アンサンブル・ド・ミューズの《スタイル・アップ レッスン》クラスでは、
『進化した』とか『進化する』
という言い方が普通になっている。
「上手になった」とか「動きが良くなった」「ボディラインがいい方に変化し始めた」とかの“褒め言葉”として
『進化したねぇ
』
を使ってるわね。
「もっと頑張ろう」じゃなくて
「もっと進化しよう
」
って感じね。
《スタイル・アップ》クラスに参加してるレギュラー・メンバーはそれぞれ、自分なりの目的や目標をもってレッスンしてるわけだけど、たとえば
“ウエストを細くしたい”
“お尻が下がらないようにしたい”
“キレイな脚になりたい”
“身体を柔らかくしたい”
“キレイに歩けるようになりたい”
“運動不足を解消したい”
とかね。
でも、そのひとつの目的なり目標なりがクリア出来れば、それで
かというと、そうじゃないのね。
それはあくまでも《通過点》というか《きっかけ》にすぎなくて、
自分という個体をどこまで美しく出来るか…
っていう客観性が大きく働いていて、そのお蔭で
自分という個体の全体像に目を向けることが出来てる
んだと思うのよねぇ。
そうすると、“ウエストだけ”、“お尻だけ”、“脚だけ”に留まらず、自分には何が必要か分かってくるし、自分をどこに向けたいかも分かってくるでしょ
だから単純に“締まった”とか“細くなった”とかじゃなくて
『進化』なんじゃないかな…
先日トモさんが久しぶりにゴッドハンド室井のところへコンディショニングに行って、
「人間てやれば進化するもんなんですねぇ
」
といったら
ゴッドハンド室井も
「そうです、正しくきちんとやれば“進化”するんですよ
」
とおっしゃったそうだし…
私は《自分という個体》にちゃんと感心をもってあげて、きちんと世話をしてあげれば、美しくなれる、年齢なんかに意味はないと考えてるの
メンバーのみんなの1歩か2歩くらい前を、進化しつづけながら歩いていきたいと思ってる
なかには「同年代の同僚が普通に歳をとってオバサンになっていくのと反対に、自分だけ進化してキレイでいたぁい
」
なんてカワイイことを考えてる人もいるけどね
『進化した』とか『進化する』
という言い方が普通になっている。
「上手になった」とか「動きが良くなった」「ボディラインがいい方に変化し始めた」とかの“褒め言葉”として
『進化したねぇ

を使ってるわね。
「もっと頑張ろう」じゃなくて
「もっと進化しよう

って感じね。
《スタイル・アップ》クラスに参加してるレギュラー・メンバーはそれぞれ、自分なりの目的や目標をもってレッスンしてるわけだけど、たとえば
“ウエストを細くしたい”
“お尻が下がらないようにしたい”
“キレイな脚になりたい”
“身体を柔らかくしたい”
“キレイに歩けるようになりたい”
“運動不足を解消したい”
とかね。
でも、そのひとつの目的なり目標なりがクリア出来れば、それで

それはあくまでも《通過点》というか《きっかけ》にすぎなくて、
自分という個体をどこまで美しく出来るか…

っていう客観性が大きく働いていて、そのお蔭で
自分という個体の全体像に目を向けることが出来てる
んだと思うのよねぇ。
そうすると、“ウエストだけ”、“お尻だけ”、“脚だけ”に留まらず、自分には何が必要か分かってくるし、自分をどこに向けたいかも分かってくるでしょ

だから単純に“締まった”とか“細くなった”とかじゃなくて
『進化』なんじゃないかな…

先日トモさんが久しぶりにゴッドハンド室井のところへコンディショニングに行って、
「人間てやれば進化するもんなんですねぇ

といったら
ゴッドハンド室井も
「そうです、正しくきちんとやれば“進化”するんですよ

とおっしゃったそうだし…

私は《自分という個体》にちゃんと感心をもってあげて、きちんと世話をしてあげれば、美しくなれる、年齢なんかに意味はないと考えてるの

メンバーのみんなの1歩か2歩くらい前を、進化しつづけながら歩いていきたいと思ってる

なかには「同年代の同僚が普通に歳をとってオバサンになっていくのと反対に、自分だけ進化してキレイでいたぁい

なんてカワイイことを考えてる人もいるけどね
