是枝裕和監督によるNetflix配信ドラマ。全9話からなる作品だ。是枝作品初の漫画の映画化(ドラマだけど)。でも、いつもの是枝映画と同じでとてもよくできている。ただ、少しいつもよりも優しい。(そして、甘いかも)でも、今回はそこがとてもいいのだ。この作品の世界をうまく体現している。リアルだけど、厳しくはない。甘いだけのお話ではなくTVドラマの嘘くささもなくどちらかというとドキュメンタリーのようなタッチなのだが、ハートフルなホームドラマになっている。
祇園の舞妓たちを主人公にして、主役のふたりは舞妓さんたちが共同で生活する「屋形」に住み込み、そこがお話の舞台となる。そこでの1年間を描く。でも、主人公のふたりが舞妓になるという話ではない。なんと屋形のまかないになるのである。主人公であるふたりの女の子は幼馴染。青森から京都に舞妓になるためにやってきた。だけど、ひとりは舞妓を諦め、まかないさんとなる。森七菜が演じるキヨ。もうひとりは立派に舞妓になる出口夏希が演じるすみれ。だがこれは夢破れた少女と夢を実現する少女の話ではない。ふたりは同じ場所でお互いの夢をちゃんと実現する。そんな彼女たちが素晴らしい。
もちろんダブル主演のこのふたりを支える周囲の面々がまた素晴らしい。松坂慶子をはじめとした豪華キャストが見事なアンサンブルを奏でる。スタッフ陣も見事だ。監督は是枝だけでなく、彼の弟子となる3人の若手が3話から9話までを担当する。脚本は砂田麻美と是枝監督が全話を手掛けるのだが、3人が手掛けるエピソードではそれぞれの監督も脚本に参加して監督は編集も手掛ける。是枝学校という雰囲気でこの作品を作る。総合演出の是枝監督の世界を3人の監督たちはちゃんと自分らしさもまぶしながら見事に彩る。3話から5話までは津野愛が手掛ける。導入になる1,2話の是枝映画の空気を見事に引き継ぎ、この作品世界を確立させる。5話は是枝監督と共同監督とクレジットされているが、ここまでで前半終了だ。ここからの後半は、まず6,7話を『僕はイエス様が嫌い』の奥山大史が手掛け、最後を『泣く子はいねぇが』の佐藤快磨だ。奥山は無口で静かなタッチで年末年始のちいさなエピソードを見せる。佐藤は一転コミカルなエピソードをさらりと見せ、最終話につなぐ。1年の終わり、すみれが舞妓になる大団円をこれまた静かに見せる。そうなのだ。これは一貫して静かな映画でそこを3人の監督はうまくバリエーションをつけながら一貫させてこの是枝ワールドを見せていく。撮影は近藤龍人、美術は種田陽平、音楽は菅野よう子というこれまでも是枝映画を手掛けた豪華でベストな布陣。是枝学校はこうしてスタッフキャストが一丸となりひとつの目標に向けて邁進する。それは「すべての人が幸せになる」そんな夢の世界だ。祇園という狭い世界を描きながら誰もが望む幸福をそこに実現する。キヨのまかないを食べるみんなは本当に幸せそうだ。彼女はここに自分の居場所を見つける。15歳の少女たちがたったふたりで、見知らぬ場所であるここにやってきて過ごした1年間。そしてふたりは夢を実現する。このシスターフッド映画が見せる世界は輝いている。