Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

アーモンドの咲く里に

2007-03-16 | 試飲百景
暫らくご無沙汰していたギメルディンゲンの醸造所にお邪魔する。そこのワインは15年以上のお付き合いがあるが、これまでに購入した量は限られていて、何時もご進物用にとか言い訳をしていたような想いがある。

その理由は、地下の蔵出しレストランでここのワインを愉しみつつ馴染んできたのが、余計にここのワインを自宅へと運ぶ手間を避けさせたからのようである。記憶を辿れば、以前は些か硬さがあって素晴らしい香りと透明さをそれが隠したような趣があった。その色と味の透明度は、推薦に値するものであったが、レストランから家路につくとなぜか深酔いする傾向があったのも事実である。

その理由として、そのレストランで飲み食いするときは、手ごろで素晴らしいワインに舌鼓を打ち過ぎて、ご機嫌なうちに酒がすすんだ事が挙げられる。同時に硬さに相当する崩れないワインは、アルコールでふにゃふにゃになったこちらの体に堪えたのである。

その後、息子さんが代を継いで直ぐに、試飲購入した覚えがあるが、引き続き購入する事は結局無かった。そしていま、また同じように語るのである。

「ネットでお宅のワインの噂を多く読んで、それも日本語のサイトに書いてあるので、これは把握しておかなければいけないと思ってね。」

しかし今回は、どうにも中途半端な時期で、僅か二種類のそれも小瓶以外は売り切れていると先代の奥さんは説明する。それでも、嬉しいことに通常半額から瓶代を割引してくれると言う。試飲用に残してある大瓶から、その二種類を試飲する。

先ずは、2005年産ルッパーツベルガー・リンツェンブッシュのリースリングキャビネットを燻らすと思いの外香りが高い。この地所らしく ― なにせリンツェンつまりレンズ豆を想像してしまうから ― 薄平たい印象はあるが、それもここのワインの特徴とも相俟っている。しかし、代替わりしたゆえか市場に敏感で、先代の醸造に係わらず、硬さが消えて繊細さが増してきている。しかし後に自宅で小瓶を開けると、熟成がその瓶のせいか進んでいて、色も既に黄金色に傾いていた。

二つ目に、2005年産ケーニヒスバッハーオェールベルクのシュペートレーゼを試すと、これまたシュペートレーゼの重みが慎重に避けられて、玉露のような深い旨味を堪能できる。シュペートレーゼとして秀逸なのだ。奥さんが言及するように軽めのワインへの趣向にも留意している。

ギメルディンゲンは、ワイン街道を二キロほど離れて丁度ノイシュタットとダイデスハイムに挟まれているので、ワインの地所もその中間の地域に横たわる。隣の町キーニッヒスバッハのイディックとオェールベルクの話題となり、地質サンプルを見せてもらう。石灰質の白い石も混ざり比較的混合した印象である。

ケーニヒスバッハはカトリックの町であり、そのワイン地所は聖書の地名がつけられている。このオェールベルクも、イスラエルの小さな山であるがユダヤ教だけでなくキリスト教やイスラム教によっても信仰の対象となる。旧・新約聖書では、次のように記されている:
And David went up by the ascent of mount Olivet, and wept as he went up, and had his head covered, and he went barefoot: and all the people that was with him covered every man his head, and they went up, weeping as they went up. (2SAMUEL15.30)

さて、ある病人がいた。マリアとその姉マルタのいた村、ペタニアの出身でラザロスといった。このマリアはイエススに香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐった女で、その兄弟ラザルスが病気だったのである。(ヨハンネスによる福音11章1-2)

イエススはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行った。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるペトファゲとパタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、.....イエススがオリーブ山の下り坂にさしかかったとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあたゆる奇跡のことで喜び、......(ルカスによる福音19章28-40)

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるペトファゲとパタニアにさしかかったとき、イエススは二人の弟子を使いに出そうとして、言った。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばの繋いであるのが見つかる。それをほどいて連れて来なさい。......多くの人が自分の服を道に敷き、また、野原から葉の付いた枝を切って道に敷く者もいた。(マルコスによる福音11章1-8)

さて、イエススは弟子たちといっしょにゲトセマニという所に来ると、彼らに、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言った。(マタイオスによる福音26章36-44)

それから、イエススは彼らをぺタニアの近くまで連れて行き手を上げて祝福した。そして祝福しながら彼らを離れ、天に上げられていった。(ルカスによる福音24章50-51)

この二種類を購入して家へ持ち帰った。帰りに立ち寄った、プロテスタントのギメルディンゲンからケーニッヒスバッハの町にかけてのアーモンドの並木が満開を過ぎていた。人々の流れは、ケーニヒスバッハへの坂道を登っていった。

キリストの昇天の翌日5月18日と19日の両日に開かれる試飲会に参加しようと思っている。
参照:アーモンドの咲くところ [ 生活 ] / 2006-04-19
蜘蛛の巣と云う創造物 [ BLOG研究 ] / 2006-04-21
実も殻もないはなし [ アウトドーア・環境 ] / 2006-04-27
目を覚ましながら [ 文学・思想 ] / 2006-06-09
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2006年産の買付け計画

2007-03-15 | ワイン
買物の帰りに、2006年度のワイン購入プランに目処を付けようと、醸造所に立ち寄った。五月初めにグランクリュの試飲が出来そうだと、蔵の方から情報を入れていたから、それまでに日常消費ワインを確保して、資金繰りをしなければいけないからだ。

先日立ち寄った節に、2006年度産の通常ワインの確保は難しいのは十分に判っていたが、例年の三分の一の収穫と多くのラインナップの欠損は、予想以上に厳しい。2005年産が三分の二の収穫なので、過去二年間で一年分の収穫しかなかったことになる。正直なところ、日常消費ワインはラインガウやモーゼルなど他の地域へ行って本格的に探さなければいけないかもしれない。

その反面、高級ワインは地元のミッテルハールト産に大変期待出来る。繰り返せば、この二年で一年分の売り上げしか計算出来ない財政事情は、殆どの醸造所で一割方の値上げとしてこちらの懐に響く。反面、収穫量を落した事から、高級ワインにおいてはかなり上位に位置する水準の質が目指されていて実現する可能性が強い。

我々一般愛好家には、あまり関係ないが2006年産のこの地域の高級ワインは貴重なワインとなる可能性が強い。そのように煽るのは、明らかに悪しき商業主義であるが、収集癖のある人間には興味をそそる価値感である。

さて、自分自身はどのように判断するかと言うと、日常消費の面白い廉いワインを何処かで買い付けれる可能性が無ければ、手ごろな価格の高級ワインを多めに購入して、ウイスキーの水割りやなんとか飲めるキッチンワイン等で一年を乗り切る方法を検討している。

驚いた事に大高級醸造所のリッターワインは、知り合いの農家で作らせて確保している。葡萄を買い付けるではなく、醸造したものを買い付けているのである。もちろん、自らのエチケットを貼る事から十分なコントロールが出来ているのだろうが、これを聞いても如何に2006年の生産が困難であったかを示している。

つまり、旨い良いワインは、まわりまわって零細の農家でもなかなか見付からないのである。2005年産で出物があれば今の内に買い付けておかなければいけない。
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偉大なグランクリュを評価

2007-03-14 | 試飲百景
日常消費用になる可能性のあるワインを試飲する。2006年産であるが、なかなか良い。旨味に欠けるが、まあまあ綺麗に仕上がっている。しかし汚れを気にし出すと、無視出来ない。

馴染みらしい客さんが入って来て、グランクリュの話題となる。玄武岩の土壌ペッヒシュタインのワインの収集家のようである。BASFの買い付けのために開けられた、四種類のグランクリュの試飲を勧められる。

このフランクフルトからやって来たと言う御仁の好みと買い付けの傾向は明快で、その試飲の様を見ていると到底素人さんとは思えなかった。寧ろ、玄武岩のワインをラインヘッセンやバーデン地方のカイザーシュトュールの数件に買い付けに行っているのを伺うと、玄人さんに違いなかった。そして、魚料理の幾つかの種類とソースの可能性と挙げられると、そちらの専門家とも後から思わせる。

その趣味に合わせて、1999年産と2005年産のペッヒシュタインを比較試飲する。後者がまだまだ若く、殆ど開いていなくてそれほどに判断を下せないのに比べ、前者は全開と思わせるほどに、名前通りタールの味がするのである。不躾な表現をすれば、鉄道の枕木のあの匂いである。それが、川蟹や海老などの料理に素晴らしいのは容易に想像できる。そして、その状態になるまでワインを寝かさなければいけない。これも、奥深いドイツ・リースリング・ワインの世界である。この1999年産を購入しようとすれば、直接分けて貰っても手ごろなアイスヴァインの価格を越えるのは理解できよう。

そうした覗き見る世界とはどうにも違うのが、2005年産イェズイーテンガルテンであり、既に葡萄の31年の樹齢に達している。深く強く根を張って淘汰されているのである。だから、少々の環境の変化にはびくともしない。それだけに、極限られた収穫を使命とする。下支えが出来ている斜面の下部に位置する土壌は内包が多く、密なワインを齎す。それによってか甘口ワイン用の土壌とする醸造所も存在する。日当たりの良さから、糖比重が高いので、味があるワインとなる。このワインも、まだまだ充分に開いていないが、既に楽しむ事が出来る。今後十年は、浮き沈みがあろうが、まだまだこれから成長していくワインである。

その隣の地所であるキルヘンシュトックは、土壌を下支えしているのが玄武岩であるだけでなくアスファルトなど様々な組成が混ざっており、出来上がるワインも遥かに複雑である。その分、開き初めていない現時点ではまだまだその成分を分析することなど不可能である。こうした味覚からすると、フランスのグランクリュワインなどは如何に単純であるかと認識出来る。既に価格面でも高級フランス・グランクリュの価格であり、寝かせる事でロマネコンティーやサンテミリオンやメドックを越える潜在力を見せている。

明らかに、百年前のようにドイツワインの価値がシャトーマルゴーと並ぶ方向へと動いており、尚且つその時代とは違う大きな質の発展を見せている。

始の日常消費用に試飲したワインを試すときには、アムステルダムからやってきていたオランダ人は三百三十ユーロ以上を使って、そのワインを中心に購入して行った。なるほど、オランダ人には、フランスワインを直接購入するにはその原産地はあまりにも遠い。
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迎撃構想の世界戦略

2007-03-13 | 歴史・時事
中華人民共和国が軍事費を高騰させていくニュースとまたヘッジフォンド等の投資に対して制限を加えて行く情報が流れていたが、改めて全人代の正式文書を踏まえて観察していかないといけないだろう。中華人民共和国の衛星爆破のニュースが世界中を驚かせ、またミュンヘンでの安全会議の結果を踏まえて、その後の世界のミサイル防衛網構想が新聞記事となっていた。

軍事情報に詳しい者には目新しくはないのだろうが、あまりにも日常生活とは異なる上空で起こることなのでイメージが湧かないのは当然である。はたして、その記事を読むとやはり印象は変わった。

何よりも意外であったのは、レーガン大統領が提唱したスターウォー構想に始まり、これは未だに到底完成されないと言う事実である。90年代にドナルド・ラムスフェルドによって再び協議され、1999年のクリントン大統領時に実行に移されるが、冷戦後には第三世界の悪党国からの予期せぬ攻撃に備えると、その目標は推移した。故に2001年以降にABM協定中の迎撃ミサイル条項が、米国によって一方的に破棄されて、子ブッシュ大統領の舵取りで弾みがついたのは当然かもしれない。

2008年には89億ダラーの防御構想の予算が、2013年には507億ダラーになる事から、これから本格的に整備されることになる。2004年にはアラスカ・カリフォルニアに迎撃ミサイルが配備され、弾道ミサイルへの攻撃に初めて備える事が可能になったらしい。

しかし、ロシアが3800個の弾頭を飛ばすことが出来て、中国も410の核弾頭中32個は飛ばせるものとして、また中国としては少なくとも米国の幾つかの大都市は灰にできる反撃力を維持する意図があるとされる。つまり、量的な平衡が理論的に存在しても、決して完全に防御されることはない。

嘗てヴァルシャワパケットでは、ポーランド、チェコ、ブルガリア、東独に弾道ミサイルを配置していたとされて、その当時核保有国を含めミサイル保有は九カ国であったのが、現在は二十五国に拡大されアジア・近東の多くは危険を孕んでいるとされる。

特にロシアは、今回もNATOと共に防御システム構築を試みたが、結局NATOによって、現在ロシア周辺国での整備が進んでいる事から、モスクワでは500個保有すると言う核弾頭を運ぶ弾道ミサイルの高性能化などに弾みがついている。特にチェコにおけるレーダーシステムやポーランドを含める滑走路上への迎撃ミサイルの設置は、第三国の欧州や米国攻撃に備えたものとして、ロシアの軍事圧力の骨抜き化になるので、モスクワは嘗ての弟国に政治的圧力をかけた。

ここで気が付くのは、ポーランド軍がイラク派兵に応じた成果は、ロシアに対して牽制出来るカードを持ち得た事だろう。

同じように戦略的なシステムを、米国は、イスラエル、日本、カナダ、オーストラリア、英国と協調して構築する。特に北朝鮮のミサイルは、東京のみならずアラスカを狙う可能性もあるとして、またイランのミサイルはイスラエルだけでなく西欧を狙えるとして、システム構築の根拠としている。

この記事を読むとなるほど、こうした軍事バランスがあるからこそスカットミサイルが売れるのであって、完全に防衛出来るようになると、核の傘さえすらも取り払われる。ポーランドの二股膏薬のような政治戦略を見ていると流石に歴史の智恵を感じさせるのである。

一方日本は、諜報活動的な操作も困難ではない、大資本メディアが握る二項対立的に偽装化されたオピニオンにナイーヴな世論は左右されてイラク出兵を果たした、そのように外からは見えるが事実は違うのだろうか。こうした戦略的なノウハウは、占領政策から蓄積されたライシャワー氏などを代表とする極東研究の一貫として生まれてきたに違いない。

そうしたバランス感覚を以って戦略構想を練り、外交的な軸を上手に築いて行くのを政策と呼ぶ。しかし、それ以前にジャーナリズムと称する道化師は、筋書きの定まった茶番劇を演じるサーカスの緞帳の前で、一体誰に向けて何を演じるのだろう?



参照:
Verteidigung gegen Schurkenraketen von Nikolas Busse,
Alte Bedanken, neue Nervositäte von Michael Ludwig,
Aus der FAZ vom 22.2.2007
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ライカ社のエルンスト二世

2007-03-12 | 雑感
ライカカメラのエルンスト・ライツが注目を集めている。もう一人のシンドラーと題する記事を読む。

ライツ氏は、家族同名の二代目エルンストで1920年に父親の後を受けて、社長の座に収まっている。経営者としての手腕があった様だが、あまり情報が無いのは、多くのナチスドイツと関わっていた古い企業がこの時代をあまり語らないのと共通している。ライカ社訪問の際も戦時下の様子は手短に述べられていたような記憶がある。

ご多分に漏れず、エルンスト・ライツも高精密光学機器分野で軍需産業の位置を占めており、ゲッペレス博士もプロパガンダにライカの技術を利用しようとした。ライツ自身も1942年にはドイツ国家社会主義労働党の党員となっている。それどころか、ユダヤ人強制労働者を雇用した事で、先ごろライカ社はユダヤ人強制労働者に賠償金を支払っている。もちろん本人は戦後非ナチ化裁判の聴取を受けた。

それが今回、米国フロリダのアンチセミティズム会議で、ライツ氏の功績が表彰されることとなり、お孫さんのコルネリア・クュール・ライツが代わりに表彰を受け取った。アンネ・フランクとその家族を匿ったジャンとミープ・グリスやオスカー・シンドラーに並ぶ受賞である。

ロンドンのフランク・ダッバ・スミス・ラビが最近見付けた資料から、ライツ氏は少なくとも41人のユダヤ人の生命を救った事が判明した。例えばフランクフルトのツァイルでライカカメラをトップセールスしていたエーレンフェルド家の場合、1938年のクリスタルナハトに店舗を襲われ、米国行きのヴィザを申請したもののユダヤ人に対しての財産凍結から、業務上の知人ライツ氏を訪ね、現金を工面出来た事で亡命が可能となった。その他、職能工として自ら育てた多くのユダヤ人少年達を海外の技術援助へと手厚く派遣する事で、次から次へと英米へと送り出していく。ニューヨークの支点へと辿り着いたユダヤ少年は、明くる日からメカニカーとして安全な生活が保障された。

こうして綴ると自らは安全な場所から試みていたように見えるが、海外派遣の紹介書の署名をしていたアルフレッド・テュルク営業部長はゲシュタポに連行されて、三週間に渡ってベルリンに留置された。経済相への陳情で釈放されたが、部長本人が退職する事で責任を取らされた。また、父に倣った、エルンストの娘エルジーは、地元ヴェッツラーのユダヤ女性ヘドヴィック・パルムのために地図とスイスフランを与え、ミュンヘンのおばさん宅からスイスへと逃がそうと試みた。しかしこのユダヤ人女性はゲシュタポに逮捕されて強制収容所送りとなった。その結果フランクフルトの刑務所に三ヶ月間拘束された娘は、エルンストの賄賂によって自由の身となった。エルンスト・ライツは、それまでは自由党の党員であり、事情通はこれは大変な危険を冒していたに違いないと査定する。

そこで、映画に見る限り些か意思薄弱なシンドラー氏よりも、明らかに意思の明確なライツが、一方では軍需産業の枠にとり込まれてナチの協力者として強制労働者をも使用して、一方ではユダヤ人との公平な商関係や雇用関係を結び自らの危険を冒してまで貴重な生命を救った事は、我々に遥かに多くのことを語る。つまり、エルンスト・ライツの人格がここに浮かび上がる。それは想像するに、自らの職業への誠実さと同時に公平を欠く事を許せない企業家の倫理であり、決断能力のようなものである。そこには天性的なバランス感覚が働いていて、それは、自らの旗色を白とも黒とも、勿論赤ともさせない企業人の感覚とも呼べるものである。

特に工業製品が、大量殺害に使われたり、強制収容所の焼却炉に使われたり、ガス室の毒ガスとして使用されたりする例を我々は多く知っている。企業や技術者の責任も、また広く職業上の責任も、個人の責任同様に秤に掛けられる。しかし決して容易に犯罪行為は、相対化され相殺されないと感じたからこそ、エルンスト・ライツは戦後一言もその善行を言い訳として語らなかったのではないか?しかし、焼却炉のトップアンドゾーネ社のオーナーのように自害せずに、1956年に無事生涯を終えたエルンスト・ライツには自ら卑下する所は無かったように感じるがどうであろう。彼は、まともな人間として、一流企業家としての使命を果たしたに違いない。

救いの手を授けられた多くのユダヤ人は、会社からプレゼントとして携えたそのライカカメラを首にかけ感謝と愛着を持って写真を取り続け、上記エーレンフェルドはマイアミでライカカメラを売りまくった。感謝の気持ちは、多くの人に深く大きく育った。ライカの栄光は、こうした人々が背負っていたに違いない。

我々は、容易に旗色を決めたがる。簡略化して容易に第三者の視線を送るのである。しかし現実には、偽善者や狂信者や熱狂者以外にそうした原色の旗を持って先頭に立つの者は極少数なのである。周りの状況を分析して、注意深く窺いながら、バランスを取りながら日常を歩んでおり、旗色を明確にすることは限られている。



参照:
Der andere Schindler von Heidi Friedrich, FAZ vom 8.3.2006
The Leica Freedom Train
freedom train
蝕まれたカメラの伝統 [ 雑感 ] / 2006-03-17
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イスラム帰化申請の踏絵

2007-03-11 | 生活
バーデン・ヴュルテムベルク州では、既に帰化テストが実施されている。今回その問題の出典者のサイトか話題となっている。先ずは、そのテストの内容を見る。内容は、イスラムに対しての踏み絵のようなものであるが、その内容への反論を含めて、現在の欧州を示すもののようにも思われる。

先ずは、宣誓。根拠となる憲法の条項の所在が示されて、信条告白と忠誠が求められる。その対象は、自由民主主義の憲法の主旨であり、EUで統一される価値観として挙げられる。

• 人間の尊厳の尊重。
• 国による暴力の独占 ― 国を除く誰も、連邦共和国においては他者に対して暴力を行使する事は許されない。つまりこれは不可抗力である。国は、法的権限付与を根拠に暴力を行使する事が許される。
• 男女同権。

この基本条項に対する個人的見解?

もちろん、これは先進国の市民にとっては当然の質問であり、特に二つ目は暴力の譲与と暴力革命の禁止の明記でもある。

• 民主主義は、我々が保持する最悪の政体であるが、存在する最も優れたものである。
• 民主主義下においては、嘗て一度も暗黒は訪れていない。人類が民主主義から解放されるためには、民主主義が全く良からぬものを人類に与える事を、先ず把握しなければいけない。

この発言に付いてどう思いますか?

これは、民主主義の根幹に触れる重要な点と思われる。何よりも民主主義信仰を否定して、絶えず批判する事を要求しているからである。そこに民主主義精神が存在すると言う修辞法が存在する。これはウイストン・チァーチルの発言である:It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.

映画や劇や書物にて、様々な信仰感情を害されることがある。その場合、どのような方法で対処して、個人の信仰を護るか、またはどのような方法は否定されるか、個人的見解は?

宗教に対する批判については?それを認めるか?それを以って、自己対決させるか?

批判出来ない宗教やイデオロギーは危険で、それを自己の元で対決させる必要を問うている。

ドイツでは、憲法違反となる政党や結社は禁止され得ます。貴方は、禁止されているにも拘らずその政党や結社を支持しますか?それはどのような場合?

この質問の結社はイスラム過激派組織を指すのだろうが、実際は上記の基本精神に対応している。それを以って厳密にはイスラム系政治結社は否定されることになるが、実際には当然ながら存在する。

「妻はご主人の言うことを聞くべきで、言う事を聞かなかったら殴っても良い」とする見解に対しては、どうですか?

これは戦前の日本でも、一般的で、今でも正しい日本人男性像として諸外国で活きている。「ばかやろう」と言って女を殴るのである。

男が、妻や娘が公共の場で「恥をさらす」として家庭内に閉じ込める事を貴方は認めるか?

ドイツでは、夫婦間の暴力的な揉め事に警察が介入出来、必要あれば加害者を家庭から数日間隔離する事が出来ます。どう思いますか?

男性と女性が法の下に同権であることを、進歩と思いますか?もし、男性がこれを認めないとすれば、国は何をすべきと思いますか?

これはドイツ自身の問題でもある。増える高学歴女性のために、市町村では女性を優先して役人に採用しなければバランスが取れないとされている。

ドイツでは、適当な教育を持って殆ど全ての職業に付く事が出来ます。これに付いて、どう思いますか?貴方は、ある種の職業は男性や女性だけとする意見ですか?もしそうならば、なぜ?

どの職業は、決して女性のものではないと思うのか?女性の権威を認め難い職業で、嘗て問題がありましたか?

ドイツでは、男性医か、女性医かと自分で選ぶ事が可能です。しかし緊急の場合、当直などの状況において、異性の医師に手術や診察をさせますか?

成人した娘が、特定の職業に従事する事や自己の選択で結婚する事を禁ずる話を良く聞きますが、貴方はどう思いますか?貴方の娘さんが異教の男性と結婚もしくは貴方が好まぬ教育を受けるとしたら、貴方はどうします?

親が子供を強制的に結婚させるのをどう思いますか?そのような夫婦は、人間的尊厳を以って結ばれていると思いますか?

この最期の質問の情景も、我々にとっても近過去に見てきたものであり、親の権威から導かれるものである筈だ。

ドイツでは、水泳や運動は通常の授業に含まれます。貴方の娘さんに受けさせますか?駄目なら、何故ですか?

学童を遠足や合宿をさせるのについてはどうですか?

貴方の奥さんや成人した娘さんが、ドイツの彼女らの様に装うとしたら、貴方はそれをさせまいとしますか?するとすれば、どういう方法で?

― 貴方のご主人がそれに反対しているとすれば、どうします?

貴方の娘さんか妹さんが、帰宅して性的嫌がらせを受けたと語ります。貴方は、何をしますか?

貴方の息子や兄弟が、帰宅して侮辱されたと語ります。貴方は、何をしますか?

これは、個人的復讐が予想されるからだろう。

貴方の意志で改宗したり無宗教化したりする事は許されてますか?そのような改宗で、相続権を失ったりするとすると、どのように思いますか?

貴方のご近所からもしくは友人関係から、テロ活動や計画をしたものがいます。貴方は、どのような態度を示しますか、また何をしますか?

紐育やマドリッドの攻撃の首謀者は、貴方の目には、テロリストとして映るのか、それとも解放戦士として映るのか?ご見解を示してください。

この最期の二つの質問は大変政治的で興味深い。注記に書いてあるように独モスリム協会は、「保安当局との協調は戒であって、裏切り行為ではない」と声明している。つまり、暴力行為の阻止はモスリムの教えに背かないが、これらの行為者がテロリストとして映る事はありえないのではなかろうか。せいぜい、レジスタンスやゲリラと答えるのが当然であろう。

妻や娘の「ふしだらな行状」を理由に家族によって殺害された事件が新聞を騒がせます。家族の名誉のための殺害をどのように思いますか?

家族の名誉のための殺害。これはまさに、不条理と呼ばれて、馴染みがあるものであるが、該当の犯人は法の下に正しく裁かれたと記憶する。

ドイツにおいて二人の妻と結婚をする男をどう見ますか?

ドイツで結婚している男が、故郷に行って二人目の妻を娶る行為をどのように評価しますか?

一部の人は、世界の全ての悪事はユダヤ人に責任があるとして、それどころか九月一一日の惨事に彼らが潜んでいると主張します。そのような主張については如何ですか?

この質問も、なかなか良く出来ているのだろう。様々な陰謀説の中で、ユダヤ人を名指しすると特定のイスラムグループが炙り出されるのかも知れない。

貴方の娘さんは、ドイツで仕事を求めます。しかし、不採用の通知が来ます。そして、ソマリヤ出身の黒人女性が採用されたと知ります。貴方は、どういう態度を取りますか?

貴方の未成年の息子さんが、同性愛で男と暮らしたいと言ったと想像してください。どのように対応しますか?

ドイツでは、様々な政治家が同性愛者と公然と宣言しています。ドイツに措ける公職の同性愛者についてはどのように考えますか?

最期から二つ目は、不適当な質問として、修正されると聞いた。これを作成したグレル氏はBBCやCBCのインタヴューにも答えなければいけなかった。



参照:Rainer Grell, Dichtung und Wahrheit: Die Geschichte des „Muslim-
Tests“ in Baden-Württemberg
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臆病風に角笛が響く時

2007-03-10 | 雑感
嘗て、高原で牛に追いかけられた事がある。こちらが柵の中に入っていたのだが、先方の警戒感と特に母牛の興奮は尋常でなかった。動物相手に危険を感じた経験の五本の指に含まれる。

森から町へと出る途中に新興住宅街を挟んで、こうして牛を飼っている農家があった。囲いはしてあるが、この牛もなかなか体格と言い、汚れた足元や毛並みと言い、立派な角と言い、なかなか迫力があった。

角の形が明確に違うので、上に付き出ているのが牡で、前に付き出ているのが牝だろうと想像する。比較的小振りなだけに動きは良さそうで、こやつらに追いかけられる状況になると大変辛い。

特別先端恐怖症と言う訳でもないが、この角は恐怖である。場所によっては、少々突かれただけでも致命傷を追わされることになる。闘牛士のようにサーベルを持って立ち向かう事が出来るのか、それともカウボーイのように角に捕まってロデオのように乗る事が出来るのか。

なかなか、制覇するのは難しそうである。先ずは、角を何かで隠して、その鋭利さを丸めて貰わなければいけない。

角を頭に付けたヘルメットは、ヴァイキングの井出達として有名である。しかし、本物の牛の角は頭蓋骨に生えていると言うから、その強度は比べものにならない。

牛の角を起源とするホルンは、17世紀に狩の信号から現在の楽器へと発展したと言う。その時点で、既に独仏の発展の相違が明白で、特にフランスの太陽王の音楽にホルンを使ったのは宮廷音楽長のジャン・バプテスト・リュリとされる。
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天使が喇叭を鳴らす所

2007-03-09 | 生活
森の中に教会がある。礼拝所でなく教会である。礼拝堂は珍しくない。アルプスの高峰にもしばしば設置されている。しかし、教会と呼ぶからにはプロテスタントにおいても、共同体が存在する必要がある。つまり、礼拝がそこで開かれる。

19世紀の棟上げとなっていたが、一度火災に朽ちたらしい。先の大戦では、生きて帰ってきた信者の幸運が記されていた。

屋根だけの会堂の紐を引くと鐘を突くことが出来る。多くの訪問者がある日には、一日中甲高い鐘の音が森の中に警句的に響き渡る。いつも谷向こうの柱状の岩場の上でこれを聞いている。

苔むした屋根の上には、白金の風見鶏の天使像が陽に輝いている。マルティン・ルターは、「二十の悪魔がいるところには、百の天使がいる」と述べている。

毎度の事ながら意味深い言葉である。六分の一の人間が悪魔の決断をするのか?なるほど六分の五の人間は、妥当な判断をするが、その他は敢えてそれに逆らう。
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遊び心のエゴイズム賛

2007-03-08 | アウトドーア・環境
日曜日は気温摂氏17度にもなる晴天であった。南プファルツの森を三十キロほど歩いた。途中幾つか面白い物を見つけた。

樵が平日入っているらしい森を行くと、切られたばかりの材木が重ねられて、切り口に各々の名前と共に、向きかなにかを示す筋が入れられていた。

その近くに見つけたのが、写真の顔であった。樵らしい顔をしている。鼻が特別に釘で打ち付けられていた。

これを自然破壊というか、洒落というか、馬鹿げた行為というか、どうであろう。木の形を見ていて、遊び心が湧いたのであろう。樵の仕業に違いない。

卑近な喩えとなったが、ある行為に対する批判とその目的や結果を想像するのは大切に思われる。ポルシェを走らせ、結果として必要以上に排気ガスを出すことも遊び精神であり ― やはり企業の技術革新への投資や社会的使命を問いたい ―、それを否定出来ないどころか、より早く走ろうとするエゴイズムは寧ろ推奨されるべきものである。

問題は、そうした行為を批判しないこと以上に、「もったいない」と自己規制してしまうことである ― 市場の選択の自由を根拠に消費者に責任転嫁するのは誤りではないか。そして最も否定すべきは、そうした遊び心無しに無駄な行為をすることではないだろうか?


独り言:
この顔は、登山家で緑の党のラインホルト・メスナーにも似ているが、マグマ大使ゴア様にも肌艶が似ている。そう言えば、民主党のゴア様も環境問題に取り組んでいる。
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ドイツワイン三昧 I 2006年

2007-03-07 | ワイン
名前:
バッサーマン・ヨルダン

場所:
ダイデスハイム

特記:
2003年のファン・バーッサーマン家の持ち株売却から、様々な投資を行って近代化を履行している。その反面、名門中の名門に期待する伝統は薄れ、従来とは異なる尺度で評価される必要がある。現場の判断と営業面での判断が合致して、従来のイメージを継承出来るか否かに興味は移った。

履行日時:
2007年3月3日

試飲ワイン:
発砲酒 セッコ ― リースリング+5%ソビニョンブラン+炭酸ガス、

2006年ヴァイサーブルグンダー、
2006年シャドネー、
2006年グラウワーブルグンダー、
2006年スヴィニオンブラン、
2005年ヴァイサーブルグンダー+シャドネー(バリック仕立て)、

2006年リースリングリッター瓶、
2006年リースリング・ゾンマーヴァイン、
2006年リースリングリッター瓶半辛口、

2006年リースリングキャビネットリッター瓶、
2006年ヘアゴットザッカー キャビネット、
2006年ルパーツベルガー・ライターパード キャビネット、
2006年ルッパーツベルク・ホーヘブルク キャビネット、
2006年ダイデスハイマー・キーセルベルク キャビネット、
2006年ダイデスハイマー・ウンゲホイヤー キャビネット(ファスプローべ)、

2006年ダイデスハイマー・ラインヘーレ 半辛口キャビネット、
2006年ダイデスハイマー・パラディースガルテン キャビネット甘口、

2006年アウフ・デア・マウアー(ファスプローべ)、
2006年プローブス(ファスプローべ)、

2006年ダイデスハイマー・ラインヘーレ シュペートレーゼ(ファスプローべ)、
2006年ダイデスハイマー・キーセルベルク アウスレーゼ(ファスプローべ)、
2006年ムスカテラー アウスレーゼ(ファスプローべ)、

2005年シュペートブルグンダー、
2006年シュペートブルグンダー+ピノノワール ロゼー、
2006年ブラン・ド・ピノノワール、

全二十五種類。

感想:
リースリング以外のワインは苦味が強かったり酸のアクセントが全く利いていなかったりと、買えるものは無かった。しかしヴァイスブルグンダーが良いという人も居たので、酸味よりも苦味が心地良いのだろう。買い付けたリースリング葡萄で作られるレヴェルの2006年産ワインには期待していなかったが、味の汚れが気になり試してみたい物すらなかった。ゾンマーヴァイン等は既に購入していたが、本格的試飲が出来るのはこのレヴェルから上である。ヘアゴットザッカーやキーセルベルクなどは既に書いた通りで、高級ワインで質には文句はない。ホーヘブルクは、後味とステンレス熟成の炭酸の残留が品を著しく落としている。ウンゲホイヤーは、樽出しで瓶詰めには数週間掛かる状態であったが、潜在力は感じられた。再び試飲する必要がある。

半辛口仕立てにしたラインヘーレは、ラインガウのチャルタワインのような食事に愉しめるワインで好感が持てる。しかし、最も興味深かったのは新カテゴリーと呼べる、マウワー(ペッヒシュタイン+イエズイーテンガルテン)とプローブス(フロインデンシュテュック+イエズイーテンガルテン)の二種である。二種類の土壌から醸造したワインをキュヴェーとして混ぜたリースリングは、新規な商品であって、コカコーラワインが輸入されるEU市場を象徴している。特に両方の味覚を知るものにとっては喜びでもあって、上等なお遊びでもある。樽出し試飲であったので、まだ未開であるが、今回試飲した中で上位に位置した。特に前者はクラシックな木樽の熟成が功を奏していた。それに比べ後者のステンレス熟成は、よりコーラに近づいていた。

ステンレス醸造は炭酸が抜けないのでシュペートレーゼなどでも素性が直ぐ判る。赤ワインについてはあまり語る必要は無い。

総論:
何よりもステンレス熟成とチャルタのような作りは、ラインガウの超一流醸造所の試みと失墜を連想させる。もはや伝統は名ばかりの醸造所で、キャビネットにガラス栓を使ったりして近代的なワイン市場を狙っている。一部商品は殆どコーラワインへの道を歩んでおり、失望以外の何ものでもない。ただそうした営業的コンセプトの中でも、従来のトップ土壌を使った高級ワイン作りを行っていて、幾つかのワインは素晴らしいに尽きる。但し、その価格が魅力的であるには、あまりにも下劣なものを多く見せ付けられて、有難味が薄れてなかなか手が伸びない。高級大手醸造所の市場ポジションの取り方の困難性である。例えキャビネットといえどもガラス栓のワインには投資は出来ないとハッキリと申し上げておいた。しかし、営業方針に対する現場の対応と苦慮を垣間見ると、丁寧に評価しなければいけないのだ思わせる。思いの外多くの常連さんが駆けつけていて、顧客リストの大きさを見せ付けた。

上質の個人の顧客には、それなりに伝統的な品格を示し続けて貰わないといけない。十把一絡げではない営業と生産をこうした大醸造所が出来るかどうかが問われている。一部汚れた2006年産のワインの特徴を確認出来た。昨年とは違い廉いワインや単純な醸造所にはあまり期待出来ないヴィンテージである。

特に明記の無いものは全て辛口である。それは、温暖化による糖比重の高さを示していて、酸が強すぎてバランスが取れないものは皆無である。如何に綺麗に仕上がるかが、高級ワインの署名となっている。



参照:
ドイツワイン三昧 第一話 [ ワイン ] / 2004-11-07
ドイツワイン三昧 第一話 2005年版 [ ワイン ] / 2006-03-07
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光を背にした紫色の唇

2007-03-06 | 雑感
つまらないことを考えて床に就いたのがいけなかった。明け方、悪夢を見た。大人向けの夢としては最も戦慄の走る部類のものではなかっただろうか。思い出しても背筋が凍るが、このまま放置しておくにはあまりにも印象が強すぎる。その直後に書けなかったのは、その恐怖から抜け出す術が無かったからである。

私は夜のプラットホームで列車を待っていた。小さな駅のようで、真ん中には、停車しない急行のために通過線が設けてある。人も虚ろな漆黒に沈むプラットホームは、乾いた風が吹き通り、辺りの熱を奪っていた。列車の接近を示す警告が空気を支配しはじめた。二つ目の投光器を光らせて、黒塗りの車両が進入してくる。運転席に座る男は帽子を深く被り、背後の客室からの光にその表情は黒く潰れていた。光は、客室から強くはじき出される。油付けされた鰯のように立錐の余地の無い客室の人々は、体が捩れ、手足は撒き付いているかのようで、あたかも植物のように明るい室内の光を吸収している。無表情のギッシリ詰められた乗客を乗せた列車は、そのまばゆいばかりの光と共に通過して行った。

一体、私が見たものは、丁度列車の中間ほどの車両の一つの大きな窓に映った、まるで静止したかのように視線が吸い付けられたものであった。そこには黒髪の目鼻立ちのハッキリとした女の顔がガラスに押し付けられて歪んだ表情を映し出していた。その苦悩の表情で以って、そして確かにこちらを観察していたのである。何か黒っぽいスーツのようなものを着込んでいた。紫系のどぎつい色の口紅の塗られた唇が見えた。車両は、風切り音を立てて高速で通過して行った。また違う通過線に進入を示す警告音が流れる。どうも全て同じ方向から次々と車両は近づいて来るらしい。

この情景に戦慄して、壁に囲まれた階下のレヴェルへと降りて行く。上階の寒風吹く情景とは違い、そこは空気が澱んで湿ってどんよりとしている。

間も無く車両の接近を知らせる警告音が鳴り響く。何気なしにある方を臨む。霧の中にぼんやりと一つ目の投光器の光輪が見えたかと思うと、みるみる内に真っ直ぐにこちらを目指して近づいてくる。

私は恐怖に慄き、その如何にも重量級の車両の足元で身をかわす。すると次ぎの瞬間には、あらぬ方向から同じように投光器がこちらを照らしだす。身をかわし構内の端の方へと逃げる。直に壁にぶち当たり、それを伝って、構内から抜け出そうとする。壁は、まるで洞窟のようにごつごつと湿っていて、足元もぬるぬると滑り易い。歪に破られた壁の穴からは違う空間が広がっていて、今度は上や下の方向から投光器がこちらを照らし、観察者である私に迫ってくる。何処へも逃げる事は出来ない。

目が覚めた。その異様な体験は、暫らく体に残っていた。
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風が吹けば、気が付く

2007-03-05 | 生活
日常の生活で、思いもしなかった事に気がつく時がある。先月末の土曜の午後のスーパーマーケットでのことである。レジの行列が長いので、時間帯によるのかとも思っていたが、並んでいるうちに理由が知れた。

清算のオンラインの反応速度が遅く、カードでの支払いに時間が掛かっていたのであった。レジのおばさんに、いつもこの時刻はこうなのかと聞いてみると、今日は特別に遅いとこぼす。給料日の後の現象として承知しているようだ。なるほど銀行でも列が出来る日なのである。そのようなときは、レジでも列が出来る。

オンラインの回線を詳しくは知らないが、銀行のセンターの計算機の高負荷なのだろうと想像する。なるほど、一斉に負荷が掛かれば、とってもではないが対応出来ないのだろう。計算を分担させる機構になっていても限界値は必ず存在する。もちろん、決算の最終的な記帳は、その安全性から容易にどこの計算機にでも代わりに対応させる事は出来ないように思われるが、どうなのだろうか?

いずれにせよ、処理限界能力はそのあたりに設定されていて、同じ土曜日や月末でも通常は気が付かない程度の能力があるようだ。

土曜日は、午前中から強風が吹き、雲も飛んで青空にシャワーの一日であった。開花したアーモンドの並木が折れて、国道を塞いでいたりした。暖かく春一番の様であった。

午後にはワインの試飲会に参加して、十分に吟味したので、些か腹が膨れた。夕食を軽く済ませると、ここ暫らくの消化能力の低下から、起きてはいられなくなる。二時間ほど横になって、それから起きてしばらく体を動かしているとなんとか落ち着いた。

金曜日は、アルペン協会支部月例会で、ヒマラヤトレッキングに行く仲間を甚振って遊んだ。アンナプルナ山域に街道に出没するマオイストを心配していたので、無事を祈って、七年後の再会を願った。ハインリッヒ・ハラーが連合国の収容所から逃れチベットでダライ・ラマと親しんで、七年も過ごすハリウッド映画となった物語である。

そう言えば、一年以上ご無沙汰している方に思いがけない場所で偶然出会った。その女性から声をかけて頂いて、こちらは直ぐに誰だか判らなかった。偶々書類の山から彼女の名前の書かれたメモを見たところだった。これに付いては改めて書かなければいけないが、こうした偶然の、先日触れた「踊り場での逡巡」における連続した空間や時間の流れの中で主観的非連続が齎す錯覚との共通点は以下のようになる。

一般的な社会生活において「風が吹けば、なになに」のように因果関係の関連性を探すことが困難な「不慮の事態」に遭遇することも少なくない。しかし、三次元空間の階段はどのような形状をしていても、空間の重力等の束縛から逃れる事は出来ない。つまり自由な空間に存在しない。そこで、現実には逡巡の次の局面には必ずその摂理の中に舞い戻る必要がある。

結局、そうした主観客観に関わらず、次の局面での事象は実は予測され得るが、多くは偶然としてその因果関係を否定される。反対に、複雑な因果関係を認知して、その数学的確からしさをはじき出されない限り、そのような現象は偶然と呼ばれる。

何かが起こる時の因果律の摂理を我々は自然としている。
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緑のシンプルライフ推奨

2007-03-04 | 
緑の党レナーテ・キューナスト前農林消費者保護担当大臣(含狂牛病対策)のトヨタ発言は、EUの排ガス規制案に対して、二月の初めになされたものである。当初からラジオ等でも盛んに扱われた。

「諸君、トヨタのハイブリットカーを買い給え」

政権与党から離れた小政党としては、大変天晴れな発言でこうしてトヨタ本国でも扱われることになったのである。何よりも自動車王国であり、基幹産業のロビイストが活躍するベルリンでのこうした発言に、政治家としての資質をみる事が出来る。

この環境政党の政策意図は、現在でも燃料の環境税等の重しとなって、財布に直接圧し掛かっており、市民は身をもって感じている。それはディーゼル車の開発と販売を促したが、その排ガスの浄化技術等の可能性も押し詰まった。その一方、ハイブリット車の基礎技術はもともとボッシュ社のものとされるが ― ウォークマンを含めて全ての発明はドイツの物とされるのであるが ― 、水素エンジンを初めとする様々な試みの中でドイツ車における汎用技術化は遅れた。だからこそ、この所謂政治的ワンセンテンス発言は、現在の社会構造とその矛盾をあぶりだしたことでも秀逸である。

先ず政治的には、EUが我が身を削りながら温暖化を阻止しようとする態度に対して、ドイツ車至上主義のタブーを破り日本車を挙げてまでその二酸化炭素排出基準を固持しようとする意志を示したことは、国内事情から躊躇する米国等への強烈なあてつけとなっている。

それは同時に、二酸化炭素排出規制を根拠に原子力発電へとそのエネルギー購入へとまた排出総量の売買を図ろうとする現実政策派を議論の表面へと引き釣り出して、市民の温暖化への不安感を煽り一挙に環境政策の物々交換の清算へと持ち込もうとする政策を浮き彫りにする結果と相成っている。

一般に高級車と呼ばれる車重の大きな車や高排気量高速車は、燃費が悪く、EUの示す二酸化炭素排出規制値をクリアーするのは難しい。こうした事からEUの態度は、ドイツの自動車産業に対する仕打ちとみる向きもある。今回の発言は、それ故に当初からB級市場を狙っていたとされるトヨタの世界観を借りて、現在より良い社会的ステータスを、より高級なブランドへの物欲によって満足させようとする消費経済市場を打破しようとするメッセージでもあり、資本主義とは距離を置く自由でシンプルなライフスタイルがこれによって示される。

トヨタの宣伝文句である「不可能な事無き、トヨタ」は、こうしてそのフラッッグシップ化が企てられている高級車レクサスのイメージは否定されて、カローラとしてのシンプルライフイメージを満足させる結果となった。

同様な思想は、しばしば昼食を共にするとされるアンゲラ・メルケル首相にも表れていて、年始からEU主催国代表であるこの首相の方へとたちまち市民の視線は移る。首相は、環境保護を建前としたアウトバーンでの速度規制には反対とするが、環境を配慮した技術革新と運転を呼びかけた。無制限速度は、独自動車産業の優位性を保つための政策速度でもあるが、その制限とは実質最高時速250KMを140KM程度に落すことを意味するのであろう。つまり、環境に優しい運転と最高速規制は、実測平均速度140KMをなかなか越えられない現在の過密な道路事情を改善する事がもし可能ならば、それほど差異は無い事になる。

さて、ここで高速走行の優位性や経済性を考えると、実状から年々その合理性は失われていて、社会資本としてのアウトバーン有効利用をして、出来る限り高い巡航速度を維持しながら最高速度を落す可能性の追求が求められている。つまり、今後の高速移動のあり方を推測すれば、巡航安定性を基本に、安全と居住快適性を犠牲にすること無く、シンプルで無駄の無い交通システム構築へと進むのであろう。

そうした時間と資源の浪費を必要としない新たな経済システムとライフスタイルが合致するような技術的革新を生み出す時にこそ、ある種の優位性が再び確立されると信じるのである。それは、大多数の市民の支持を得られる社会資本の形に違いない。

通常の二倍近くの二酸化炭素を排出するポルシェは、最も批判の矛先にたっている。ヴェーデキント社長は、現在では非合理的な物欲の権化のようなポルシェの否定に対して反論している。新自由主義的な発想への風当たりはますます強まる。少なくとも非理知的な消費生活と浪費を代表したまま、それを否定する技術的革新を示せない限り、現在のブランドイメージを保持するのは難しいであろう。高性能の意味を履き違えてはいけない。

参照:
日本車賛美に反発の声 ドイツで(朝日新聞) - goo ニュース
Merkel fördert Spar-Autos, Financial Times Deutschland vom 12.02.07
自尊心と公共心を駆逐 [ 雑感 ] / 2006-11-28
瑞西の交通規制行動 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-02-09
完全自動走行への道 [ テクニック ] / 2005-12-02
公約無制限の高速道路事情 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-08-12
核反応炉、操業停止 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-05-27
自宅よりも快適な車内 [ 歴史・時事 ] / 2005-02-14
アウトバーンでの予知力 [ テクニック ] / 2004-12-27
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無色、要・取り扱い注意

2007-03-03 | 生活
先日ルターの本拠地ヴィッテンべルクで独プロテスタント会議が開催された。その内容は十分に追っていないが、その後の論議の一部を新聞が取り上げているのを興味深く読んだ。

何よりもの問題は、プロテスタンティズムの信仰としての影響力の低下のようである。このサイトでもタイトルに違わずプロテスタント精神についてもしばしば触れて分かる様に、実際のドイツ社会の中で敬虔なプロテスタント信仰を強く持っている者は少ない。

それは、この会議で扱われたプロテスタント共同体においての組織活動参加率の低下にも表れている。平均すると二割以下と言われている。つまり、コミュニオンによって正式に共同体へと参加しているプロテスタント信徒の八割が教会活動とは縁が無いと言うことになる。

その活動の中には、合唱やボランティアなどの活動も含まれている。一般にクリスマス以外は教会に行かないドイツ人が通常である事からすれば、日本の神道の新年の参拝に相当している。

これは、宗教心としてのプロテスタンティズムを指すのであって、寧ろそうした宗教にはあたらないプロテスタンティズムが社会規範となっている事から、まさに日本の神道イズムにも近いとする味方も出来るかもしれない。

その質と内容は引き続き考察するとして、今回の会議の改革点に、地方組織つまり土地毎の共同体への重点を弱めて、プロテスタント中央組織が大きな網を被せる事によって、ネット等での結びつきなどの方法を包括して、プロテスタントの力を強化しようと言うものである。

これは、経済的に効率の悪い即ち組織率の悪い地域で説教をするよりも、批判の多いベルリンなどの目立つところで質の高い礼拝をすることに繋がる。これに対して、改革を支持しながらも異議を唱えるのは、シュレースヴィッヒ代表幹事クリスチャン・クヌート牧師である。

その中で、「中央組織は、各々の地方を管轄してまとめ挙げる枠構造を規定するものであって、パートナーシャフトを以っての必要な協調作業や合弁は、下から上へと上げていくもので、上から下へと下げていくものではないとする。」

もちろん、これは、プロテスタントのあるべき姿で信仰告白と言うべきのものであり、封建主義から抜け出した民主主義の在り様そのものでもある。

それを言いかえると、「プロテスタント教会の強みは、各人が福音と結びついていることであって、我々はそれを可能とする事にある」とする。また、「自らが経済的にも授与することで他国においても勢力を伸ばしている。特に中国における熱狂的なキリスト者は、若者達への模範である」とする。

真剣にあるべきプロテスタントとは、「絶えず針の山に暮らすべきで、教義や儀式に陥ってはいけない」ので、「日に日に神の前に自由に立つ事は、しかしキルケゴールの示したように、決して容易では無い」と力説する。そして、「ルター自身、正しい教義や組織や教えを護る事をせずに、生き生きとした神との関係から、その不確定さが生み出されている」ので、「プロテスタンティズムへの傾倒は自らの葛藤として表れる」と語る。

つまり、「こうした不確定さは、啓蒙に対してでもあり、啓蒙と自己批判による活動が我々を破壊へと貶めたものである」が、「我々はそこから抜け出した」とする。

こうした宗教ゆえに、独プロテスタント総長のフーバー牧師が語るように、一度脱退した信者には語りかける事はないが、地域などに縛られない方法で信者に語りかけて行くと言うことになるのであろう。

信仰への不信感や懐疑すらを力強い信仰へのエネルギーと代える事が出来るプロテスタンティズムの力はこれにて理解できるが、大多数の信者にとっては、プロテスタンティズムは血と肉となった生活感や倫理観や世界観であって、意識せずしては自己啓蒙は言うほどに易くは無い。

ナチのゲッペレス博士が言うように、プロパガンダは見えないからこそその効果を挙げるのである。ならば見えないものは、色を付けて見えるようにしなければ、決して安全に取り扱うことが出来ない。
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踊り場で逡巡する隣人

2007-03-02 | 
霙交じりの空模様である。階段を下りて郵便桶から手紙と新聞をとり出す。暫らくすると、一転して空が室内を青く照らし始める。

語学学校の授業の中で一つだけ度々と思い出す内容がある。それは、踊り場での逡巡で、誰もが経験する階段を上り下りするうちに目的を忘れてしまうことを指す。

その時の古い語学のテキストの頁を捲ると、探していたものとは異なるカフカの「隣人」と題する一頁にも満たない短編が見つかる。そこでは、「隣は何する人ぞ的な」内容が描かれている。これも、共同住宅に住んでいると良くある情景である。

そこには、いつも急いでいて、偶に階段で顔を会わせると、既に鍵を手に準備していて、文字通りさっと傍を通り過ぎて、戸が開くか否や恰も鼠が尻尾をちょろと滑り込ませる様に身を隠す隣人が描かれている。

覚えているベテラン教師が語った内容は、それとは違う。今しがた鍵をかけて、階段の踊り場に至ると何処に何をしに行くのかを忘れて、逡巡する情景である。似たものをネットの老人問題のサイトに見つける。そこに、階段の踊り場で自らが今上りたいのか下りたいのか判らなくなる現象が投稿されている。

パリのアパートメントで、隣室の騒音とその原因をなした隣人と始めて顔を合わせたを読んで、階下に住む女性に先日話掛けられた事を思い出した。

夜遅く、振動と共に音楽が聞こえるのでどうしたものかとの苦情であった。オーディオについては覚えがあったので深夜は気をつけるとして、実はその振動には当方も苦慮していると反撃した。もちろん、階下からのものと確信していたので、半年ほど以前から、食器洗い機か洗濯機のように毎晩のように書き物机を揺らしていると苦情した。どうもその事が階下でも問題であったらしい。

その女性は、既に数年以上住んでいるので、半年前からのこの原因を作る筈はないと思い、近隣に事情聴取をしなければならないとしておいた。エネルギーを使う洗濯機は、子無し家族では週に二回の使用が限界であり、また皿洗い機があれほど振動するとも思わない。

そしてこの面談の後、なぜかその振動は収まり、嫌な振動を被る事はなくなった。さらに、階下の女性は引越しする事となった。すると、あれは一体何だったのか?引越しをする女性の事情はどうだったのかと、階段を上り下りする度に踊り場で考えるのである。



参照:「スーパーエッシャー展」、BLOG「夢のもつれ」より
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