軍隊経験を踏まえて、ヴォツェックがそこかしこで「立小水をする」を「咳きする」に変えている。当然の事ながら後者の方が音楽的だとしても、その他の言葉は据え置かれている。自然の生理現象は、意志に支配される膀胱として定義されている。ここでの狂人と自然科学者のモノローグの対決が見物であるが、こうした改作で意味不明な遣り取りとなってしまっている。ここでは、パッサカリアの12音による主題によって、哲学的な患者の固定観念が、終に医師の固定観念へと変容されて頂点を迎える。主客逆転する大変重要な場面である。これは、アドルノに言わせると、ヘーゲル風の自由への自己の浄化作用となるのだろう。因みに1997年のペーター・シュタインによるザルツブルクでの演出は、作曲家の意思を無視してテクストを再び「小水する」に戻している。

実は、この医師が登場する他の場面が割愛されている。生徒達を集めて万有引力の実験に屋根の上から猫を投げつける情景である。勿論、ヘンツェによるオペラ「午後の曳航」ではないので美学的に相容れなかった情景である事は理解出来るが、これが所謂「ヴィーンの連中」の美学かもしれない。

何れにせよ初演当初からその音楽的素材とその形態について、本人自身の1929年の解説だけでなく、音楽解析的説明には事欠かない。更に現在に至るまでの上演回数も20世紀に作られたオペラとしてトップクラスの興行成績を残しており、初演当時の舞台写真などを見ると、その表現主義的で近代的な様相に感心させられる。それでも、その作品が従来のオペラを含む音楽劇場の為に書かれたとして、同時代のそれらの作品群と比較して充分な劇場効果を持っているかと言う疑問は残るのである。そしてこれらは、表現主義と言うレッテルを貼られて、寧ろ現在に措いて陳腐で月並みな意匠でしかなくなっている傾向がある。その理由は、既に上述したように主観客観の変移が難しく、劇場的配慮は別としても、額の中の絵の様に効果が限定される傾向ある故である。

アドルノが語るような作曲の効率化と、ベートーヴェンの交響曲のような全体と部分が密に関係することで形態となったベルクの音楽の孤独な自己完結性は、たとえ故意にヴォツェックの終景で終結が開かれているにせよ、たとえその音楽的な充実振りに感嘆するとしても、如何にその声楽的処理が自然で秀逸していても、音楽劇としてオリジナルの戯曲が持っている劇場を抜け出すような影響力は無いのではなかろうか。オリジナルのモデルの話を知って、尚更そのように考えた。(ある靴職人の殺人事件 [ 文学・思想 ] / 2006-01-04 より続く)



参照:
印象の批判と表現の欠如 [ 文学・思想 ] / 2006-03-11
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03
オペラの小恥ずかしさ [ 音 ] / 2005-12-09
非日常の実用音楽 [ 音 ] / 2005-12-10
海の潮は藍より青し [ 文学・思想 ] / 2005-08-28
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ある靴職人の殺人事件

2006-01-04 | 文学・思想
ゲオルク・ビュヒナー作「ヴォイツェック」についての新聞記事を読んだ。ビュヒナーは、その戯曲だけならずその名を冠した最も重要なドイツ文学賞でも有名である。「ダントンの死」などでも有名な医学者は、1813年に医師の六人兄弟の長男としてダルムシュタットに生を享け、シュトラスブルクで医学を学んだ後、ギーセンの大学にて、そこの友人達と人権協会を設立している。

未完の戯曲「ヴォイツェック」は、精神異常の軍属の男が妻を刺し殺して、沼に沈んで行く物語である。それはその芝居だけでもなく20世紀前半の作曲家アルバン・ベルクによってオペラ化された事でも有名である。そのオペラは、その創作時期を反映して表現主義を代表する作品となっている。

さて今回のFAZ記者の取材は、1914年以降専門家の知る事となるこの戯曲のモデルであるライプチッヒのヴォイツェック殺人事件とこれとは違う作者の故郷で起った別の殺人事件との関係を、ダルムシュタットで現場検証して纏めている。

この戯曲のモデルの詳細については、インサイダーの研究者にしか興味は湧かないだろうが、カール・エミール・フランツォーズによって断章が纏められ、1878年になって出版されたこの話の創作過程は、その後のオペラ化を含めて、近代文化史として面白いと思った。

ダルムシュタットの殺人事件と言われるのは、作者が幼少の1816年に復活祭の週末である4月13日の土曜日に始まる。印刷屋の徒弟ベルンハルド・レップレヒトと軍属で目下休職中で靴職人をしているヨハン・フィリップ・シュナイダーは、夜中の零時過ぎにマインツに向って行進を始めた。レップレヒトがシュナイダーに貸した135グルデンの大金を、シュナイダーの生地、マインツへの途上にあるビッショフスハイムで取り返すためであった。途上、30キロの道のりで、パンとシュナップスを二人で分けあい二度ほど休憩したとある。未明の三時過ぎにビッショフスハイムに辿り着いた。シュナイダーの兄弟の家で休憩して、レップレヒトの職探しの下見のため再びマインツへと歩みを進める。そこでシュナイダーの支払いでワインを飲み、再びビッショフスハイムから、漸く復活祭の月曜の午後二時になって帰路に着く事になる。そしてダルムシュタット郊外の森の見通しの利く小道までやって来て、返済の済まなかった借金に付いて言い争いを始める。闇が降りて来て人気がない、ラインの渡しから10分も掛からない所で、シュナイダーは最後のチャンスと思い、レップレヒトの頭を石で殴り、靴直しのナイフで長い死闘の結果20箇所に至る致命傷となる傷の他多数の傷を与えたと言う。その後シュナイダーは、15分以上離れた街道の店へと砂と血で汚れた衣服のまま現れ、そこで踊り暴れたとあり、この情景が戯曲「ヴォイツェック」に重なる。さらにそのどさくさに紛れて、シュナイダーは遺体の許へと息の根を確かめに戻る。そうして、沼で血と汚れを洗った後、旅籠へと衣服を乾かしに帰る。しかし、遺体は偶然にも、客の申し出で戸外で髭を剃る事になった床屋が発見して、警察を引きつれてやってくる。これも最後から二つ目の景となっている。

序でにこの記事から、良く知られているライプチッヒのヴォイツェック殺人事件について簡単に抜粋すると、それは1824年に刊行された裁判記録に基づいている。それによると精神に障害のあるヨハン・クリスチャン・ヴォイツェックが愛人を殺害して、医学的・司法的見地からその責任の是非が問われた事件である。結局は、1824年に公開にて絞首刑される。その後この処刑は、市民の同情を集めただけで無く、司法の殺人として1866年になっても反対の書籍が刊行されるほど重要な事件であったようだ。

ビュヒナーは、この戯曲を書く頃には、魚の神経の研究でチューリッヒの大学に席を置いて教授待遇になっている反面、若い日々には、人権運動の活動家としてシュトラスブルクの大学へと政治亡命を余儀なくされている。しかし、またそれゆえに、この作家は、このモデルを無闇に同情を煽る実際の悲惨な社会的境遇から掬い出して、精神医学的な症状を戯曲に織り込んだ。

そして、1922年当時の文学研究によると、もしビュヒナーが1837年に生物実験の為にチブスで倒れなければ、戯曲「ヴォイツェック」は、主人公の底無し沼への溺水死亡に終わる事無く、司法の裁きを受けた事になったろうとしている。その是非は如何にしろ、その創作の時代とその後の影響を考えると、その創作過程は門外漢にも無視出来ない。(意志に支配される形態 [ 音 ] / 2006-01-05 へと続く)



参照:
印象の批判と表現の欠如 [ 文学・思想 ] / 2006-03-11
開かれた平凡な日常に [ 文学・思想 ] / 2005-12-30
シラーの歓喜に寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-12-18
失敗がつきものの判断 [ 歴史・時事 ] / 2005-12-13
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ワイン耕作地に積もる雪

2006-01-03 | アウトドーア・環境

雪が積もったワイン畠を歩いた。年末にこれほどの積雪を見る事は珍しい。温暖なこの地方では、年間を通しても、二三回もあれば充分である。






バイオ農業のガイドラインに出てくる耕作地の浄化活動の看板を見つける。











葡萄の栽培には使えない水路脇の一角を囲んである。平素雪が無いと思わないが、オーストリーの田舎と変わらない風景である。ノルディックスキーが有れば楽しめそうだ。











そこに実を付けたりした樹木が密生している。
これで生態系を保護出来るならば、僅かな手間である。雪の中を餌を求めて兎などが来るに違いない。
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朝だか夜だか判らない

2006-01-02 | 
ニューイヤーコンサートは素晴らしい。通常は音楽的興味の湧かない催し物であるが、ベルリンのシルヴェスターコンサートと一晩措いてヴィーンのニューイヤーコンサートを観ると、大変興味深い。「フィガロの結婚」の序曲などは、対抗意識を丸出しに毎晩の如く奈落でやっている超一級のプロ楽団が模範演技を示す。

今やキャリアーの頂点へと登りつめようかというヤンソンス指揮の演奏に、何十年に一度かの稀なる盛り上がりを見せていた。そして昨日書いたベルリンでのコンサートへの感想の答が得られる。つまり、学芸会のような「フィガロの結婚」の終景で感じた、「これならサウンド・オヴ・ミュージックの方が強い感動を与える事が出来るかも」と言う感想の答である。同時にこのロシアのエリート指揮者がコンセルトヘボウと言う超一級の芸術的な交響楽団組織を導くには、役不足との疑問符が付けられているのも納得出来た。しかし、娯楽音楽と芸術音楽の差は?一体それが分かるような通人はどれ位いるのか?現に、この指揮者とオスロ饗の組み合わせは、そしてキーシンのピアノが絡む演奏会は、一時ザルツブルクで一番人気ではなかったのか。

所謂クラシック(芸術)音楽の最大のイヴェントとして定着したヴィーナーフィルハーモニカーのノイヤーツコンツェルトは、貴族の落胤として生まれた指揮者クレメンス・クラウスが始めたものであるが、今やオーストリア共和国が一年に一度、このアルプスの小国を、世界へとアピールする好機となっている。本年は平土間にシュッセル首相の横にアンゲラ・メルケル首相が臨席して、充分な政治的なアピールともなっていた。シュレーダー独首相やケーラー独大統領の臨席などは、クレステル大統領の死後では考えられなかった状況である。

ヴィーナーフィルハーモニカーは、オーストリー帝国の伝統芸能継承団体である事を明確にしており、これはたかがプロシアの交響楽団には真似の出来ない事であり、殆んど居直りに近い。こうして世界中に中継されるのは、ハリウッドの制作する物真似には遥かに及ばない世界でなければならないのである。これをハッキリと意識した中継・制作スタッフとヴィーンの連邦文化省および観光局の判断は正しい。

ベルリンの太鼓に対して、ヴィーンの恰もドローンのような鈍いパーカッションに女性の顔が見えるのも可笑しいが、バレーもクラッシックからモダーンなものが加わり、時代の移り変わりを示している。女性副党首にクーデターを起され、最近になってまた中央政界復帰を狙う右翼ポピュリスト・ハイダー博士の顔さえ思い浮かぶ。それにしても、外国人が多く混ざったヴィーン情緒こそ、東欧と西欧、アルプス南と北の接点であるヴィーンの売り物であろう。

ヨゼフ・ランナーのモーツァルトメドレーも如何にも、簡易な現代風のモーツァルト需要であって、こうした興業の進展を通して、モーツァルトの音楽が朽ちて行く状況を目の当たりに見る事が出来る。素晴らしいの一事に尽きる、国家公務員の自主伝統芸能保存協会の芸の披露会であった。兎に角格好良いの一言で、そのさまになっている様子をTVで居ながらにして観察出来る。

特辛口のリースリングのシャンペンを開け、アイスランド製の安物キャヴィアとチッコリにチーズを乗せたカナッペをつまみながら、飲んでいると直に実に気持ち良く酔っ払って仕舞った。何もランス迄行って本物のシャンパーニュとスイス迄行って本物超極高級品のキャヴィアを買う必要はない。これで充分に楽しんで仕舞えて、それどころかリースリングのシャンパーニュ風に手回しで作った発泡ワインが充分に美味い。カバーも装丁も全て出来上がっている、暮れの演奏会の素材で今日のコンサートを早速修正して、近々発売されるCD価格の半分もしないような料金で、こうしてお腹一杯になるのである。

「本物に偽物、高級品に廉価品、芸術に娯楽、あなたにこの違いが分かりますか」と、問い掛けられているような年末年始のコンサートTV鑑賞であった。酔い潰れて再び目を開けると、暗闇で朝だか夜だか判らないというのも、久しぶりの体験である。



参照:
心地よい感興 [ 音 ] / 2005-01-01
其れらしいもの[ 音 ] / 2005-01-01
文化的回顧と展望 [ 生活・暦 ] / 2006-01-01
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
根気強く語りかける [ 文化一般 ] / 2005-11-17
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改訂コメンテーターリストI

2006-01-01 | SNS・BLOG研究
改訂コメンテーターリストIIへ続く

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