(承前)特等席を陣取った。そして先ずはカメラを抱えて指揮者エンゲルが出てくるのを窺った。なぜならば修道士宜しく頭巾をフランスコの弟子の様に被って人気づかれずに出てくることを知っていたからである。それをどうしてもカメラで追いたかった。否、頭巾を脱ぐところを写したかった。幸いにもベストポジションだった。先ずは進行係がコンツェルトマイスターのところに来てキューを出すと音合わせが始まって、見ていると、座っているベンチから最も遠いスタンドの対角線上の奥の小屋から黒装束が出てきた。
私でも認定がそれ程容易でないので、普通の人には特に初めてくる人にはそれが誰だか分からない。私ですら初日にはアシスタントの若い男性だと思い違いしたぐらいだ。皆はその男に気がついてもそれが登場人物の一人で何か劇が始まるのかと思って見ている。
その手のプレーイングコンダクターは近いところでは、リディア・シュタイヤー演出のシュトックハウゼンの光の「木曜日」で、または先秋の「魔弾の射手」でビアマグに口を突っ込んでハモる指揮者、同じマールターラー演出のアイヴスの「ユニヴァーサル」で行進の先頭を歩いていた。要するに出たがりであり、その上に手慣れている。演出家としても使いたい逸材だろう。SNS上にはエンゲルのことを称して最も楽しそうな指揮者の一人で、いい仕事をしている証だと書いていた物書きがいたが、その人間性はそれで間違いない。
そしてずっとズームレンズのヴィデオで追った。そして音合わせが終わる頃になんとなく影が表れて指揮台に上がると同時に頭巾を取った。そしてお馴染みの頭が表れる。前回前々回同様に近くの席から思わず笑いが起こる。まさしく私が最初に会った時期にはなかった大きな強みで、外見的特徴を笑いのツボにして仕舞っている。
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, II (17:56), Killesberg Stuttgart
緊張と緩和となれば、本来ならばこの後に始まる二部の六景「鳥の説教」こそがこの大作の中心にありその大小の「鳥の演奏会」こそがこの作品の創造の源を凝縮させている。メシアンの作品の中でも最も密な部分ではなかろうか。謂わばブラックホールへと近づく重力場のような趣である。その緊張に対してとなるのではなく、最初に解かれたのはまさしく一部の悲しみを皆がどこかに背負ってそこ迄巡礼して来ているからに違いない。
だから「エンゲル(天使)の表徴」は、演出上のドラマテュルギー上でも役割を担されていたに違いない。笑いを取れるのはだから本当に天晴である。そして、肝心のミクロコスモスへと入っていくような音楽が始まるのであった。そしてここでやっとその音響の良し悪しが、この制作の出来の良し悪しへと連なっていく。(続く)
参照:
アンジェリコのモード 2023-06-05 | 文化一般
賞総なめの音楽劇場指揮 2023-01-17 | 音
私でも認定がそれ程容易でないので、普通の人には特に初めてくる人にはそれが誰だか分からない。私ですら初日にはアシスタントの若い男性だと思い違いしたぐらいだ。皆はその男に気がついてもそれが登場人物の一人で何か劇が始まるのかと思って見ている。
その手のプレーイングコンダクターは近いところでは、リディア・シュタイヤー演出のシュトックハウゼンの光の「木曜日」で、または先秋の「魔弾の射手」でビアマグに口を突っ込んでハモる指揮者、同じマールターラー演出のアイヴスの「ユニヴァーサル」で行進の先頭を歩いていた。要するに出たがりであり、その上に手慣れている。演出家としても使いたい逸材だろう。SNS上にはエンゲルのことを称して最も楽しそうな指揮者の一人で、いい仕事をしている証だと書いていた物書きがいたが、その人間性はそれで間違いない。
そしてずっとズームレンズのヴィデオで追った。そして音合わせが終わる頃になんとなく影が表れて指揮台に上がると同時に頭巾を取った。そしてお馴染みの頭が表れる。前回前々回同様に近くの席から思わず笑いが起こる。まさしく私が最初に会った時期にはなかった大きな強みで、外見的特徴を笑いのツボにして仕舞っている。
SAINT FRANÇOIS D’ASSISE, So., 9. Juli 2023, II (17:56), Killesberg Stuttgart
緊張と緩和となれば、本来ならばこの後に始まる二部の六景「鳥の説教」こそがこの大作の中心にありその大小の「鳥の演奏会」こそがこの作品の創造の源を凝縮させている。メシアンの作品の中でも最も密な部分ではなかろうか。謂わばブラックホールへと近づく重力場のような趣である。その緊張に対してとなるのではなく、最初に解かれたのはまさしく一部の悲しみを皆がどこかに背負ってそこ迄巡礼して来ているからに違いない。
だから「エンゲル(天使)の表徴」は、演出上のドラマテュルギー上でも役割を担されていたに違いない。笑いを取れるのはだから本当に天晴である。そして、肝心のミクロコスモスへと入っていくような音楽が始まるのであった。そしてここでやっとその音響の良し悪しが、この制作の出来の良し悪しへと連なっていく。(続く)
参照:
アンジェリコのモード 2023-06-05 | 文化一般
賞総なめの音楽劇場指揮 2023-01-17 | 音