![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8b/ab686e774dec8fb3d17aab6ccfe28175.jpg)
こんなにもシリアスで、リアリズムの文体で描かれたNGRは初めてだ。これは浦部さんが育った70年代の南大阪を舞台にした自伝的作品である。とはいえ、主人公のモデルは浦部さんの一族ではないだろう。これは浦部さんの創作であり、彼の「妄想が入り混じっている」(パンフ原稿)ものだ。だが、ベースとなる出来事は彼が見聞きした当時の状況や、出来事がモデルとなっているのだろう。
今回メインキャストをNGR生え抜きではなく、外部から多数呼んできているのも、従来のNGRカラーを払拭しようとする意図だろう。主役は昇竜之助。彼の幼なじみを萩原慎が演じる。この2人のコンビネーションがいい。彼ら2人と絡んでくるヤクザを本多信男と織田拓己。この4人が話の中心にいる。昔からの土地を潰して、紡績工場を営む。さらにはそれをたたんで、パチンコ屋を経営する。高度成長期を背景にして、土地成金となった男の光と影を描こうとする。
だが、どうしてもいつものタッチを完全に崩して、重く暗い作品に仕上げることは出来なかったようだ。大体それでは浦部さんの作品ではないし、NGR作品としてはNGだ。それって従来のパターンに逃げると言うことではない。方向性の違いなのだ。自分たちの生きる姿勢が作品に反映されなくては意味がないと考えるからである。
1幕の紡績工場(外観)のセットから、一転して、1幕はスナックの店内となる。この大胆な転換は見事だ。ここまで大幅な転換は凄いし、テーマをよく表現している。外から内へとドラマは内向していく。その図式が象徴される。ここまで大幅に作り替えられると、2幕仕立てにした意味があると思う。
2幕は1幕のラストである台風のシーン(もちろん例によって大量の真水を使う)から一転、数年後の今成金となったコウちゃん(昇竜之助)を描く。やがてくるカタストロフを予感させる一瞬の狂乱がしっかりと描かれる。彼と落ちぶれていく萩原慎との対比も鮮やかだ。在日朝鮮人の問題も絡めて時代の雰囲気をきちんとなぞる。だが、本来の主人公である父親の生き様を見つめる娘の視点が、曖昧にされるから、芝居としては中途半端なものとなった。
そしてラストの屋台崩し。今回は、地味なままでそれをやらないで終わらせるのか、と一瞬思わせたが、それではNGRの芝居ではないから、強引にそこへと持っていく。ラストはもちろん火を使う。シンボルとしての後ろ向きに立つ太陽の塔(もどき)を燃やす。もちろん盛大に花火もあげる。この無駄に派手なラストはこの芝居のテイストとは違う気もするけど、気にしない。
灼熱の時代を生きた名もない庶民の哀歓を通して時代の空気に迫ろうとした試みは高く評価されていい。今までのNGRとはまるで違った人間ドラマを目指し健闘している。愚かな男女の哀しい生き様を通して、そこから生きる力を描こうとする。力作である。
今回メインキャストをNGR生え抜きではなく、外部から多数呼んできているのも、従来のNGRカラーを払拭しようとする意図だろう。主役は昇竜之助。彼の幼なじみを萩原慎が演じる。この2人のコンビネーションがいい。彼ら2人と絡んでくるヤクザを本多信男と織田拓己。この4人が話の中心にいる。昔からの土地を潰して、紡績工場を営む。さらにはそれをたたんで、パチンコ屋を経営する。高度成長期を背景にして、土地成金となった男の光と影を描こうとする。
だが、どうしてもいつものタッチを完全に崩して、重く暗い作品に仕上げることは出来なかったようだ。大体それでは浦部さんの作品ではないし、NGR作品としてはNGだ。それって従来のパターンに逃げると言うことではない。方向性の違いなのだ。自分たちの生きる姿勢が作品に反映されなくては意味がないと考えるからである。
1幕の紡績工場(外観)のセットから、一転して、1幕はスナックの店内となる。この大胆な転換は見事だ。ここまで大幅な転換は凄いし、テーマをよく表現している。外から内へとドラマは内向していく。その図式が象徴される。ここまで大幅に作り替えられると、2幕仕立てにした意味があると思う。
2幕は1幕のラストである台風のシーン(もちろん例によって大量の真水を使う)から一転、数年後の今成金となったコウちゃん(昇竜之助)を描く。やがてくるカタストロフを予感させる一瞬の狂乱がしっかりと描かれる。彼と落ちぶれていく萩原慎との対比も鮮やかだ。在日朝鮮人の問題も絡めて時代の雰囲気をきちんとなぞる。だが、本来の主人公である父親の生き様を見つめる娘の視点が、曖昧にされるから、芝居としては中途半端なものとなった。
そしてラストの屋台崩し。今回は、地味なままでそれをやらないで終わらせるのか、と一瞬思わせたが、それではNGRの芝居ではないから、強引にそこへと持っていく。ラストはもちろん火を使う。シンボルとしての後ろ向きに立つ太陽の塔(もどき)を燃やす。もちろん盛大に花火もあげる。この無駄に派手なラストはこの芝居のテイストとは違う気もするけど、気にしない。
灼熱の時代を生きた名もない庶民の哀歓を通して時代の空気に迫ろうとした試みは高く評価されていい。今までのNGRとはまるで違った人間ドラマを目指し健闘している。愚かな男女の哀しい生き様を通して、そこから生きる力を描こうとする。力作である。