暗くてつらい話だから、読みながら気が進まない。途中で他の本を一冊挟んでしまったほどだ。でも、本当はその先がすごく気になっていたから、明るい他の本(『サッカーデイズ』)を読みながらも、ゼツメツ少年たちが気になっていた。彼らは一体どうなってしまうのだろうか。あの3人の行方が知りたい。2日置いて再び本を手にする。
後半200ページは一気に読んでしまった。(といっても、いつものように通勤電車の中で、だが)最終章は涙で先を読めない。でも、がんばって読んだ。小説なのに、感情移入しまくり、「なんとかしてよ、センセイ」と、本の中に何度となく呼び掛けていた。重松先生と同じような感性をしているからだろう。すべての子供たちのために彼はこういうメッセージを送る。そんなことをして、なんになる、なんていう人は最初から相手にしていない。
ゼツメツするしかないような子供たちの逆襲ではない。恐竜やクジラと同じように静かに消えていく。だが、そんな彼らをちゃんと見守る。彼らの置かれた過酷な状況をどうこうすることなんかできない。だからといって、ただ手をこまねいていたわけではない。彼らなりに懸命にやったはずだ。その先にこんな現実がある。
最初は彼らの家出がどういう顛末をたどるのか、気になりつつも、どうせよくあるパターンだろう、と高をくくっていた。だが、抜き差しならないものを、徐々に感じ、やがて、そういうことだったのかと、諦める。怒濤の展開となる第5章で、本当の主人公である美由紀がさりげなく登場し、お話の骨格が明瞭になる。その後の最終章はすべての謎が明らかになった後の処理なのだが、それについてはここには触れない。
「いじめ」なんていう腹立たしいだけの問題(でも、当事者にとっては、こんなにも切実な問題はない)を真正面から取り上げて、こういう切り口を提示できるのは重松清だけだろう。死ぬなんて負けたことだ、なんて言わさない。弱い人間がすることだ、とか。そんな風に言えるのはただのおめでたい人たちだけ。
抜き差しならない状況はどこにでもある。悪い奴と、弱い奴がいるのではない。すべてが簡単に反転する。だから、みんなドキドキしている。いつ自分が標的になるかなんてわからない。オドオドしながら息を潜めて生きるしかないのか。そんなわけはないではないか。我が校にはいじめなんてない、と言う大人のいるような学校には行きたくない。学校が怖いなんて、考えただけでも、おぞましい。学校は夢の場所だ。そこに行けば、毎日がパラダイスだ。そうであって欲しい。大人になると、会社がそんな場所になるといい。世の中がもっと、もっと素晴らしい世界であることを心から祈る。
後半200ページは一気に読んでしまった。(といっても、いつものように通勤電車の中で、だが)最終章は涙で先を読めない。でも、がんばって読んだ。小説なのに、感情移入しまくり、「なんとかしてよ、センセイ」と、本の中に何度となく呼び掛けていた。重松先生と同じような感性をしているからだろう。すべての子供たちのために彼はこういうメッセージを送る。そんなことをして、なんになる、なんていう人は最初から相手にしていない。
ゼツメツするしかないような子供たちの逆襲ではない。恐竜やクジラと同じように静かに消えていく。だが、そんな彼らをちゃんと見守る。彼らの置かれた過酷な状況をどうこうすることなんかできない。だからといって、ただ手をこまねいていたわけではない。彼らなりに懸命にやったはずだ。その先にこんな現実がある。
最初は彼らの家出がどういう顛末をたどるのか、気になりつつも、どうせよくあるパターンだろう、と高をくくっていた。だが、抜き差しならないものを、徐々に感じ、やがて、そういうことだったのかと、諦める。怒濤の展開となる第5章で、本当の主人公である美由紀がさりげなく登場し、お話の骨格が明瞭になる。その後の最終章はすべての謎が明らかになった後の処理なのだが、それについてはここには触れない。
「いじめ」なんていう腹立たしいだけの問題(でも、当事者にとっては、こんなにも切実な問題はない)を真正面から取り上げて、こういう切り口を提示できるのは重松清だけだろう。死ぬなんて負けたことだ、なんて言わさない。弱い人間がすることだ、とか。そんな風に言えるのはただのおめでたい人たちだけ。
抜き差しならない状況はどこにでもある。悪い奴と、弱い奴がいるのではない。すべてが簡単に反転する。だから、みんなドキドキしている。いつ自分が標的になるかなんてわからない。オドオドしながら息を潜めて生きるしかないのか。そんなわけはないではないか。我が校にはいじめなんてない、と言う大人のいるような学校には行きたくない。学校が怖いなんて、考えただけでも、おぞましい。学校は夢の場所だ。そこに行けば、毎日がパラダイスだ。そうであって欲しい。大人になると、会社がそんな場所になるといい。世の中がもっと、もっと素晴らしい世界であることを心から祈る。