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映画・演劇のレビュー

多和田葉子『海に落とした名前』

2007-04-16 22:01:59 | その他
 飛行機の墜落事故で記憶を失くしてしまった女性。全く何も思い出せないまま、病院で治療を受ける。自分の名前さえ無くした。だが、実際はここにいる。身体はここにあるのに名前が、記憶がないだけでこの世界では生きて行けない。自分が誰なのかを証明するものがない限り、この世界では生きていけないのだ。

 彼女の世話をする医者も匙を投げる。原因が分からない。そんな中、医者の知り合いである兄妹がやって来る。彼女の記憶を取り戻すために手助けをするこの2人は、お互い反目し合っている。どちらの言うことを信じていいのか、分からない。だいたい自分自身が誰なのかわからないのにどうしようもない。手もとに残されたのはレシートの束だけ。そのレシートから失われた記憶を取り戻そうとする。

 ストーリーを追うのではなく、まるで総体としての悪夢を、ぽんと投げ出すようにする。どこから読んでもいいくらいに、めりはりがない。もちろんわざとである。取敢えずのストーリーはあるから、まだ読みやすいが、併載された3つの短編なんてそれすらないのだ。どこをどう読んでもいいが、どう読んでもよく分からない。それが魅力でもあるのだが。

 彼女は『アメリカ 非道の大陸』でも風景の連鎖として、断片的な記憶を綴っていた。このとりとめのなさと、そこから生じる不安がいつまでもざわめきのように、胸にべっとりとへばりついて離れない。とても嫌な気分だが、それが快感でもある。

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