日本の小説、マンガを原作にした韓国映画を2本続けて見た。残念だがどちらもあまり感心しない。
日本ではマンガの実写映画化は花盛りでが、それが韓国やアメリカにまで飛び火している。なんだか面映い。来年3月公開の『ドラゴンボール』には亀仙人の役でチョウ・ユンファが出演するらしい。驚きだ。だが、今年の『マッハGO!GO!GO!GO!』の映画化であるウォシャォスキー兄弟の『スピードレーサー』を見てもあれほどの大作なのに何かピンと来なかった。別にマンガの映画化をどうこう言うつもりはないが、それをどう映画として成立させるのかが大事で、安易にストーリーだけをなぞった映画は見るも無残なものになる。だいたいマンガのストーリーはリアルな映画とはマッチしない。映画化する際にはかなりのてこ入れが必要なのだ。お話の面白さ、奇抜さにおんぶに抱っこしただけの映画が多すぎる。特に低予算の日本映画においてはそれが顕著だ。
さて、今回の『カンナさん大成功です!』を見ながら、比較するのもバカバカしいがキム・ギドクの『狂気の愛』がいかに面白かったかを思い知らされた。同じように整形を扱った映画という1点以外には共通項は何一つない映画だが、そのたった1点を巡ってどういうアプローチをかけるのかに両作品の成否はかかっている。結局映画はテーマを作家がどう見せようとするのか、そのビジョンと技術がものを言う。そんなあたりまえのことなのだ。
ただし、全体的にはつまらないこの映画に於いて、唯一、ラストの主人公が、全身整形であることをステージ上でカミングアウトするシーンは、結構上手く作れていて、そこだけは納得がいった。こういうまとめ方が出来るのなら、それまでの部分も、ただ定番をなぞるだけのような安易なことはしないで欲しかった。
映画自体はたわいもないラブストーリーであってもかまわないと思う。だけど、「命を棄ててでも美しくなりたいと願う気持ちと、美しさだけでは手に入らないものがあるという事実」それをいかに見せるのかというその1点だけは作家として、譲ってはならない。そんな覚悟がこの映画に見えたならよかったのだが残念だ。
そういう意味では『黒い家』も同じだ。森田芳光の傑作映画のリメイクしたこの韓国映画は同じストーリーをなぞりながら、安易なホラー映画にしか出来ていない。前半はなかなか雰囲気もあり面白かったのだが、クライマックスからラストまで、そこで失速する。
オリジナル版の大竹しのぶのあのおぞましさは、切り刻んでいく行為のグロテスクさとはまるで違う。なのにこの映画のあの女は、これではただの狂人でしかない。大竹しのぶよりもずっと美しい(大竹さんごめんなさい!)女優が演じているだけに余計にリアリティーがない。監督は安易なホラー映画を撮りたかったわけではないはずだ。なのにバランスを崩して失敗している。
「心をなくした女の狂気、彼女の空洞のような心をがどうして出来たのか」そこに全く触れないで、主人公である男のトラウマを軽くなぞっただけの描写で全体を説明してしまうのでは、この映画に入れ込みようがない。
日本ではマンガの実写映画化は花盛りでが、それが韓国やアメリカにまで飛び火している。なんだか面映い。来年3月公開の『ドラゴンボール』には亀仙人の役でチョウ・ユンファが出演するらしい。驚きだ。だが、今年の『マッハGO!GO!GO!GO!』の映画化であるウォシャォスキー兄弟の『スピードレーサー』を見てもあれほどの大作なのに何かピンと来なかった。別にマンガの映画化をどうこう言うつもりはないが、それをどう映画として成立させるのかが大事で、安易にストーリーだけをなぞった映画は見るも無残なものになる。だいたいマンガのストーリーはリアルな映画とはマッチしない。映画化する際にはかなりのてこ入れが必要なのだ。お話の面白さ、奇抜さにおんぶに抱っこしただけの映画が多すぎる。特に低予算の日本映画においてはそれが顕著だ。
さて、今回の『カンナさん大成功です!』を見ながら、比較するのもバカバカしいがキム・ギドクの『狂気の愛』がいかに面白かったかを思い知らされた。同じように整形を扱った映画という1点以外には共通項は何一つない映画だが、そのたった1点を巡ってどういうアプローチをかけるのかに両作品の成否はかかっている。結局映画はテーマを作家がどう見せようとするのか、そのビジョンと技術がものを言う。そんなあたりまえのことなのだ。
ただし、全体的にはつまらないこの映画に於いて、唯一、ラストの主人公が、全身整形であることをステージ上でカミングアウトするシーンは、結構上手く作れていて、そこだけは納得がいった。こういうまとめ方が出来るのなら、それまでの部分も、ただ定番をなぞるだけのような安易なことはしないで欲しかった。
映画自体はたわいもないラブストーリーであってもかまわないと思う。だけど、「命を棄ててでも美しくなりたいと願う気持ちと、美しさだけでは手に入らないものがあるという事実」それをいかに見せるのかというその1点だけは作家として、譲ってはならない。そんな覚悟がこの映画に見えたならよかったのだが残念だ。
そういう意味では『黒い家』も同じだ。森田芳光の傑作映画のリメイクしたこの韓国映画は同じストーリーをなぞりながら、安易なホラー映画にしか出来ていない。前半はなかなか雰囲気もあり面白かったのだが、クライマックスからラストまで、そこで失速する。
オリジナル版の大竹しのぶのあのおぞましさは、切り刻んでいく行為のグロテスクさとはまるで違う。なのにこの映画のあの女は、これではただの狂人でしかない。大竹しのぶよりもずっと美しい(大竹さんごめんなさい!)女優が演じているだけに余計にリアリティーがない。監督は安易なホラー映画を撮りたかったわけではないはずだ。なのにバランスを崩して失敗している。
「心をなくした女の狂気、彼女の空洞のような心をがどうして出来たのか」そこに全く触れないで、主人公である男のトラウマを軽くなぞっただけの描写で全体を説明してしまうのでは、この映画に入れ込みようがない。