アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

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ご冥福を…

2014-11-18 10:09:13 | Weblog
高倉健さんが他界されましたね。
昨日、そのニュースを目にしたときは“え゛と奇異な感じがした。
なんとなくではあるが、ああいう方は不死身というのか不滅であるような印象だったから…。
私は俳優高倉健の初期の任侠物は観たことがない。
『幸福の黄色いハンカチ』くらいからかな、観たことがあるのは。
どの役がどう、どの演技がどう、ということは言えないけど、高倉健という俳優が演じた人物について
奥行きの深い人物だな
という印象を受けた。
外見は、どの人物も高倉健という俳優の外見をしているのだけど、中身は一人一人全部違う。
俳優高倉健の肉体を借りてそこに現れた誰か、刑事であったり、駅長であったり…、たぶんヤクザ者であったり…。
改めて、任侠シリーズから全部、観てみたいと思った。
プライヴェートについてはほとんど語らず表に出さず、ただスクリーンの中にだけその役の人物となって実在する、そんな俳優。
そして、ビートたけしさんの著作の中でも語られているけれども、気配りの人・心遣いの人であったと。
プライヴェートな異性関係までなりふり構わず売名の材料にし、大した器でもないのに“大物”という但し書き付きで呼ばれたがる昨今の芸能人と較べると、――較べること自体申し訳ないが――まったく異質の存在だ。
ストイックとか硬派とかマスコミは評しているが、硬質、たとえば水晶のように、あるいはダイヤモンドのように、硬質な存在なのではないかと思う。
出演作公開時のインタヴューでも多くを語ることはない。ただ
映画を見て下さい
とそれだけだ。
作品を観れば、何が描かれているのか、何を表現しているのかすべて分かると、そう言いたかったのかも知れない。
かつてジョルジュ・ドンがボレロの本番前、インタヴュアーに“何を思って踊るんですか?”と頓珍漢な質問をされたとき
踊りで表現する
と一言で切り捨てたことがある。(当時20代だった私は“このインタヴュアー、脳みそ足んねぇんじゃねぇか”と思った
ダンサーでも俳優でも、板の上あるいはスクリーンの中で語るべきことはすべて語っているのであって、その役柄から離れた現の当人に語るものはないのではないかと思う。
高倉健、まさに映画界の巨星。
久々に朝のワイドショーの各チャンネルを追いながらその印象を強くした。
心よりご冥福をお祈り致します。
コメント (1)
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