ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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天竜川橋梁を渡るEF65貨物 (2020年7月ほか 専用線跡を辿る旅 続き)

2020-08-10 13:32:08 | 専用線、廃線、歴史を辿る
こんにちは  月曜日いかがお過ごしでしょうか  今日も猛暑でしたが 昨日に比べると青空でしたね  湿度が低かったのでしょうか 
ということで 
適度にテキトーにお送りしているポニーさんの「地元を見直そう ひとり浜松撮影協会 専用線跡を辿る」 も終盤戦
天竜川緑地と呼ばれているのでしょうか  ぬかるんだグラウンドは当然のことながら誰もいない  記録的多雨、日照不足だった7月  
この天候だとやはり東風? 遠くから「ダダダダダダン~」  5087レが橋梁を渡る

7月はほとんど遠出せず クルマで10分弱の堤防道路へ 貨物列車メインで撮影しておりました    

東海道本線旧線の橋梁残る1975年 「地図・空中写真閲覧サービス」より  

金原明善記念館資料   左が明治42年  右が昭和51年  昔は堤防ギリギリのところまで流れていたのは知らなかった

締切でひとつの歴史に区切りが 記念館で初めて知りました  
飯田公園は自宅から近くですが訪れたことがないので涼しくなったら 

明治25年5月 金原明善翁が天龍運輸会社を創設 9月から営業を始めました
荷上げ場(半場)-貨物取扱所(橋羽 現天竜川駅)は半場線と呼ばれ トロッコを人夫が押していました
線路幅を東海道本線と同一にしたのが明治41年 機関車と貨車で往復するようになりました
東海道本線(静岡-浜松間開業は明治22年 当時単線)をくぐって北側にも延びていたのですね 面影は全然残ってないだろうな?
また後日続く  「いいね!」押してくださりありがとうございます。



コメント (2)
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