原田眞人がこの題材に挑む。もうそれだけでこの夏一番見たい映画だった。出来ることなら作者の意図通り8月15日に見るべきだったのだが、そうはいかず、今頃、見ることになった。この映画と連動して(というわけではないけど)NHKのBSで岡本喜八監督による『日本のいちばん長い日』を放送していた。あの映画は昔見たけど、あまり感心しなかった。いつもの喜八監督らしさが感じられない映画で、暑苦しくて、好きじゃない。でも、今見たなら、どんな印象を受けるか、本作と連動させて見ようと思い、録画してある。時間があれば見るけど、いつになることやら。
これは岡本喜八監督作品のリメイクではない。同じ題材を違う視点から描いている。「日本のいちばん長い日」に至るまでの4カ月のお話なのだ。8・15も、もちろん描かれるけど、その前の4月、鈴木内閣組閣から話は始まる。そして、それは昭和天皇の勅命による。これは鈴木総理(山努)と、阿南陸軍大臣(役所広司)のふたりを主人公にした映画である以上にまず、昭和天皇(本木雅弘)の決断を描く映画なのである。
映画では「聖断」と言われるが、彼が始めた戦争を、自分によって幕を引く。今まで、そこまで正面から昭和天皇を描くような映画は日本にはなかった。(岡本版では天皇はほとんど姿を見せないまま映画は突き進む。)決して主人公にして描くというわけではないけど、この映画の天皇は実に人間的な存在として確かに描かれる。本木雅弘が素晴らしい。彼の存在だけでも、この映画には意味がある。
群像劇だが、主人公たちは限定される。数名の人物をクローズアップして、日本が直面した最大の難関を描く。どういう形で戦争を終わらせるのか、である。戦争を続行させようとする陸軍の将校たちも描かれるし、そのせめぎあいも映画のポイントかもしれないが、そこには力点は置かれない。松坂桃李演じる若手エリート将校の純粋な想いは、前面には出ない。
主要人物以外のたくさんの人たちの動向も描かれない。これだけの大人数が右往左往する姿を描くにも関わらず、そんな印象を受ける。しかも、映画全体は、本木天皇のたたずまいに象徴されるように、実に静かな映画なのだ。(天皇が、呻吟し、もがき苦しむような姿を描いたりしたなら、それはそれで反対に滑稽にしかなるまいが。)彼だけではなく、誰もがこの難局に立ち向かい、冷静であろうとした。
皇室や、内閣を舞台にした密室劇の趣を持つ。庶民の姿はほとんど描かれない。だが、適宜、空襲シーンや、防空壕、廃墟と化した街が描かれる。それが映画のアクセントとなっている。言い訳程度の描写ではなく、確かにこの会議室の外では戦争が、起きているし、戦火はもう彼らのすぐそこまで迫っている。なのに、この期に及んで、まだ理想論を展開する陸軍の参謀たち。本土決戦一億玉砕を望む。バカバカしいとは思わない。彼らはそれこそ美しい日本人の誇りを全うすることだと思っているようなのだ。そんな彼らを純粋だと、言うわけなんかないけど、そんな人も確かにいたのかもしれない。当然この映画は彼らには寄り添わない。(批判もしないけど)
これを見て、天皇を持ちあげるための映画なんて、思わない。彼の苦悩を前面に押し出すわけでもない。誰もが、自分のこと、国のこと、みんなの将来を憂えて、最善の選択を望んだ。終戦が終わりではない。無事玉音放送がオンエアされ、戦争は終わる。映画もそこで終わる。
2時間16分の長い映画を見終えて、とても疲れた。悪い映画ではない。だが、感動的な映画でもない。重いものが手渡された気分だ。きっとそれでいいのだろう。戦後70年。僕たちは戦争を知らない。戦争なんて二度と起してはならない。誰もがそんなことわかっている。(きっとあの安倍さんだって)だが、今も、世界では戦争が起きている。好きで戦争をしているわけではない。なのに、なくならない。