Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

食べて飲んで、汗掻いて

2006-07-17 | アウトドーア・環境
炎天下で汗を流したのでビールを2リッターほど飲む。それでも喉が渇いている。週末から久しぶりに大気の湿っぽさがとれた快晴で、日差しは激しく、空は底が抜けている。30度を超える気持ちの良い夏である。

こうした時のビールは、まったくと言って良い程苦味すら口に残らず発散する。幾らでも飲めそうなのだが、食事をするとどうしても腹が膨らんで来る。

セルヴィア人らしい新しいオーナーが入った店の、気持ちの良い戸外の木陰に腰掛けて、所謂バルカンテラーを食した。牛ミンチ肉の小指大のチェヴァブチチなどと呼ばれる肉棒と豚肉の串刺しが半々入っている。それに小山ライスとチリソースや玉ねぎの刻みにポメスがついて、付け合せサラダで7ユーロ90で十分に堪能。ビール一リッターを加えて、チップをはずんでも14ユーロならば比較的安上がりである。

その後、イタリア料理店でアイスとビールを飲み、フィニッシュと行く。日差しが弱くなると覿面涼しくなる。アイスとピルツナーの冷たさが心地よい。帰宅してシャワーを浴びても流石に満腹で何かを摘む食欲はなかったが、水気だけは更に補充する。皮膚の表面が直ぐに乾燥して、水気が感じられないので汗を掻いていないように見える時こそ、猛烈に体内の水気が発散している。こうした日の水分補給は、体の欲求を満たす以上に、知的に行なっていかなければならない。
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折り紙の現課題と原体験

2006-07-16 | 文化一般
折り紙名人の会がハイデルベルクで開かれた。折り紙は、ある程度世界中で知られている。国際折り紙科学芸術学会と云うのも存在するらしい。

例えば数学畠では、MITのエリック・デュメーン氏の研究が有名なようだ。少なくとも二次元平面の重ね合わせから多面体の幾何への発展は誰でも直感出来るであろう。多面体の凸状が折られた平面によって出来上がる事を、更にアルゴリズムとしてそれを解析していくことの複雑さを印象出来れば、折り紙の数学的課題は殆ど想像出来た事になろう。

折り紙の定義なども中々難しいが、特に英国ではフリードリッヒ・フレーベルの幼児教育に折り紙を用いた事から、逆輸入されて我々も幼稚園で折り紙に馴染んだ歴史は重要であろう。

折り紙芸術や工芸専門家の方を談笑しても、折り紙の世界はここで簡単に一望で切るほど単純ではないことが分かった。まあ、科学的にも大変興味ある発想を得る事が出来ると云う意味では数独以上で、折り紙素人としても刺激される事が多かった。

八十歳になる加藤三郎名人は、全盲ながら今尚世界中を駆け回って、折り紙を通じて文化交流をされている。流石に慣れたものである。本日はまだ訪れていないマセドニアに飛び立った。我々の知っている羽ばたく蝶などは古い時代からの折り方に氏の動くアイデアを加えたものらしい。

さて我が折り紙体感は、少数派の成人男性として、その中でも恐らく唯一の幼稚園折り紙経験者としての時空を超えた旅であった。お手伝い頂いた同じ様に参加されたご婦人方の手解きを受けながら何とかついて行く事が出来た。それでも少しでも気を抜くと折り方が解らなくなり、最後の仕上げで思うように「ちょうちょの羽」が開かないなどと出来の悪い幼稚園児振りを曝してしまった。そう思うと中級篇へと難しくなってくると遅れまいと汗を掻きながらの奮闘となるのである。

あれほど折り目正しく試みたのに、出来上がりの形が悪いなど不満足と劣等感に苛まれ、幼稚園児当時のレヴェルを一歩も踏み出ていないような気持ちを抱いたのである。ご婦人方もそれを見て、トラウマに囚われていると講評されるその通りであった。

それにしても還暦にも到底至らないような男が幼稚園児のように折り紙に興じてしまう我に、そしてあの時と今も殆ど意識の変わらない我に気がついて思わず愕然としてしまった。まるで、あの時の幼稚園のお気に入りの美しい先生を困らせたその光景にトラップしてしまう不思議な体験をさせて頂いた。それはデジャブでは決してなく、窓から光が差し込むまさにあの時の光景なのだった。
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甘口ビール飲料に要注意

2006-07-15 | その他アルコール
ベルギーのビールをお土産に頂いた。現地では何度か飲んでいても、こうして家でじっくりと味わってみるのははじめてである。ベルギービールは、ドイツの純正ビールの対極にあるとして有名である。

ブリュッセルの南西にあるゼンネン渓谷で作られる伝統的ビールはラムビックとして有名で、上面発酵に更に酵母が加えられている。さらにモルト化していないヴァイツェン麦を使うのも特徴らしい。そしてホップを味としてではなく保存剤として使っている事からも甘口ビールであるのは明らかなようだ。

その甘口ビールに、フラムボーゼンビーアやキルクビーアとしてフランドル語で呼ばれるフロンベーアやキルッシュの果物の入ったビール飲料がある。これをビールとして飲めるかどうかは疑問であるが、冷やして飲むとその甘味に酸味が旨くミックスしてそのベースであるラムビックビールに良く合っている。

今回飲んだのは、リーフマンス製でアルコール4.5度に対して、12,5%の果汁シロップが混じっている。香りも良く、粗末に飲むには惜しいので果汁入りシャンぺン代わりに楽しむ。実際、シャンペンのようなコルク栓がしてあり、「特別に抜く」感じが良い。もし、それらが簡単に栓抜きで開ける、口当たり良い所謂ボンボンビーアならば、より多くのキッチンドリンカーを作るだろう。この拘りにもベルギーの日常生活感が出ているようでもある。勿論ドイツでもラドラーや混ぜものを喜ぶ向きもいるようで商品としても市場占有率4.5%に達している。

キッチンドリンカーと云えば、こうした糖価の高いアルコール飲料は糖尿病傾向を助長しそうである。ワインの作れないお国柄であるから致し方ないのだが、ベルギービールは健康には要注意なビールである。



参照:麦酒、不純か純潔か? [ その他アルコール ] / 2006-08-10
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ヒンヤリハーブティー

2006-07-14 | 料理
最近はハーブティーを冷やして飲んでいる。ハーブの種類自体は特に代わり映えしないが、多めに作って冷蔵庫に入れておくと、涼しい。コーヒーやお茶類も同じように出来るのだが、清涼感とのどの渇きを癒すと云うことではこれが一番良さそうである。

ハーブティーを沸かすのはミネラルウォーターよりも易くなりそうだ。これでウォーターを今年も買わずに過ごせそうである。またコーヒーやお茶類よりも、夏の終わりに予想される冷たい飲料の摂取からの胃の不調を避ける事が出来そうな気がしている。そして、ワインを試飲したり飲んだりするときにはタンニンの入った飲料を避ける事も出来る。

現在、愛飲しているのはローズヒップ(ハーゲブッテ)ことローザカニーナとペパーミンツである。前者はその酸味で、後者はその辛味で涼しくなる。色目も美しい。
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清涼のビアーガルテン

2006-07-13 | その他アルコール
ビヤーガーデンで涼んだ。残念ながら十分に気温は下がらなかった。ヘレス・ビーアを一リッター飲んで、ジャガイモサラダとソーセージを二本食べた。

この店は、東西の壁が開いた後に東からやって来たオーナーがシュパイヤーでビール製造を始めたと言われ比較的新しいのだが、プファルツには珍しいバイエルン風の店として繁盛している。特に夏季は、ミュンヘンのホフブロイ風に外で憩う事が出来るので嬉しい。

食事は、時々変わったものも見つかるが、どちらかと言えば比較的スタンダードなものである。豚の骨付きグリルやソーセージサラダ、もつの酢漬けなどに混じってザウマーゲンのグリルなどがあって土地柄が良く出ている。

ビールはそれほど冷えてはいなかったが、苦味が幾らか清涼感があった。炭酸割のヴァインショーレを飲む清涼感とは違う。口当たりが違う、酔い心地が違う。
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自尊心満ちる軽やかさ

2006-07-12 | ワールドカップ06・10・14
暑い日が続くがワールドカップも終わり総括に追われている人も多いようだ。ドイツ連邦共和国大統領は、健全なパトリアティズムを喜び、新生ドイツを確認した。一国の大統領としてこれほど幸せな状況は稀だろう。

大会の運営はいうまでもなく、世界に開かれた、寛容の精神に満ち溢れた盛り上がりは、外国の誰も予期出来なかったほどのものと、外務大臣シュタインマイヤーは語る。アナン事務総長は、「世界は、行き過ぎたドイツのパトリオティズムを恐れる事は無くなった。幸福なドイツ民族に接して感応した。」とする。

ケーラー大統領は、「我々は、なんら新ナショナリズムと云われる様な政治的動きも無く、我々の国旗に自己を確認するのを見る。」と表明。

またユダヤ中央協議会長のクノッブロッホ女史は云う、「民族が自国に対してとる、これほど自然な姿勢は珍しい。自尊心満ちる軽やかさで、国旗の色を、ほっぺに描き肩に巻く、全く素晴らしいの一言に尽きる。」。

こうした公式の見解を聞いて、それはおかしいとか、異論を唱える人は殆ど居ないだろう。こうした幸福な状況の前提は幾つもあるが、その多くはここでも再三触れられている。そして日進月歩の日々の歩みの中で、一歩でも貪欲に前進しようとする民意が成し遂げたものである。

大会関係者の名言集がリストアップされている。その中の内務大臣ショイブレのコメントがちょっと好い。氏は、総理大臣候補であった時分刺客に会って命は取り留めたが下半身不随のまま車椅子政治家である。「車椅子に国旗を旗めかさないのかと問われたのだが、パトカーを見て辞める事にした。パトカーは、絶対旗を付けていないよね!警備の警察の元締めの私の車もそれに倣いました。」。

大会期間中九千件逮捕者と七千件の送検、そのうち八割がドイツ人で英国人がそれに続く。また850件の負傷の内200件が巻き添え、200件が警察官であった。こうして大会を無事執り行った成果を確認すると同時に今回の治安会議で今後もテロリストへの警戒を続行するとした。内務大臣は、所謂情報活動の総元締めであることも付記しておかなけれないけない。


昨日の会見で監督を引き受けずに米国へ帰るとしたクリンスマンの判断は、計算の出来るシュヴァーベン人らしくて、予想通りである。後任に推薦のレーヴに要請が廻るのかどうかは分からないが、米国はクリンスマンに興味を示すだろう。
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とても感じ易い共和国

2006-07-11 | ワールドカップ06・10・14
ワールドカップドイツ大会フィナーレから一夜明けた。イタリアの勝利に対して、フランスの敗北。中でも特にジダンの暴力退場に、真夏の暑いブルーマンディーに胸のわだかまりの様なものを感じた人は多いのではないか?

フランツ・ベッケンバウワーは、「フランス人は人一番センシブルだから、キャプテンを探しても何処にも居ない事で、ジダンの退場はチームを弱体化させた。」と試合直後独第一放送の中継スタジオで語っていた。

チームの構成やリーダーシップ、そしてここまで持ち上げてきたモティヴェーションを指して言ったのだが、こうした精神的な様相が今回の大会の随所に散見された見所ではなかったかと思う。勿論スポーツとしての技術・体力などの秀逸を前提としている。

そしてこの精神的な様相は、其々の勝敗を左右する決定的なシーンで、良く観察すればするほど通常考える以上に大きな要素となっている事に気がついたであろう。

その点からしてもジダンの活躍は、その経験や才能と言うだけでなくて、我々観ているものに大きな感動を与える精神的強靭に飾られていたと言ってもよい。ライプチッヒで行われた試合で、ドアを蹴り壊したとか、それを保存するとかの豪傑なエピソードとして語られた。

それだからこそ、こうした終焉はなんとも受け入れがたい。ベッケンバウワーは、ジダンを評して、「彼は控えめで、無邪気な人間だから、マテラッツィがなんか彼に言ったに違いない。」と続けた。そして、「これで観られなくなると非常に残念でたまらないからバイエルン・ミュンヘンに招聘したい。」と慰めた。

それでもどうしても理解しがたいのが、あれほどまでに自信に溢れ、冷静さを保った人間が、暴力行為と言う蛮行に出てしまった事でしかない。この二つは、人間の能力を測る時に、肯定的に働くか、否定的に発散されるかの同じエネルギーに他ならないからである。

今回の大会では、既に触れたように、試合後にヴィデオ判定されることが真実となり、今回の最終戦では審判の見落としがヴィデオによる判定となったことの意味は大きい。ヴィデオなどの物的証拠が審判や観衆の目よりも尊重される訳には簡単にいかない事も、永遠のテーマなのである。スポーツを遥かに超えて、報道をも超えて、これは人間の認知の問題でもある。

さて、事の真相は分からないが英ガーディアン紙が伝えるとする、テロリスト呼ばわりしたと言うのも滑稽な憶測と言うしかない。なぜならば、ジダンをイスラム原理主義者と呼んでも何の真相みが無いばかりか、冗談にもならないからである。ムスリムの青少年たちの鑑となってフランス共和国にジダン効果を齎した選手である。こうした言動が如何に教養の無いサッカー選手と言っても出てくる筈が無いのではないだろうか。ジダンが如何なる宗教感や世界観を持とうが、それは極プライヴェートなものであって、彼が宗教家で無い限りそれを主張することも詮索する事も大きな誤りである。

そしてブッシュ政権による反テロリストキャンペーンにおいて、こうした伝統への悪影響を恐れたフランス共和国であったことも決して忘れてはいけない。

また、人種差別的な発言があるとすれば、それは直前に交代したアンリ選手へのものだったかもしれない。もし、イタリア人得意の悪知恵が働いて、挑発しようとするならば、相手の身近にいる者を嘲笑すれば事足りる。これは、大会にイタリアチームによっても宣言されていたような宣誓に反するので、ありえないだろうし信じたくもない推測である。

こうして書き出して行くと、胸のつかえの原因が明白になってきた。どうも昨日述べたようにジダンと言う選手の存在は、結局はフランス共和国の一部であり、間髪入れずにシラク大統領がジダンを支持した姿勢にもそれが表れている。

共和国の統一と言う非常に繊細な問題に対して、予想される諸外国からの無配慮な憶測や好奇な眼に対する不快感が淀みとして心理的に影響しているような気がした。

FAZでの「イタリアは優勝に値するか?」へのネットアンケート調査結果は面白い。39%の「値しない、輝きの無い勝利。」が一位、二位には「値しない。フランスがゲームを決めた。」の25%、三位に15%で「値する。優秀な守備と強靭な神経。」、四位に16%が「値する。最強のドイツを破ったから。」、最後に「ジダンのファールでフランスは勝つことは許されなかった。」に5%の回答と、全8200票からの集計である。
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政教分離の無為と有為

2006-07-10 | ワールドカップ06・10・14
フランス対イタリアの決勝戦を楽しみにした。ワインを冷やして、チョコチョコとやりながら森のハーブサラダを用意する。

フランスは我々にとって何よりも政教分離のお手本である。現代社会において宗教の意味するところは限られていて、ある種の文化でしかない。しかしこれが個人や基本共同体においての世界観であるのとは、峻別されるべきである。

先日、シュトュッツガルトの行政裁判所が、モスリムを信ずるドイツ人教師の訴えを認めて、頭巾を被った儘の授業を認めた。この問題は永年司法において扱われてきた問題で、現状の「禁止」を覆す判断であった。主な理由は、保守性の強い「黒い森地区」で行われているカトリック尼僧による授業との機会均等を挙げている。キリスト教のそれを欧州の中心文化として認めて、「それとは違う頭巾の禁止を不公平とはしない」とした司法判例とは、正反対の立場での判決であった。

この問題は、教室にある十字架や鳴り響く教会の鐘の音などへの見解との兼ね合いもあって、手短に書き纏める訳にはいかない。しかし、こうしたつまらないことが議論される、教会税を徴収する、ドイツ連邦共和国の信教の自由こそが大問題であろう。この点においては、フランスに比べて後進性を示していると言えるだろう。逆にこれは、新旧キリスト教会間の宗教対立が歴史的に止揚されて現今の大きな教会合同への流れに至っている歴史を物語っている。

先ごろもポーランド系の得点王ミロスラフ・クローゼの試合中における旧教的で素朴な宗教的仕草が話題となっていたが、これも彼が生粋のドイツ人で無い事を証明していた。

そしてフランスチームは、ジダンやアンリが公然とアラーに感謝する筈が無いからこそ素晴らしく偉大なのである。誰がそうした朴訥な姿をフランスチームに認める事が出来ようか。町に拡声器で流されるコーランの如くそれを公の場所で受け入れる素地は無い。

決勝戦前半を観て、偉大としか言うことの出来ないジダンのPKであったが、イタリアには組織された技術の秀逸を感じる。イタリアで窃盗団に狙われたら何も対抗処置は無いと思わせるに十分であった。そして、延長後半でのジダンの頭突きは、何よりも誰も認める事の出来ない仕草であった。延長前半のヘッディングをブフォンに止められて焼きが回ったと思ったのかどうか知らないが、大変スキャンダラスな幕切れであった。


参照:
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06 
キルケゴールの考え方 [ 雑感 ] / 2005-11-07
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無花果の木陰の冷麦酒

2006-07-09 | 料理
昨日は色々とあり、カテゴリーで言えば女篇を書くか、アウトドーア篇を書くか迷うが、料理篇から始めよう。

汗を掻いて、体中に、特に上半身に血を満ちらせて夕方の6時前に帰宅する。泥やかすり傷だらけの手足を汗と一緒にシャワーに流す。9時からのサッカー中継があるので、普段は土曜日には席の空かないガーデンレストランも幾らかは空いているだろうと、食事に出かける。

近場で涼めて気持ちの良い庭は二箇所あるが、汗を掻いた後なので、ビールを飲める方へと向かった。席が無い場合の第二・第三候補も頭に入れながら。結局は、それでも殆どの机が7時からの予約が入っていたが、端の席を占める事が出来た。

予想外であったのは、ビールの樽からのラインが温度を下げ過ぎて凍りついて使えず、ビールが供給されなかった事である。それを知っていればよその店に行ったのだがと思いながらも、リースリング・ワインの炭酸水割りを注文する。

食事の方は、先週同じところで食べたカッスラーを天ぷらにしたものにジャガイモサラダをつけた物が美味かったので、今回も今日のお勧めのロースとビーフとした。因みにカッスラーとは、豚の背の肉を薄塩漬けにして、燻製にしたものである。そのまま薄切りにしても、暖めてザウワークラウトに添えても良い。

さてローストビーフは、薄切りであまりにも上品に仕上げていたのが物足りなく、ホースラディッシュもクリームで薄めすぎであった。もう少し豪快にやって欲しいと思いながら、辛口リースリングを注文しようとすると、ビールの準備が出来ましたとやってきた。英国のパブでローストビーフに引っ掛けるような美味いビールは無いので樽だしワインに拘る。それでも食後の、もう酵母は凍り付いてはいないが冷えたヴァイツェンビーアは流石に美味かった。折から実りかけようとしている無花果の香が漂い妙であった。

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王女とカエル王子

2006-07-08 | マスメディア批評
少々雨が降って幾らか涼しくなった。停電で冷蔵庫に保存してあるインドやインドネシアから輸入された冷凍のカエルの肉が解けてしまったと聞いた。

出かけた後に停電となったそうだ。明くる日も夜遅く帰って来て、何も気がつかなかった。干からびた体に生冷えの水気を補給して、疲れた体を横たえるとうとうととして眠り込んでしまった。

どれほど経ったのだろうか。とんとん、とんとんと誰かが叩く音がして我に戻った。戸口に人影はなさそうなので、夢うつつのままグラスに残る生緩い水を飲み干して、再び横になる。とんとんとまた音がするのだった。

一人暮らしの彼女は、もう一度戸口の気配をそっと窺って、戸締りを確認した。とんとんと、今度はあらぬ方から音がする。どうも厨房の方らしい。厨房には空中に突き出た窓しか無く、急に訝しくなった。耳を澄ませながら様子を窺うと、どうも冷凍室の内側をねっとりと擦るような叩くような篭った音がする。

そして、中から声がする、「最も若い王女様、開けてくださいな。井戸に居りました時に、私の大事な人になると言うなら、濁ったお水を綺麗にしてさし上げます、とお約束いたしましたよね。」。

恐る恐る冷凍庫のドアを開けると、中から緑色のカエルが飛び出して来るのだった。まさかこんな馬鹿なカエルめがと考えたのを思い出しながら、「ああ、私の大事なお方。カエルさん!」と約束を果たそうと彼女は叫ぶのであった。

こうして、彼女の寝床の足元に一晩、そしてまた膝元で一晩過ごすと、三度目の晩には彼女に「今晩が最後よ」と見限られて、枕元で一夜を過ごす。明くる朝に眼を覚ました彼女は、前へと進み出たカエルが驚く無かれ美しい王子へと変身するのを見届ける。

そのような話を考えた。

新聞には、先日ドイツチーム敗戦後にロッカーへと駆け寄った首相の姿が書かれている。同じ緑のジャケットに身を包んで健康保険行政改定への発言で連立与党間で揉めた矢先である。好い加減、王子と王女ごっこは止そうとある。四年に一度の総選挙を終えて今我々は井戸の中の蛙である。首相の政治理念のように、思う存分好きなように議論させるだけで、我々の自由は政治に征服されているとはなかなか気がつかない。

そして、我々は最後の二分間 ま で 戦ったチームと最後の二分間の た め に 戦ったチームの違いを観た。アンゲラ・メルケルは、十分に承知している。政治には終了の笛は吹かれない。彼女は「勝敗が決まらないことが、勝利なのだと、TV画面の隅の時計を見ている」だけだと文化欄は批判する。

グリム童話は、初版と完成版の出版の間に兄弟によってかなりの手が付け加えられている。こうした事を専門的研究されている向きもあるのだろう。議論の末の手直しは、それを大抵詰まらない教訓話にしてしまっているようである。


参照:
今後四年間の南国休暇 [ 生活 ] / 2006-07-05
蹴球愛国主義と文化水準 [ 雑感 ] / 2006-06-12
ドイツ鯉に説教すると [ 文学・思想 ] / 2005-03-14
お宝は流れ流れて [ 文学・思想 ] / 2005-03-15
冬の夕焼けは珍しいか? [ 文学・思想 ] / 2005-01-12
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蒸し暑い日々のアイス

2006-07-07 | 生活
安物のアイスケーキを食した。何種類かの内で今夏先ず最初に選んだのが、菓子に巻き込んであるクリームがアイスになっているチェリーロールである。安い上に腹が膨れるのが有り難い。

暑い日が続き、冷たい飲みものを飲んで、冷たい食事をしているうちに、本日のように曇りがちで湿った風が吹くと昼間から睡魔に襲われる。昨晩は、電光と幾らかの雷鳴に襲われたが僅か数滴の雨しか降らなかった。そのような按配で、窓を少なめに開け放ちた就寝であった。そう言えば、晩の九時から始まるワールドカップを居眠りせずに見通すのは難しくなって来た。どうも開け放たれた窓の寝室での夜間の睡眠に限界がありようだ。時間があったとしても暑い最中の午睡も難しい。

そうなると暑さを抑える麻酔効果を期待して、早々と冷たいものを一杯引っ掛ける。すると余計に晩九時ごろには眠気に襲われる。それでも何とかフランス対ポルトガルの試合は、延長戦が無い事を祈りながら、見届けた。試合後ジダンとフィーゴがシャツを脱ごうとするところで、公共放送に関わらずオフィシャルスポンサーのスポットがその情景をカットした。コーラとハンバーガーである。有り難くもないスポットに腹を立てたのは、両選手のファンのおばさん達ではなかったかと思う。なぜならば、試合前に両選手の裸のピンナップやフィーゴ選手経営のレストランで興奮するおばさん達の姿が紹介されていたからである。股間に手を置くというポーズが本業中も副業中も求められるらしい。

しかし特別に蒸し暑い日々である。日差しが強いのは季節柄としても、地面に溜まっていた水蒸気が一斉に大気中にあふれ出たような梅雨のような感じは珍しい。
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シロッコではないが

2006-07-06 | ワールドカップ06・10・14
さてミュンヘンの天候を見る。ご多分に漏れず今日はかなり暑い。こちらでも気温摂氏33度を超えているので、高地にあるミュンヘンとは言え摂氏32度となっている。湿気は50%を切っている事から、夕立の可能性は限られるかもしれない。

こうした気象配置を見ると所謂シロッコと呼ばれるサハラ砂漠の灰が降って、視界の悪いフェーン現象が起きている様子はない。

今晩の取り組みは、ジダンが登場する。引退を前に最後の華を咲かせる。アルジェリア出身の彼がフランスに住む移民のアイドルである事は容易に想像しやすい。サルコジ内相が進める移民法の発効とこうした引退試合の祝祭だけでなく、前回のワールドカップでの不調とフランス極右国民戦線ルパンの引退、そして今回の復活劇など奇しくも全てが重なっている。嘗て選手がラマルセイェーズを歌ったか歌わなかったかを問うたのがこの政治家である。こうした強制をファシズムと呼ばずに他になんと言おうか。

サッカーを政治の道具化してはいけないが、広く国民に呼びかける力も無視出来ない。試合前のセレモニーでの反人種差別へのアピールは、スターたちによって各国語で宣誓されて、必ずや青少年に力強く訴えかけたであろう。

ポルトガルのスコラリ監督が言う、「サッカーは戦だ。殺すか殺されるか。」の試合をするのだろうか。イエローカードの溜まるフランスにはラフプレーは最も効果的な武器になるだろう。一体どうなるのか。
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今後四年間の南国休暇

2006-07-05 | ワールドカップ06・10・14
イタリア人はとても速かった。街中で訓練された追剥ぎグループにやられるような感じである。蒸し暑く午後7時過ぎには、前祝のシャンペンを開けていたから、TVの前で大分居睡りをしても、それでも試合終了までまだ堪らなく眠かった。

ドイツ人は驚くほど動いていたが、充分に機能的に動くことが出来なかったようである。クローゼが上手く使えないことを見越して、右のシュナイダーに託したのは分かったのだが、結局このフォーメーションは機能しなかった。後半からどんどんと攻撃的な陣営にして変えて行ったのもヨアヒム・レェーヴの戦略だったのだろう。

それに引き換え、イタリア人はカウンターで状況を一転させる力があるので、最後の最後での得点を十分に計算出来ていたようだ。戦前は、守備の綻びなどが示されてドイツにチャンスありとしていたが、充分な形をなかなか作らせて貰えなかった。

試合後の皇帝の落ち込んだ表情は言うまでもないが、試合前の首相のいつも繰り返されるプロレタリアート独裁政権スポークスマン風一言がやはり気になった。必要も無いのに一歩踏み込んだところで、スローガンもどきな表明をして、一党独裁政権党挙げての見解を示す趣がある。ホーネッカー書記長が健在なところで、原理原則を掲げるような言動を子供のころから叩きこまれている東独出身者は、一生そのままであり続けるのだろう。毎年のバイロイトの音楽際初日のインタヴューも全く同じで、大多数の大衆の納得と姿勢の模範を示すような発言は、逆にこのトップダウン的な思考法の女流政治家の不人気をかっている。西側には、知識人や文化人がおり、それらの言動や見解が自由な報道の中で、広く世の中に伝わっている事を繰り返し思い起こさなければいけない。実行派メディア・ポピュリストの前首相とは正反対である。

クリンツマン指導体制の継続を望む声が急に強く叫ばれているが、どうなのだろう。女流政治家の首相は、父コール首相が代表チームの監督を囲ったように、表面に出てくるとは思えないが、そこまでは踏み込む人間でない事がこの政治家をただの調整役にしている所以であろう。いづれにせよ多くのサッカーファンには、虫唾が走ったに違いない。それに引き換え、首相が引き連れられて、男たちの裸のロッカールームにお悔やみに参上した大統領には、サッカーファンはいっそうの親近感が湧いたに違いない。

さて市井のドイツ人にとってこの敗北の意味するものを綴るとすれば、今後四年間イタリア旅行の際には、「イタリィエーナは、運転も危なっかしいしなんだかんだ」と言うところが、「テデスコは、システムとか何とかいっても口だけ」と言われているような被害妄想に苛まれると言えるか。町の旗指しの数は殆ど減っていない。殆どの人が日曜日の休みまでそのままにしておくつもりらしい。

何はともあれイタリア人が密集して住んでいる地域ではかなり湧いたようだ。しかしワイン街道は全く静かで、準備していた車や人間達が音もなく静かに通り過ぎるのが良く判った。強豪フランスとポルトガルの試合がミュンヘンで催される本日も暑くなりそうだ。そろそろ夕立もやってくるだろう。


参照:王女とカエル王子 [ 文学・思想 ] / 2006-07-08
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映像のみが語る真実

2006-07-05 | ワールドカップ06・10・14
昨日のトップニュースは、トルステン・フリンクスの処分決定であった。アルゼンチン戦終了後の暴力行為で処分された。それもイタリアのTV局による証拠提示となっているので、疑心暗鬼が前哨戦から湧き起こった。ヴィデオによる処分はトッティーも昨年の欧州選手権で受けたと言うから、その重要性はイタリア人は良く知っていたようである。確かに写真を見るとクリンスマンと並んで拳を握ってかましているのが良く映っている。打たれたとされるフリオ・クルツが覚えが無いと言うのが面白い。映像が全てなのだろう。

こうして、バラックとのコンビでイタリアの攻撃を引き止めつつ反撃へと出る重要な選手は出場停止となって、その次の試合まで出れない。その位置にセバスツィアン・ケールが入るか、ティム・ボロヴスキーが代行すると言う。

なにやら、チャ-ルズ・チャップリンの「独裁者」におけるヒットラーとムッソリーニが椅子の高さで虚勢を競うような按配でおかしい。こうした狡い試合になると予想する。さらにかなり惨めな敗者が生まれそうである。

そのときのPK戦でイェンツ・レーマンの受け取ったメモが報じられているが、こうした情報戦は何も珍しい事ではなくて通常行われていると言う。ただ、使わなくてもなんでもないとする。そして名選手ボド・イルグナーが言うには、PKは習う事が出来て、ドイツチームがワールドカップで18発中一発しか外していないのも驚きながらも理解出来るとしている。それは少年の時からの十分な経験によると言うのである。そして二発ぐらいはキーパーが止める事が出来るのは普通で、三発のリカルドはそれを超えているとする。反対にイングランドがなぜそこまで外すかは興味深いとしている。

試合が終わって暫らくして、アシスタントで参謀のヨアヒム・レェーヴが、「二日前に我々は世界チャンピオンになった。今度は欧州チャンピオンにもなる事が出来る。」と語っている。クリンツマンは、全ての戦略を握っている彼を後任に推薦していほどで、強く抱き合う蜜月の様子は些か暑苦しい。それにマネージャーで嘗てのセリエAの得点王オリヴァー・ビーアホッフのアドヴァイスが有用になると言うが本当だろうか?

クリンツマンは、フリンクスの処分を受けて、「我々の熱狂を誰も止められまい。」と語る。(テデスコイタリィエーナ)
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日曜朝のワイン試飲

2006-07-04 | 試飲百景
小ワインテースティングを日曜朝にした。教会へと向かう人の流れに逆らってワイン屋を目指すのも変な気持ちであるが、前夜21時過ぎに呼び鈴を押した不意の来客が飛行の前に買えるようにと日曜朝10時の開店を目指した。それでも手短に六種類を試すことが出来た。

2005年サマーワイン・リースリング
2005年ルッパーツブルガー・ライターパッド
2005年ダイデスハイマー・キーセルベルク
2005年フォルスター・ウンゲホイヤー
2005年ダイデスハイマー・ラインヘーレ半辛口
2005年ルッパーツベルガー・ヌスビエン・グランクリュ

サマーワインとはアルコール度の幾らか落ちたスッキリ系のワインを言う。よく冷やして飲めば、ビールよりも清涼感の得られるかもしれない。ライターパッドは、ミネラル風味の中にも独特の核がある味覚で、後味が些か強すぎる感じがした。一種の押しの強さのようなものは2005年産の特徴でもあるのだが。キーセルベルクはいつもの藁のような香りが強く個性的である。酸味が高い分、現時点では刺々しさがまだ感じられた。ウンゲホイヤーの内包するエキスは流石であるが、十分にクリアーな印象が良かった。一流醸造所の証明。ラインヘーレは、糖の多さが気がつかないほどミネラル風味で素晴らしいが、アルコールが低かろうその分水臭い。グランクリュワインは、十分過ぎるほど詰まっているが、一向に開く様子もなく閉じた味覚なので、平面的な印象しか与えない。まだ試飲するには早すぎたようだ。

結局、この中から突然の客人は二番目から四番目の三本のワインを買って帰った。フランクフルトから東京への機上に、その時の写真を送り、恐らくモスクワへ向かう辺りで礼状メールが発送された。ウラル山地を越えてシベリアをかすめる機首の方角に鳥瞰する横たわる光景を思い浮かべた。
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