医療関係のブログのコメント欄に書き始めましたが、長くなってしまったので自分のブログの記事にしました。「人力でGO」のコメント欄に大変有益な情報が多数寄せられているので、皆様には大変感謝しております。PCR検査の問題点は改めて記事に致します。「危機を敢えて作り出している」という点では東京都も政府もマスコミも同じ穴の狢で、論理的な批判は効果が有りません。感情的にコロナを恐れる国民が洗脳から逃れるのは「経済の爆死」というコロナ以上のショックと恐怖が到来した時となるでしょう。誰もが逃れ得ず、失業や廃業や倒産のリスクに晒される状況までは、平和な時代の思い出を作る為に「GoToトラベル」を最大限に利用してやろうとワクワクする今日この頃です。早めに実行しないと東京近郊の県は「排除」されるかも知れないので...。
〈ここから記事〉
民間のクリニックが自費のPCR検査を増やしている様で、企業も渡航者などにPCR検査を企業負担で受けさせています。更に症状も無いのに不安に駆られた市民が自費でPCR検査を受けるので民間の検査数が増大して検査機関がパンク状態です。本来、感染者を速やかに同定してクラスター対策に活用する為のPCR検査が、無意味な検査の増大で機能不全に陥っています。医療関係者から多くの避難の声が上がっています。
一方、PCR検査はウイルスが6個存在するだけで陽性となる感度が高く、ウイルスを体内に保持しているけれども、症状も無く、ウイルスを排出もしない人たちを大量に「陽性者」として発掘しています。東京都の陽性率は概ね6.5%程度で安定していますが、この中には無症状の「感染者」に分類する事すら疑問に思われる方が多数含まれるます。
この様な方は本来、自宅待機も必要無いと思われますが、ウイルス量を簡易的に定量検査する方法が無い事から「感染予備軍」として2週間の隔離処置が取られ、家族や職場の濃厚接触者のPCR検査で、更に陽性者が増え続けるという「なんだかな~」というか「トホホ」な状態が続いています。
実はPCR検査は有病率の検査には感度が高すぎて使えないと検査キットののメーカーも認める所で、政府も厚労省もそれを認識しているので、PCR検査のハードルを高くして「無症状の陽性者」の量産を避けて来ました。
所が東京都が「夜の街」を中心に感染が広がっている様に見せる為のホストクラブの寮などにPCR検査のガサ入れを開始し、更の民間の検査拡大と重なって陽性者が増産され、「幻の第二波」が作られています。
確かに緊急事態宣言の後に感染者は増えましたが、東京都の重症者数は4月、5月に比べて圧倒的に低く、収束に向かっている事は明らかです。これはウイルスが弱毒化した為と見られていてイタリアなどでも感染者は減っていませんが重症者は圧倒的に減っています。
新型コロナウイルスはドイツが当初発表していた自然再生産数2.5に遠く及ばない実効再生産数の様で、特に人口密度の低い地域では感染のチェーンを維持できずに感染が拡大しない様です。
更に最新の研究では40年以上も以前の中国のキクガシラコウモリからのCOVD-19とほぼ同じコロナウイルスが確認されており、東アジアでは類似のウイルスの感染が過去でも起きていた可能性が示唆されています。これが老人も含めて東アジアで重症者や死者が少ない原因ではないか?
かつては高齢化率は現在より低く、栄養状態も悪かったので肥満や糖尿病患者も少なかったので劇症化する患者も少なく、仮に激症化しても「肺炎」で片付けられていたでしょう。劇症化した場合、高齢者の場合は酸素濃度の低下により、眠る様に亡くなるので「老衰」や「寿命」と判断されていたはずです。
政府や東京都は、緊急事態宣言解除後に第二波が発生しなければ緊急事態宣言の有効性が疑われるので第二波の演出に必死ですが、緊急事態宣言発出前から感染者数はコンスタントに減っている事が明らかになっているので経済を破壊する様な制限処置は本来必要有りませんでした
スエーデンはコロナ恐怖を煽るマスコミとロックダウンを正当化したい各国政府の思惑で「失敗例」と宣伝されていますが、実際には4月以降感染が収束に向かっており、ヨーロッパでは1番先にコロナから抜け出す事が確実となっています。確かに高齢者の死者は多いのですが80歳以上は治療しないと政府が決めていて国民もこれに納得しています。高齢者施設や介護ヘルパーを利用する高齢者の殆どが基礎疾患を持っているので治療しても治癒の可能性が低くむしろ医療虐待になる事を国民が理解しています。
ただ、高齢者施設に簡単にウイルスの侵入遠許した事は表面上、政府も対策の責任者も反省していますが、介護従事者の多くが移民のパートタイマーである事から、ロックダウンしない状況では高齢者施設へのウイルスの侵入を防ぐ事は100%不可能である事は政府も十分に予測していたはずです。彼らは経済や若者の生活と、高齢者の命を秤に掛けて合理的な選択をした。儒教思想が強く情緒的な判断しか出来ない日本人には理解出来ない選択です。
コロナ戦争に勝者は存在しませんが、ロックダウンした国々では、近い将来、国民が自らの愚かさを嘆く事になるでしょう。
尤も日本などは、「政府の対策が間違っていた」と政府を批判するだけで、国民が反省する事は決してありません。戦争を支持しながらも、戦後は軍に責任を押し付けた状況と同じです。結局、合理的な判断が出来ず、国民が責任を負わない三流国家には相応の未来しか約束されていません。
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民間のクリニックが自費のPCR検査を増やしている様で、企業も渡航者などにPCR検査を企業負担で受けさせています。更に症状も無いのに不安に駆られた市民が自費でPCR検査を受けるので民間の検査数が増大して検査機関がパンク状態です。本来、感染者を速やかに同定してクラスター対策に活用する為のPCR検査が、無意味な検査の増大で機能不全に陥っています。医療関係者から多くの避難の声が上がっています。
一方、PCR検査はウイルスが6個存在するだけで陽性となる感度が高く、ウイルスを体内に保持しているけれども、症状も無く、ウイルスを排出もしない人たちを大量に「陽性者」として発掘しています。東京都の陽性率は概ね6.5%程度で安定していますが、この中には無症状の「感染者」に分類する事すら疑問に思われる方が多数含まれるます。
この様な方は本来、自宅待機も必要無いと思われますが、ウイルス量を簡易的に定量検査する方法が無い事から「感染予備軍」として2週間の隔離処置が取られ、家族や職場の濃厚接触者のPCR検査で、更に陽性者が増え続けるという「なんだかな~」というか「トホホ」な状態が続いています。
実はPCR検査は有病率の検査には感度が高すぎて使えないと検査キットののメーカーも認める所で、政府も厚労省もそれを認識しているので、PCR検査のハードルを高くして「無症状の陽性者」の量産を避けて来ました。
所が東京都が「夜の街」を中心に感染が広がっている様に見せる為のホストクラブの寮などにPCR検査のガサ入れを開始し、更の民間の検査拡大と重なって陽性者が増産され、「幻の第二波」が作られています。
確かに緊急事態宣言の後に感染者は増えましたが、東京都の重症者数は4月、5月に比べて圧倒的に低く、収束に向かっている事は明らかです。これはウイルスが弱毒化した為と見られていてイタリアなどでも感染者は減っていませんが重症者は圧倒的に減っています。
新型コロナウイルスはドイツが当初発表していた自然再生産数2.5に遠く及ばない実効再生産数の様で、特に人口密度の低い地域では感染のチェーンを維持できずに感染が拡大しない様です。
更に最新の研究では40年以上も以前の中国のキクガシラコウモリからのCOVD-19とほぼ同じコロナウイルスが確認されており、東アジアでは類似のウイルスの感染が過去でも起きていた可能性が示唆されています。これが老人も含めて東アジアで重症者や死者が少ない原因ではないか?
かつては高齢化率は現在より低く、栄養状態も悪かったので肥満や糖尿病患者も少なかったので劇症化する患者も少なく、仮に激症化しても「肺炎」で片付けられていたでしょう。劇症化した場合、高齢者の場合は酸素濃度の低下により、眠る様に亡くなるので「老衰」や「寿命」と判断されていたはずです。
政府や東京都は、緊急事態宣言解除後に第二波が発生しなければ緊急事態宣言の有効性が疑われるので第二波の演出に必死ですが、緊急事態宣言発出前から感染者数はコンスタントに減っている事が明らかになっているので経済を破壊する様な制限処置は本来必要有りませんでした
スエーデンはコロナ恐怖を煽るマスコミとロックダウンを正当化したい各国政府の思惑で「失敗例」と宣伝されていますが、実際には4月以降感染が収束に向かっており、ヨーロッパでは1番先にコロナから抜け出す事が確実となっています。確かに高齢者の死者は多いのですが80歳以上は治療しないと政府が決めていて国民もこれに納得しています。高齢者施設や介護ヘルパーを利用する高齢者の殆どが基礎疾患を持っているので治療しても治癒の可能性が低くむしろ医療虐待になる事を国民が理解しています。
ただ、高齢者施設に簡単にウイルスの侵入遠許した事は表面上、政府も対策の責任者も反省していますが、介護従事者の多くが移民のパートタイマーである事から、ロックダウンしない状況では高齢者施設へのウイルスの侵入を防ぐ事は100%不可能である事は政府も十分に予測していたはずです。彼らは経済や若者の生活と、高齢者の命を秤に掛けて合理的な選択をした。儒教思想が強く情緒的な判断しか出来ない日本人には理解出来ない選択です。
コロナ戦争に勝者は存在しませんが、ロックダウンした国々では、近い将来、国民が自らの愚かさを嘆く事になるでしょう。
尤も日本などは、「政府の対策が間違っていた」と政府を批判するだけで、国民が反省する事は決してありません。戦争を支持しながらも、戦後は軍に責任を押し付けた状況と同じです。結局、合理的な判断が出来ず、国民が責任を負わない三流国家には相応の未来しか約束されていません。