この分厚い小説を読み終えて残る疲労感は、『日本のいちばん長い日』を見終えた時の気分と近い。とりあえずは、よかったな、と思うけど、これで終わったわけでないし、ハッピーエンドだなんて、誰も思わない。たくさんの人たちの思惑が交錯する。この街(敢えて「この国」と言ってもよい)をよくしたいと、誰もが思うのだろうが、思ったようには事は運ばない。
ターミナルとなるはずだった場所。だが、今では見棄てられた場所。そこで暮らす人たち。彼らの退屈な日常が描かれる。この長い小説は、あまりの倦怠感に彩られてあり、先の話を読み進める気をなくさせる。つまらないわけではない。だが、そこに希望が見えないから、ページを繰る手が遅くなる。ついつい止まる。なんとかして、立ち直らせようと、努力する人たちの姿が描かれる。だが、それは決して、前向きなものではない。あきらめが先に立つ。
巨大なベットタウンが造られた。そこでたくさんの人たちが生活をするはずだった。しかし、現実にはそこはもう廃墟となっている。住人はたったひとりだ。(彼がこの小説の主人公である)誰もいない街で暮らし、毎日たったひとりのために運行されている列車に乗ってターミナル駅へと向かう。彼をスタートにして何人かの人物がタイトルになった章が展開する。各章はタイトルの人物が主人公なのだが、短編連作ではない。普通の長編である。お話は一貫している。
舞台となるターミナル駅(のはずだった)のここもまた、廃墟のようなありさまだ。今では通過駅にすぎない。もう誰もここを顧みない。
さまざまな人たちの思惑が交錯して、ドラマは流れていく。だが、それは決して前向きではないのだ。暗い。最初から負け戦だと決まった戦いに挑むような気分。
三崎亜紀らしい空想未来小説なのだ。こんなふうに世界はあるかもしれない。SFとは呼ぶ気にはならない。もっとリアルで、でも幻想的。危うい。
パラレルワールドの日常、って感じ。まぁ、いつもの話なのだが。だだこの終末観は、胸に痛い。終わってしまった未来を生きる気分だ。もうこの先はない。僕たちは静かにこの世界が終わるのを待つ。少しくらいそれが先延ばしされても、新しい「未来」がそこに来るわけではない。