空前の大惨事となった日航機墜落事故を追いかけた地方新聞記者たちの熱い7日間を追う原田眞人監督の最新作。
いつもながらの短いショットの積み重ねで、膨大な登場人物をドキュメンタリータッチで、空間の中に配して、彼らがそのなかを自由に動いていく様を見せていくいくシーンは快感ですらある。有名スターも無名の若手もお構いなしで、カメラは特定の人物に寄ったりせず、なんとなくフレームに入ってしまったように見せる。この現場の混乱振りと、ここで起きている事実のみに興味があるとでも言わんばかりのタッチだ。
もちろん主人公は堤真一だ。彼を中心にして事件は追いかけられる。しかし、それすらもこの巨大な現場の中の一場面でしかないことは明白だ。1985年8月12日、いつもと変わりない1日のはずだった。友人と山に行くため、休暇を取り職場を出る寸前に事故の報告が北関東新聞に届く。彼は突然この事件の全権デスクを言い渡される。
これは『金融腐蝕列島[呪縛]』『突入せよ![浅間山荘事件]』に続く昭和の事件をある種の角度から詳細に切り込んでいく原田監督ならではのレポートである。『突入せよ!』で浅間山荘事件を警察の側から一方的に描いたと批判されたが、今回も一地方新聞社の視点からピンポイントで事故の全容を描こうとする。原田監督は周囲の誤解なんて全く意に介さない。だいたい事件の全貌を描くなんてことは不可能だろ。そんな傲慢なことをしても映画は成立するわけがない、と彼は熟知している。
もちろんピンポイントでそのすべてを見せたからといって見えてくるものはしれている。しかしその膨大な情報量(ピンポイントであろうとも凄いことになるのは当然なのだ)の中で、僕たちは彼らの見た真実の一断面に触れる。そして圧倒されることになる。それが原田監督の描きたかったことなのだろう。
じつは映画を見てからもう既に1週間が過ぎている。忙しかったこともあるが、ここに書かなかったのはそれだけではない。見た直後の衝撃と落胆の大きさをどう受け止めたらいいのか、よくわからなかったのだ。凄い映画だったのはわかるが、なんだかしっくりこない。その辺の整理がつかなかった。もっと胸に迫ってくる映画だと思っていた。なのに、もどかしさの残る映画で、それはこの事件に直面した彼らが感じた思いに近いものなのかもしれない、なんて。
単純な感動作なんかではない。いつまでも尾をひく苦い映画だ。あの時どうすべきだったのか。悔やんでも悔やみきれない。数ある選択肢の中から選んだ決断が正しかったか、なんてわからない。だが、あの瞬間決断を強いられ直感と経験から正しいと信じた判断を下した。それだけのことなのだ。堤真一を通してみんなの中にある決断がこの映画で描かれていく。
この映画が描く事件と向き合うことになった記者たちの熱い日々は後悔と反省ばかりの毎日だ。それでも彼らはひるむことなく先に進んでいく。これは単純な映画ではない。23年前のあの夏。誰もがその心に刻み付けた衝撃、それを原田監督もまた自分の内なる問題としてこの映画に刻みつけようとした、そんな映画なのだ。
いつもながらの短いショットの積み重ねで、膨大な登場人物をドキュメンタリータッチで、空間の中に配して、彼らがそのなかを自由に動いていく様を見せていくいくシーンは快感ですらある。有名スターも無名の若手もお構いなしで、カメラは特定の人物に寄ったりせず、なんとなくフレームに入ってしまったように見せる。この現場の混乱振りと、ここで起きている事実のみに興味があるとでも言わんばかりのタッチだ。
もちろん主人公は堤真一だ。彼を中心にして事件は追いかけられる。しかし、それすらもこの巨大な現場の中の一場面でしかないことは明白だ。1985年8月12日、いつもと変わりない1日のはずだった。友人と山に行くため、休暇を取り職場を出る寸前に事故の報告が北関東新聞に届く。彼は突然この事件の全権デスクを言い渡される。
これは『金融腐蝕列島[呪縛]』『突入せよ![浅間山荘事件]』に続く昭和の事件をある種の角度から詳細に切り込んでいく原田監督ならではのレポートである。『突入せよ!』で浅間山荘事件を警察の側から一方的に描いたと批判されたが、今回も一地方新聞社の視点からピンポイントで事故の全容を描こうとする。原田監督は周囲の誤解なんて全く意に介さない。だいたい事件の全貌を描くなんてことは不可能だろ。そんな傲慢なことをしても映画は成立するわけがない、と彼は熟知している。
もちろんピンポイントでそのすべてを見せたからといって見えてくるものはしれている。しかしその膨大な情報量(ピンポイントであろうとも凄いことになるのは当然なのだ)の中で、僕たちは彼らの見た真実の一断面に触れる。そして圧倒されることになる。それが原田監督の描きたかったことなのだろう。
じつは映画を見てからもう既に1週間が過ぎている。忙しかったこともあるが、ここに書かなかったのはそれだけではない。見た直後の衝撃と落胆の大きさをどう受け止めたらいいのか、よくわからなかったのだ。凄い映画だったのはわかるが、なんだかしっくりこない。その辺の整理がつかなかった。もっと胸に迫ってくる映画だと思っていた。なのに、もどかしさの残る映画で、それはこの事件に直面した彼らが感じた思いに近いものなのかもしれない、なんて。
単純な感動作なんかではない。いつまでも尾をひく苦い映画だ。あの時どうすべきだったのか。悔やんでも悔やみきれない。数ある選択肢の中から選んだ決断が正しかったか、なんてわからない。だが、あの瞬間決断を強いられ直感と経験から正しいと信じた判断を下した。それだけのことなのだ。堤真一を通してみんなの中にある決断がこの映画で描かれていく。
この映画が描く事件と向き合うことになった記者たちの熱い日々は後悔と反省ばかりの毎日だ。それでも彼らはひるむことなく先に進んでいく。これは単純な映画ではない。23年前のあの夏。誰もがその心に刻み付けた衝撃、それを原田監督もまた自分の内なる問題としてこの映画に刻みつけようとした、そんな映画なのだ。