Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

エンゲルの表徴の演出

2023-07-17 | 文化一般
承前)特等席を陣取った。そして先ずはカメラを抱えて指揮者エンゲルが出てくるのを窺った。なぜならば修道士宜しく頭巾をフランスコの弟子の様に被って人気づかれずに出てくることを知っていたからである。それをどうしてもカメラで追いたかった。否、頭巾を脱ぐところを写したかった。幸いにもベストポジションだった。先ずは進行係がコンツェルトマイスターのところに来てキューを出すと音合わせが始まって、見ていると、座っているベンチから最も遠いスタンドの対角線上の奥の小屋から黒装束が出てきた。

私でも認定がそれ程容易でないので、普通の人には特に初めてくる人にはそれが誰だか分からない。私ですら初日にはアシスタントの若い男性だと思い違いしたぐらいだ。皆はその男に気がついてもそれが登場人物の一人で何か劇が始まるのかと思って見ている。

その手のプレーイングコンダクターは近いところでは、リディア・シュタイヤー演出のシュトックハウゼンの光の「木曜日」で、または先秋の「魔弾の射手」でビアマグに口を突っ込んでハモる指揮者、同じマールターラー演出のアイヴスの「ユニヴァーサル」で行進の先頭を歩いていた。要するに出たがりであり、その上に手慣れている。演出家としても使いたい逸材だろう。SNS上にはエンゲルのことを称して最も楽しそうな指揮者の一人で、いい仕事をしている証だと書いていた物書きがいたが、その人間性はそれで間違いない。

そしてずっとズームレンズのヴィデオで追った。そして音合わせが終わる頃になんとなく影が表れて指揮台に上がると同時に頭巾を取った。そしてお馴染みの頭が表れる。前回前々回同様に近くの席から思わず笑いが起こる。まさしく私が最初に会った時期にはなかった大きな強みで、外見的特徴を笑いのツボにして仕舞っている。

SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, II (17:56), Killesberg Stuttgart


緊張と緩和となれば、本来ならばこの後に始まる二部の六景「鳥の説教」こそがこの大作の中心にありその大小の「鳥の演奏会」こそがこの作品の創造の源を凝縮させている。メシアンの作品の中でも最も密な部分ではなかろうか。謂わばブラックホールへと近づく重力場のような趣である。その緊張に対してとなるのではなく、最初に解かれたのはまさしく一部の悲しみを皆がどこかに背負ってそこ迄巡礼して来ているからに違いない。

だから「エンゲル(天使)の表徴」は、演出上のドラマテュルギー上でも役割を担されていたに違いない。笑いを取れるのはだから本当に天晴である。そして、肝心のミクロコスモスへと入っていくような音楽が始まるのであった。そしてここでやっとその音響の良し悪しが、この制作の出来の良し悪しへと連なっていく。(続く



参照:
アンジェリコのモード 2023-06-05 | 文化一般
賞総なめの音楽劇場指揮 2023-01-17 | 音
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フォロー対象のキャリア

2023-07-16 | 文化一般
腹の調子は大分よくなった。それでもまだガスが溜まる。完全ではないがもう少し投与を続ける。

MET公演の二日目後半にはまだ触れていない。取り分け言及の必要も感じないが、当初の期待はオテロ四幕のコンサート形式上演にもあった。特にオテロのアフロアメリカンのラッセル・トーマスを初めて生で聴くのが目的だった。ザルツブルクでのティーテュス役に出ていた時の、ゴルタ・ショルツへの郊外への散策での攻撃などが話題になって、その時の抗議の声からフォロー対象になっていた。要するに今でも人種主義的な差別に戦う姿勢が注目を引いたのだった。

その時の中継映像などを観ていてもまだまだ歌えていないのは分かり、批判もあったのだが、その後キャリアを積んでオテロ歌いになっていた。ショルツの方は現在メディアに売りだされている。

結論からするとヴィデオで観ていたり嘗ての批評の様に声を割ることはなかったが、歌の表現としてはやはり頂点にはまだ距離があった。技術的な問題である。それでも公演の流れの中でMETで歌ったりできる実力も芝居もあるので、それはそれで立派なものではないか。

残念乍ら相手役のデズデモーナを歌ったブルーは全く期待するほどの歌ではなかった。あれではまだ上では歌えない。歌えるようになるには技術がいる。しかしその天性のものは身体の大きさからしても持っている。ただそこまで行くのかどうかは分からない。

そして注目の音楽監督ネゼセガン指揮のオペラ演奏だが、ミュンヘンのそれと比較するとお話しにならなかった。全く何一つ語らない指揮と音楽。これでは歌手が場を作るしかない。世界のトップの座にいるオペラ指揮者としてはお話しにならない。前任者のレヴァインをまだ引き継いでいない。

それは前日の幻想交響曲ではっきりしていたのだが、この金曜日に生中継されたヴェルビエール音楽祭からのズビン・メータ指揮の演奏で更に明らかになった。セミプロのユース管弦楽団なのだが、先ず指揮が違うそして演奏のセンシティヴィティーが全く違う。座付き楽団としての精妙な伴奏も聴かせないのに一体なぜ世界一なのよ。こんな事をしているから劇場の存続すら危ぶまれているのだ。



参照:
暇潰しのMET公演を髣髴 2023-07-03 | 文化一般
率いられる座付き管弦楽 2023-07-06 | 音

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ルネッサンス以来の匠

2023-07-15 | 
承前)二幕四景「彷徨う天使」、五景「音楽する天使」と六景「鳥の説教」は二部として野外劇場と予め録音されたMP3で再現された。最後の二景特に「鳥の説教」の音楽がこの大作の最も重要な部分であり、音楽的に最も手が込んでいることは誰にでも分かる。音楽的な素材でもあってその採譜された鳴き声が音楽的な発想になっているのは知られているが、この音楽劇場作品においてはお告げになっている。

鳥のカタログなどで大作化している作曲家であるが、この作品においてその意味合いが集大成されているのだろうか。とても重要な発想をそこから得ているのは創作者本人が書き留めていると既に述べていたが、やはりここでの「大小の鳥の演奏会」の其々の鳴き声の手練手管の扱いに全てを賭けている。謂わば自然の素材を極限の匠によって芸術化している様はルネッサンスのジョスカン・デプレの作風を思い浮かべる。

オペラ芸術としてはバロック期におけるモンテヴェルディの作品「ポッペアの戴冠」等と昨年再演されたハース作「ブルートハウス」を並べたが、この大作は最早オペラでもなかった。その意味からルネッサンスの対位法と並べ賞しても悪くはないであろう。それほどの複雑なリズムが絡み合っていて、そこにまた新たな囀りの出入りがある。それゆえにぴっちりと演奏して聞かして欲しかったところなのだが、残念乍らオープンエアーの演奏するにも条件の悪いところでの公演となったとするのが初日と三回目上演での感想だった。

そして最終日には陣取る位置を考えた。大きな切っ掛けは割り与えられたところが日向であり、管弦楽から遠いスタンドだったので、最初から場所替えのベストポジションを探した。基本は割り当ての人が座っていない空いた座席となるのだが、その区画延長線上の楽団舞台下手横の最上部だけにある木陰の小さなスタンドを見つけた。明らかに最上席であることを音を少し聴いただけで確信した。

音楽会場などは今迄の経験で写真を見て殆ど想像がつくのだが、流石にスピーカーシステムで整えられた野外でのPA音響に関して迄は分からない。勿論メインスピーカーや返しのスピーカー更にメインのマイクの位置などをざっとは確認するのだがそれで想像可能な程な経験がない。芸術音楽興行でオープンエアーに出かけるのは今回が初めてであって、最終日は三回目だった。その割には上出来だったと思う。

それでもスタディアムの縁が一番上まであって、管弦楽の最高位置に居並ぶパーカッションやウインドマシーンなどの並びで、前回座った反対側とは全く異なり強調も全くないのは下側に座っていなかったからだろう。同時に鉢の頂点なので生音も結構大きく、全くPAとの違和感もなかった。(続く


写真:千秋楽は正面右端のEの看板の横の光の当たる木の幹の木陰の最上階ベンチに座った。



参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
パブリックヴュイング舞台裏 2021-07-30 | 雑感
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旅程確定の席取り結果

2023-07-14 | 
席取りは思ったよりも難しかった。第一希望は駄目でもと思って次の希望を少しは考えていたが予想外に選択の余地がなかった。夏のベルリナーフィルハーモニカーツアーの裏プログラムをもう一度聴く。第一希望にはコロナ期間中にキャンセルとなったアムステルダムマーラーフェストの流れでの小ツアーでの帳消しになった席を65ユーロで再度獲得と考えていたが甘かった。同プログラムは既にルツェルンの音楽祭で220フランを出している。その欧州で最も勝れた音響のモダーンなシュボックスとしては世界の頂点と思われる駅前ホールkklでの席も、それ程良い場所ではないのだが、決して悪くはない筈だ。それだけの投資をした。

そして、最後にシカゴ交響楽団でムーティ指揮が弾け跳んだルクセムブルクでの公演、その前のフィリーのハーモニーを聴いて大満足したその席で今のベルリナーフィルハーモニカーを聴きたかった。そのルクセムブルクのフィルハーモニーはkklと比較されることが多く、甲乙つけがたい。今世界で話題の指揮者ヒュルサなどに言わせると、視覚の関係か、明るい暗いと、その舞台と客席との間の音響の差異の少なさでkklに軍配を上げている。大きさは20%程違うので、どちらが贅沢かとすればこちらなのは明らかで、それを65ユーロで聴こうとしたのだが、流石に難しかった。

それと同価格は舞台奥しかなかったので上位の95ユーロの席しか選択はなかったが、視界、音響双方でより優れているとは限らない。座ったことがないのでパノラマ写真だけでも分からない。かといって最高価格の125ユーロでもこれは間違いないという席も無かった。ワイン試飲会も兼ねての週末旅行なので友人も誘おうかとも考えていたのだが余分にいい席二人分も到底なかった。

第二候補としてお手つきして先に取られた席もあったのだが、同じ価格で視覚的には悪くはなくてもそれ程音響的に優れているとは思われなかった。それがその価格になっているというのがあまり期待できないところでもある。

これで試飲会ディナー予約59ユーロに、アパートメント二泊128ユーロも予約を済ませてあるので、それらに往復の燃料費80ユーロぐらいで〆て約350ユーロ、そこにワインを購入してくるとやはり簡単に500ユーロを優に越えてしまう。

問題は前日にルツェルンから帰宅して、翌日二時間程車を走らせて、19時までに試飲会を終えないといけない。チェックインが14時からなので、当然の事それを目指す。前日にはルツェルンからで340km程走っているので、上手く疲れを取っていかないと、酔いが残り日曜日にも影響するからだ。その為にルクセムブルクにも遠くない所に二泊して、ゆったりと出かける予定である。



参照:
縦の線への疑心暗鬼 2019-03-22 | 文化一般
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
シカゴ交響楽団のサウンド 2020-01-25 | 音
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数日楽しんだ8ユーロ

2023-07-13 | 料理
暑さが続く。それでもなぜか陽射し除けを付けていない。恐らく室内の温度の上昇が押さえられているのだろう。一つは雨量が少なく湿気が低いこと、だから野外の陽射しは甚だしいが、それを避けて空気対流調整さえうまく捗っていれば、室内の温度はそれほど上がらない。しかし暑いとどうしても薄着になり裸になるので腹の調子は治らない。三週間目ほどに突入する。投薬を自ら処方してからもう直ぐ一週間になる。そろそろ腸の調子が良くならなければ問題だ。ガス腹に直ぐになり易い。

サマーカットの散髪はその短さその時期を上手く選択したと思う。今襟足に簡単に指が掛かかるぐらいならば頭が過熱していたと思う。タブレットでも直ぐに熱くなるのでその差は顕著である。それでもどうしても飲み物も冷やして飲んで、傷みそうな食材も冷やす。トルテ類まで冷やして食するので腹にストレスが掛かるばかりだ。

先週パン屋で購入したプラムのそれも味は良かった。冷蔵庫で数日は楽しめた。黴も怖いのだが、酸も強かったので、味の変化もなかった。8ユーロを越えていたのだが、八等分の二つを一挙に食しても飽きは来なかった。

さて愈々、来シーズンからの準備をぼちぼちしだす。それ程暑くなく体調がよければどこかにとも思うのだが、先のことを考えておいた方がよいだろうか。先ずはルツェルンでのベルリナーフィルハーモニカーの恒例の夏のツアーからだ。その発券状況を見ると日本公演でのプログラムBつまり裏がここではシーズン皮切りに演奏されるので表となる。昨年はマーラーの七番で11月の合衆国公演迄とても大きな反響を呼んだ。しかし今回は全く売り切れていない。その反面裏になるプログラムは1月以来二度目の演奏となって、より売れている。フルトヴェングラー指揮初演のシェーンベルクの変奏曲とべート―ヴェンの八番が大きな売りになったようで異例である。私も裏のプログラムにより高価な220フランの席を取った。表はフランクフルトの壮行演奏会でもう一度聴くからだ。様々な理由があると思うが、それに関して纏めておくのは結構重要なお勉強ではないかと思う。

先週お土産に貰ったチューリンゲンのザーレのリースリングを開けた。エティケットも見る気もしなかったが、クラウス・ベーメという醸造所のもので、見返す程の内容ではなく予想通りの悪いリースリングの典型だった。貝殻石灰のリースリングはフランケンならば軽く仕上げるのだがこれは重く作っていて、残糖値が高い。こういうワインをどういう人が飲むのかと思う。つまりアルコール度も12度と高く、糖添加しているのではないかと思わせる。今時高級ワイン協会VDPでは絶対あり得ないことだがこうした田舎の醸造所ではありなのか。兎に角都会の人は手を出さないワインだ。



参照:
凍て付いた果汁の古木 2009-01-17 | ワイ券
ザーレ河の狭間を辿る [ 文学・思想 ] / 2006-12-25
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劇場空間の複雑なリズム

2023-07-12 | 
承前)音楽劇場における感動とはどこからやってくるのか。隣のおばさんは初日よりも千秋楽の方が一部で感動したと話していた。私自身はそうではなかった。原因は初日は舞台のより分かり易い下の席に座っていたからではないからだろうかとも答えたが、やはり演奏自体は変わって来ていてより正確に音を出すようになっていたと話した。

成程いつものように新制作の初日は歌手も調整してきていて緊張感もただものではない。そしてそこで評価の殆どは決まる。但し今回の作品のように厳密に音を合わせるのが難しい楽曲の場合、やはり演出に合わせて歌に合わせて如何に狙った効果を得るかに最大限の努力をするしかないということである。

小澤指揮による初演はその点からいっても最大限の仕事をしていて、それだけの練習時間を要求したに違いない。それでもメシアンの指示通りの500人規模の合唱団による公演などは不可能でしかなかった。こうした音楽劇場新制作に一体どのような創造的な活動が必要かはこれだけでも分かるのではなかろうか。

レクチャーにて、来年にジュネーヴでそしてハムブルクで上演されるとの情報も出された。逆にそれだけ初演後の舞台上演回数が限られていて、コンサート形式では意味を持たないというのが、まさしく今回の一部でオラトリオ風の聖劇のように上演されたことでも理解された。ドラマの無いところのドラマ。歌詞自体も聖句のようなものが続いたりと、要するに舞台での芝居から歌になるという要素は少ない。

つまり音楽に従って舞台が進行するという劇場空間が重要になる。その為に複雑なリズムで音楽が進んで行く。より正確に楽譜を音化するということが齎すものは、小澤指揮のようなリズムの精妙さでの輝きもある一方、やはり動機的に重要なモードを描き出すこともとても重要になる。なぜならばそれが終景迄重要な主題となっているからである。

千秋楽での演奏がなによりも優れていたのは、やはり指揮者だけでなく楽員各々にそうした関連が身体に沁み込んでいて、より実感を伴った表現が可能になっていることだったろう。個人的には、よってどちらかというととても批判的に一部を聴いていた。勿論まだここはとか、録音として残すなら細かに修正したいところもあったのだが、更に舞台の横で観ているとより劇と奈落とのタイミングなど、前で観ていた時よりもより精妙さが気になった。歌手も疲れているだろうからそれ以上に管弦楽が流れを制御していくことの方が全体にとって何よりも成功へと導くと考えられていたに違いない。そしてこれが一番問題のあった二部のオープンエアーで成果を齎したに違いない。(続く
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, I (15:03), Staatsoper Stuttgart




参照:
愛する者のみが赦される 2023-06-13 | 文学・思想
行動食、濡れティッシュなど 2023-06-03 | 文化一般
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いつも注文しているもの

2023-07-11 | 料理
シュトッツガルト行きの千秋楽は上手く運んだ。11時過ぎに出て、12時52分に車庫入れで、22時20分の車庫出しだ。最も今回が往復ともすんなりと進んだ。それでも帰宅は午前様になったので眠かった。

ガス腹の調子ももう一つだったのだが、投薬のお陰で大分よくなってきていて、それ程問題はなかった。しかし何よりもオープンエアーでの今迄で最高の高温が予想されていたのだが、若干透明性がなくて日陰の場所に上手く潜り込んで良かった。

コーヒーも劇場で二杯飲んで、一部は眠かったのだが、あとは集中力が上がっていった。やはり練れるとこちらもやる方も勝手が知れていくということだろう。

着替えの帰りに再び物乞いに小銭を投げた。前回は1ユーロだったのだが、2ユーロしかなかったので50セントにしておいた。それでも予想外に帰りの22時過ぎにも座っていたのでご丁寧にお気をつけてお帰り下さいと言われた。兎に角言葉使いがいいのである。途中にグループで並んでいるところに変な奴が来たが、言葉も態度も真面ではなく当然断った。

今後とも通る度に挨拶されて駐車料金も日曜日でなく高価だと、物乞い込みで金を取られるのも嫌だなとも思いながらも、当分は行かないという気楽さもあるのだった。

これで私も夏休みである。税務処理をしてという感じで、避暑感覚でワイン街道で過すことにする。散髪に行っておいたのも効果があったと思う。

先日久しぶりにワイン街道の通称「カツ屋」でヴィーナ―シュニッツェルを食した。料理長が変わっていないのか相変わらず美味であった。ドイツでは真面なヴィーナ―シュニッツェルは殆ど食せない。なぜならば豚のカツと同じように簡単に作ってしまうからである。似ても非なるものである。その衣の薄さやその質は何事にも代えがたい。

サラダも美味く、付け合わせの塩吹きジャガイモも美味であった。冷えたビールにそして蔵出しのリースリング。偶々涼しかったのでテラスも空いていてとても気持ち良かった。

ワイン醸造所でもどこでも、暫く行かないでも同じような顔ぶれで、こちらのいつも注文しているものを覚えてくれているのも有難い。



参照:
独り立ちしているケーキ 2023-07-07 | 生活
生誕二百年祭の日 2018-05-06 | 暦
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精霊が肉体に宿る音楽

2023-07-10 | 
承前)新制作「アシジの聖フランシスコ」の千秋楽が終わった。泣かなかった。それ以上に音楽に集中できた。即ち、泣きそうになるとか感動するとかとかはまだまだ芝居に酔っているということでしかない。

前日、前々日に地元紙シュトッツガルター新聞の記事が話題になっていた。要するに今回の公演への真面目な批評記事である。だから劇場はその記事を自分のサイトに全面引用して、支配人は反論の投稿をしている。

搔い摘むと批判は、信心家のメシアンの作品に対して、劇場から宗教的な象徴を無くしても超自然なものが表現されていなかったとなる。これはここでも既に述べたようにメシアンの「パルジファル」批判を引用すれば創作家の立場での反論が可能だ。支配人ショーナーの反論内容は無料では読めない。

そのことを隣に座ったおばさんに振ってみた。彼女は筆者に会ったら「一体何を舞台に示したらいいか訊ねてみたい」と答えた。私は彼女に、高度な芸術において音楽をオリエンテーションすべきで音楽が抽象的であるならば、どうしてもそうなる」を持論とした。

もう少し下世話にいえば「ト書きを守って」というのは、要するに三流脚本家のそれにしか価値を見出せない聴衆若しくはオペラでしかないとなる。勝手にディズニーでも観ておいてくださいとしか言いようがない。

今回の場合は、明らかに、ボイスを使った動物振りで「インカネーション」つまり精霊が肉体に宿り、そのことが聖フランシスコの生物への博愛となる、更にアキナスの三位一体論からのエコロジーへと引き継がれるその宇宙観が悉く示された。これ以上のカトリック宗教観があるのだろうか?最終日のレクチャーでは1970年代の緑の党の思想に作曲家は影響されていたと説明されていた。まさしく過去半世紀のカトリック思想である。

レクチャーでドラマテュルギーの人が訊ねた。初めてオペラに来た人?と、それで三四人いた。拍手が起こった。その人たちでもこの催しものに参加していたらある程度の知能の高さがあればそのことは分かる筈だ。しかし、それはその演出で理解可能なものかもしれない。それならその音楽の価値は、演出に合っていればそれ以下でもそれ以上でもないということにはならないのか?そしてそのような芝居に作曲された創作というものが百年以上も継承されるようなそれどころか再演に耐えられるような芸術的な価値があるのだろうかという問いかけにもなる。(続く



参照:
聖者のエコロジーシステム 2023-07-08 | アウトドーア・環境
悲しみに打ちひしがれる 2023-07-04 | 音
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謝礼貰えるだろうか?

2023-07-09 | 雑感
朝一番でアンケートに答えた。ミュンヘンの劇場から7時12分にメールが入った。アンケートと書いてあったが、それが先着順でのお礼と気が付いたのは数分経ってからだ。そこから起きて、回答を始めたのが7時半前ぐらいなので15分以上経過していた。そして終えたのが8時10分頃なので一時間掛かってしまった。その間に商品を貰える500人を越えていた可能性がある。

ミュンヘンの客層の質とその規模は尋常ではなくて、数日前から並ぶ人も50人ぐらいは直ぐに超える。前回並んだ時に340番ぐらいだったので、そこに絡めたかどうか。メールには20分掛るとなっていたが、幾らいい加減にやっても7時45分には終わっていなかったと思う。

謝礼を貰えるかどうかで改めて熱心な顧客さんの数が分かる。朝早くてもその時刻にはベットから出ている高齢者も多いだろうから、二三時間の内に1000人ぐらいに達したかもしれない。券の発売待ちの人数からすればそうなる。

設問の数は覚えていないのだが、過去12カ月に何回とか、24カ月にどこに行ったとかから始まって、劇場での接客態度とかに点数をつけていく。概ね好評価で、抑々質の良いオペラの為に通っているとなる。勿論結構通っていて六回ぐらいに至っていた。要するにバイエルン外の訪問者としては可也の数だと思う。

興味深く回答したのは三つの通った劇場を挙げて、その相対評価を与える所である。勿論実際に対抗馬としてシュトットガルトとフランクフルトとハムブルクを挙げた。最後のはコロナ前だとそれ以前になるが。無くなって他より残念なのはトップでミュンヘン、シュットガルト、フランクフルトで一つ下にハムブルク、世界一の歌劇場にはミュンヘン、二つ下げてシュトッツガルト、その下に残り二つ。共感ではミュンヘンとシュトッツガルトでその下のフランクフルトにしておいた。現在の体制からすればドルニーとショーナーならどちらも変わらない。アイデンティティーではミュンヘンでその下にフランクフルトとシュトッツガルト、要するにハイブローでもある。

その他ではストリーミングのオンデマンドに関しての料金設定があったが如何なる理由でも零ユーロでも高過ぎるとしておいた。即ち一銭も払いませんよということだ。同様に入場料金も高価過ぎると文句をつけておいた。オペラもコンサートも高価過ぎるにチェック 。劇場のサイトにも苦情しておいた。謝礼貰えるかな?



参照:
エリートのルツェルン音楽祭 2022-10-20 | 文化一般
ハイレゾDLが可能ならば 2020-05-30 | マスメディア批評
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聖者のエコロジーシステム

2023-07-08 | アウトドーア・環境
週末は愈々新制作「アシジの聖フランシスコ」の千秋楽だ。正直今から感動している。兎も角なにもかもが感慨深い。音楽的に詰めておかなければいけない所も儘ある。時間的に間に合うか、なんとも覚束ない。それでももう一度の体験でもう一つ深く理解できるようになると思う。学生券が出た為か最後の二回も直ぐに売り切れた。勿論指揮者のエンゲルも最後に賭けてくれると思っている。

そして今80頁規模のプログラムにさっと目を通してみて、音楽的に感じたことも裏付けされたところもあり、演出のコンセプトがヨゼフ・ボイスを通してまたケージの言葉とそしてメシアンの文章も載っていて、聖フランスコへの視線としてとても納得が行く。

二部における巡礼に関しての文章も例えばアルピニズムなどとも対象化していて、なるほどあのそして来る日曜日にも予想される炎天下の野外劇場の厳しさもその意思に含まれている。確かに我々のような人間でも逸早く上部のビアーガルテンに着こうと思えば汗を掻くだけでなくて息も上がった。必ずしも幸福感に満ち溢れている訳でもなく、野外劇場に陣取っても必ずしも到達感はない。日陰に入っていてもそれ程快適さはないからだ。

しかし前回の訪問でよく分かったことは、一部での悲しさはその途上で晴らされることで、まさに巡礼の目的であり、全身で体験することになっている。もはやこのイヴェント自体を冷めた目で客観的に観察するようなアウトサイダーではいれなくなる。そしてこの小冊子には、カトリックにおける巡礼はプロテスタントやユダヤ教にはないと明記されている。

メシアンが批判する「パルジファル」における宗教儀式はこの「アシジの聖フランシスコ」にもない、そして神が啓示することも無い。それが音楽として認知を越えて示される。鳥の鳴き声の三分、四分、六分音をフランス中に取材してピアニストの奥さんの力を借りて採譜したことは、自らバルトークにおける民謡の収集と並べている。

人よりも先のその音楽の囀りは、聖フランシスコにおいては植物へとそして地球へそして宇宙へと語りかけて先が広がる。最早そこには人間の知性もその地球の一部になり、トマス・アキナスの哲学へと繋がっていく。そこには楡に宿り木を枯らす苔もあり、生態系として成り立っている。

ここにエコロジーにおける基本理念があって、同時に新制作「アシジの聖フランシスコ」のにおいて、その視点からこの劇場作品が捉えられているのは、博愛の聖フランシスコのその精神へと遡っているからに違いないからという結論に導かれている。



参照:
聖人の趣の人々 2023-07-01 | 文学・思想
変遷しない社会の危機管理 2012-05-04 | 歴史・時事
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独り立ちしているケーキ

2023-07-07 | 生活
なんだかんだと半日付き合ってしまった。日本からお釜を運んできて貰った人である。前夜は久しぶりにカツ屋に行った。このワイン街道筋で最もヴィーナーシュニッツェルが美味い店だ。VDPの有名醸造所ペッフィンゲンの蔵出しレストランである。オーナーは州議会議員と先方もなぜか私のことは知っていたのは以前のパン屋で分かった。レストランをやっている家庭も以前と変わらずで、長女さんも中々若かった。元々の若干対応がクールな感じも変わらずで、ある意味美人なのかもしれない。あの年齢でそれなりの雰囲気やプロポーションのドイツ女性はあまり知らない。子供さんがいないのだろう。

先週も日本からの荷物の受け渡しもあって、朝から付き合ったのだ。チャイナ航空で南回りでフランクフルトに7時前について、ワイン街道で10時前に迎いに行き、朝食代わりにケーキを食した。その店はドイツでもコンディトライとしてリストアップされる名店で、一般に言われるようにケーキが寝ていない。要するに高級なのであり、勿論フォークが刺さっていることも無い。それだけでも価値がある。

そこから帰りに燃料を入れた。そして11時30分から開いている醸造所付属のガーデンレストランで食事処で鱒を食した。オードブルの焼きタコもニンニクが効いていて美味であった。

翌日土曜日にはバーデンバーデンの祝祭劇場でメトロポリタン歌劇場ガラ公演があったのでまた昼だったので軽く飲んだだけであったが、ここのところ胃腸の調子が悪くガス腹になっているので、それで充分であった。

今週末もシュトッツガルトで新制作「アシジの聖フランシスコ」の最終公演があるのでやはり体調管理が重要になる。よって先ずは何よりも胃腸を整えるように手元にある薬を服用し始めた。日曜日は再び炎天下の中でじっとしていなければいけないので、体調はとても重要になる。

寒暖の差もあって疲れも出てくるようになっていて、コロナ後の初めての夏であり、どこまで活動的に過ごせるのか。

再び朝から買い物ついでに再び訪れた客人をホテルにピックアップに出かける。10時に待ち合わせで、買い物を終えて戻ってきたのは11時30分となっていた。それから久しぶりに名門醸造所のバッサーマンヨルダンに出かけて10種類ほどを試飲した。



参照:
地下鉄7分、徒歩6分 2023-06-06 | 文化一般
天使が空から降りてくる 2022-08-02 | 雑感
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率いられる座付き管弦楽

2023-07-06 | 
METガラコンサートから二日続けて出かけた。ガラの目玉は主役の歌手ディドナートであった。前半二曲と後半引っ張り出されてアンコールを歌った。最初の二曲がバーデンバーデンでベルリオーズが、望んだパウリーヌの歌で、指揮をしたオペラ「レトローヤン」からとなっていた。

「夏の首都」と名乗った音楽祭を体現した形で、現在のベナツェットザールで開かれていたのは1859年8月29日であった。先ずは序曲から大きな音を出していた。その印象では最初の音取からしてもピッチも安定していて対抗配置での弦楽はその中低音の充実の音色となりとても好印象を与えた。少なくとも前々日のパリから流れてた「ウェストサイドストーリ」の下手さはなかった。

これならば音楽監督のネゼサガンが話していたようにある意味の世界一の管弦楽団というのもそれ程的外れではないと感じた。そしてお待ちかねの声につける演奏も流石で、邪魔されないでそれ以上に音楽を完全に導いていたのはスター歌手のディドナートであった。一方で、確かに弦楽がアンサムブルの核となっていてそこに管が合わせる感じだった。よって管の制御は同じ指揮者が監督をしているフィリーの様な精妙さがないのは当然かもしれない。座付き管弦楽団としてもそれはミュンヘンなどの頂点の管弦楽団にもない特徴でそれはそれで興味深かった。

しかし、進むうちにその管弦楽団の表情が一辺倒にも感じるようになってきた。初日のコンサートマイスターはアンコールでも弾いたのだが、ベンジャミン・バウマンという人で座付きにしてはヴィーナーのそれらなんかよりも遥かに上手かった。調べると録音も多い奏者らしくカーティス出身の本格的な奏者だった。ネゼセガンが新たに呼んだようで、それ以前の二日目のチャンとは雲泥の差が弦楽陣の合奏に顕著だった。

METでオペラを見るなら歌手よりも指揮者、それ以前にコンサートマスターを調べないといけない位に違う。幻想交響曲はショルティ指揮シカゴ交響楽団を思い出したのは何故かなと思った。それ以降聴いていなかった可能性もあるかもしれないが、やはり共通点があったのかもしれない。正直ネゼサガンの指揮は詰まらなかった。フィリーを振った時やBR交響楽団を振った時にはあまり分からない出来無さが、こういう落ちる楽団だと顕著に見えてくる。ラトルの後任候補にもなっていた世界的な地位としては頂点にある指揮者であるが、前任のレヴァインにも比較できず、勿論師匠のジュリーニの様に楽団を指揮して作る実力も無い。11月にも二日続けて聴く予定なのだが、少々失望した。



参照:
暇潰しのMET公演を髣髴 2023-07-03 | 文化一般
虹色のバイエルン通い 2022-08-06 | 生活
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お釜の品定めの結果

2023-07-05 | 生活
お釜の品定めをした。2014年に日本から持って来て貰ったアマゾンで購入したパナソニックの炊飯器の内窯を再び持って来て貰った。注意して使っていたのだが内側のコーティングが剥がれて来た。緑青が出るようなものではないが、それ程長くは使えないと思ったから、替えの内釜を探した。すると製造中止だった。仕方がないので使えそうなものをネットで探しても代替の情報が出てこない。しかしやはり海外の奥さんで代替を探し当てて使えている人のレヴューを見つけた。そこで写真から形状の似たものを探してみると一際割安な6300円で出ていたので、先ずはこちらのを計測してそれを日本で確かめて貰おうと思った。

返品できる状況で計測して全く使えなければ無駄なので諦め、先ず間違いなければ持って来て貰うことにした。そしてその計測が厄介なのだ。上の縁の外形直径、内径直径、そして縁下から底迄の高さ、内側へと打ち込まれて行くまでの長さ、底の打ち込まれていくまでの直経の計五カ所の計測で、最後の二つの計測が取り分け難しい。先ずは三つが合致して、最後の二つも矛盾がなさそうなので決断した。

しかし実際には少しでも大きく膨らんでいたら炊飯器には入らない。上のレヴューでも分厚さが異なりとかあって、同一製品ではないとあった。つまり同一規格をパナソニックがどれぐらいの期間生産していたかということになる。

そして受け取り、炊飯器に内窯を入れると全く同規格だと分かった。上手に焚けた。下のセンサーにあたる所も同じように圧していないと上手に働かない。こうなればアマゾンに同じように探している人の為にレヴューを書いておかないといけない。しかし書き込めない状況になっているのでここに書いておく。

「お問い合わせいただいた。
SR-HB103にARE50-H64は対応しておりません。 」

これは誤りで、全く同一の内窯だった。もしこの回答を先に読んでいたら6300円で購入できていなかった。もう一度繰り返すと、SR-HB103にARE50-H64は使える。本来の部品はARE-F60となっているのだが、 外側の印字が異なるのみだった。

必要ある人にこれがヒットして呉れれば喜ばしい。なんだかんだと言って日本のマイコン制御の電気炊飯器はどんな米を焚くにもやはり悪くはない。



参照:
サフランライス、主夫の喜び 2014-09-04 | 料理
懸案のIH炊飯器、その成果 2014-08-30 | テクニック
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悲しみに打ちひしがれる

2023-07-04 | 
承前)泣きべそでは廻りを眺める余裕もなかった。新制作「アシジの聖フランシスコ」の四回目の公演の一部が終わった時だ。演奏としては、初日の緊張感も三回目の手馴れた感じも無かったのだが、より心打たれる演奏だった。それはこちらも字幕でも確認しながら、言葉の意味合いと寄り添う音楽のそのモードを逐一確認したからでもある。週末の最終公演までにまだ少し時間があるので更に理解を深められるか。手元の印字された楽譜があれば右へ左へと頁を捲って、その配分の流れを行ったり来たりして理解が早かったのだが残念である。

正直ここまで演出家と指揮者が協力して制作を練っているとは気が付かなかった。なるほど演出によって楽曲の解釈まで変えるのを厭わないとする指揮者エンゲルは、演出によって音楽を合わせていくペトレンコよりも、更に深読みをしている。

そもそも一景の十字架の場面で宗教的な舞台意匠を避けてボイスのウサギを使ったのはシュリンゲンジフ演出「パルジファル」がデューラーのそれから説き起こしたその先を行っている。初日の演出批評は必ずしも絶賛一色ではなかったが、会場は湧いた。

そのことは既に何回も言及しており、二景のラウダーテの祈りへとその意味合いが強化されている。聴衆の殆んどの人が、埋葬での見送りを自身のこととして意識していて、とても自然な祈りの感情が三景の籟病者への口づけによる恐怖心へと繋がっている。

そこに天使が下りてくるのだが、今回はここにも注目した。歌は若干不安定な面もあったのだがその表現は熟れて洗練されてきている。前回までで収録が終わったのか、そうした緊張感も抜けていたのだが、その音楽の方向性ははっきりしてきた。

籟病者が他人事とならないのと同じく、天使の語りかけも決して中性的なものではなく女性的なものであると、これは二部、三部へと繋がっていくのだが、やはり作曲家のマザーコムプレックスが其処に聴こえるようになってきた。

指揮のエンゲルは客演指揮であり、重なる上演の中でペトレンコ指揮のそれが自然に毎回違ってくるように、歌手の調子などに合わせて、出来る限り緊張を解いて、ここぞというところに山を持って来る様な指揮をしている。それが楽員の気迫を集めると同時にとても大きな感動を呼び起こす。

一部で終わると悲しくて仕方がなかった。そうして皆が集まって森へ巡礼に行く時であるが、私はインフォメーション受付で来週の再開を期して劇場を後にした。そして地下道でいつもの物乞いのオヤジに挨拶をした。(続く)



参照:
聖人の趣の人々 2023-07-01 | 文学・思想
音楽劇場的な熱狂とは 2023-06-29 | 音
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暇潰しのMET公演を髣髴

2023-07-03 | 文化一般
バーデンバーデンから帰宅した。シュトッツガルトには戻らなかった。理由は幾つかある。先ず何よりもシュトッツガルトからバーデンバーデンへは1時間20分ぐらいで車庫から車庫へと移動できたのだが、車を出せたのは19時35分を過ぎていた。つまりどんなに早くてもギリギリで途中で渋滞に巻き込まれたら遅れてしまう所だった。そこまでして返りたくなかった。

なるほどアンコールを無視して戻っていれば返れただろうが、自分の座席が奈落を覗けるところではなくて舞台前方も見切りがあったので価値はないと判断した。一部は舞台背後の管弦楽はよく見えた。

幸い往路はネットで進められるように結局カールツルーヘ経由で11時30分前に出て、渋滞に二度巻き込まれたが、13時40分過ぎには劇場に入れた。逆ルートでの渋滞場所も分かった。

いつものように一部が終わったのは15時過ぎでシュトッツガルトの駐車場を出たのは15時15分過ぎだった。17時開演なので渋滞があっても「ウエストサイドストーリー」の後でどこかに入れるとは予想していた。

会場で案内をしている劇場の人と顔見知りになったので、また来週は全部参加可能だけど、今晩は戻って来れるかどうかと話しておいた。幸いストップアンドゴーにもならずにバーデンバーデンに安全に着けたのは良かった ― スピード違反していない筈。調べてみるとワイン街道との距離よりも少し長く時間もかかる。これは意外だった。

METの演奏は予想通りで、バーンスタインも下らない新作もシェークスピア繋がりの「ロメオとジュリエット」も一貫して音だけは出るが下手な演奏だった。指揮も悪いのだが適当に合わせることにしか興味がないのはヴィーナーフィルハーモニカーもよく似ていて、前夜とは違うチャンというコンサートマスターが下手だった。管はあまり制御が効かずに、ダイナミックスも数段階しかなかった。部分部分にいい音を出すとかうっとりさせるとかいう表情だけを作るのはまさしくポップス楽団のそれで、全くネゼセガンはバーンスタインも理解していない。嘗て「パルジファル」指揮で分かったように最後迄真面にリズムが取れない指揮者であり、頂点には上れない。要するにMET公演の聴かせどころは欧州の名歌手がお決まりの場面を上手に歌ってというだけのエンタメ公演。もはやオペラの歴史の終焉を先行して進んでいる劇場なのである。日本の歌舞伎なんかと同じでその芸を比較するのがお楽しみのお年寄りも暇つぶし劇場。



参照:
ダブルブッキングを確認 2023-03-21 | 文化一般
日本趣味とか極東ミックス 2021-04-14 | 文化一般
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