習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ハンティング・パーティー』

2008-07-05 08:31:49 | 映画
 タッチがあまりに軽すぎて驚く。こういう実話をモデルにしたジャーナリスティックな戦場ドキュメントにあるまじき軽薄さ。これは社会派映画というよりも、単純な安もの戦争B級アクションなのではと思わせるくらいだ。

 そういうノリなのである。もちろんわざとそういうタッチを狙っているのは明白だ。わざわざチャック・ノリスの『地獄のヒーロー』なんてものまで(日本人にはもう忘れられただろうが、たぶんアメリカ人にとってはスタローン『ランボー』以上に馴染んだ戦場もののヒーローだろう)繰り返し挿入していくワルノリさ。それは確固とした意思表示と受け止めてよかろう。時代に取り残された安っぽい、うら寂しいアクション・スター。彼の雄姿を通して、かってのヒーローがお笑いにしかならない状況をシニカルに見せる。それは時代に取り残されたリチャード・ギア扮するうらぶれた戦場レポーターの姿と重ねられる。この映画が描こうとする現実ですらすぐに時代から取り残されて、笑い話にすらされてしまうことへの自虐であろうか。チャック・ノリスもあのころ本気でベトナムに取り残されたアメリカ兵を救出していたのに、今ではかれの映画はただの笑い話になる。残酷というか、怖い。そんな愚かな時代を我々は生きている。

 ここに描かれる凄まじい虐殺がつい最近まで現実に起きていて、今も紛争は終わりを告げたわけではない。最上級の戦犯を捕まえるわけでもなく、今も野放しにしている。CIAも含めてリアルタイムの出来事を認識しているにも関わらず、手をこまねいている。裏で手を回してわざと隠蔽したりしている。

 この映画が描く出来事がどこまで本当なのかはは分からないが、こういうB級映画もまっさおのお粗末な内容が、笑い話ではなく、リアルな現実なのだ、ということに驚きを禁じえない。シリアスなタッチで描いてもしかたないから、本当を語るにはこのくらいバカバカしい描写でしか語れない、ということなのか。見ていてこれはホクテンザにぴったりの映画だと思った。ファーストランのテアトル梅田で見ていたなら、この映画の本質を見失っていたかも知れない。紛争はお勉強ではない。独裁者はギャグではない。呆れるようなことが平気でなされてしまう、それが現実なのだ。

 リテャド・ギアは体を張ってこの危険な映画を受けてたった。ハリウッド・スターであることは彼にとって何の意味もない。自分の信じる仕事をする。賭けを怖れて挑戦はありえないから。キャリアに傷がつくことにもなりかねない映画にも冷静に飛び込んでいく。彼は逃げない。とても微妙な映画で賛否両論が起こりかねない。もちろんそんなことは最初から覚悟の上だ。いや、それを楽しんでいる。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 劇団 桜『幕末純情伝』 | トップ | 『クライマーズ・ハイ』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。