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映画・演劇のレビュー

劇団ひまわり『クリスマス・キャロル』

2007-12-11 21:33:39 | 演劇
 俳優養成所のこういうステージを見るのはたぶん初めてだ。でも、発表会なら、何度か行っている。(そういえば、何度か、昔、担任したクラスの生徒がタレントを目指していて「見に来て!」と言われて行ったことがある)でも、これはもう少ししっかり作ってある。

 僕が、何故見たのか、は実は謎である。まぁ、いろいろ理由はあるが、一番の理由は、江坂のシアターぷらっつの舞台で、90人以上のキャストでミュージカルをする、ということに惹かれたことだ。いったいどんなものになるのだろうか、と少し胸が躍るではないか。あの空間にそれだけの役者が立ったりしたら、きっと客席よりも舞台の方が人が多いんだろうなぁ、なんて思うとワクワクする。それって、どんな感じだ?想像は出来ても、実際に自分の目で見てみたいではないか。ということで、見に行った。なんとも不純な動機だ。これは、きっと世界一人口密度の高い芝居ではないか。

 狭い舞台には人が溢れてる。これだけの人間が、歌い踊るのだからけっこう壮観である。

 お話は当然、ディケンズの『クリスマス・キャロル』なのだから、誰もがよく知っている。(それに新解釈を施したりはしないから)オーソドックスに、きちんとショーアップして、見せる。子供たち全員にそれぞれ見せ場を用意して、2時間半の長丁場を退屈させることなく見せていく。少し長いのは仕方あるまい。話の見せ方は悪くないし、何よりこの小空間にこれだけのものを作り上げたことは、立派だと思う。自分たちのアトリエでチープになることなく、ただの発表会には止まらないものをきちんと見せてくれるのは、さすがプロだと感心した。

 まぁ、もちろんそれ以上は、何もない。作家の仕事ではなく、これはあくまでもプロモーションをメインとするステージなのだから、それ以上を提示するべきではない。僕だって、これ以上何も期待していない。

 小さな子供たちが、必死になって覚えたセリフを喋る姿は、ほほえましいし、妥協することなく誠実な舞台作りをしているスタッフの仕事ぶりには好感が持てる。これはこれでとても新鮮な体験だった。

 だが、ここに作者の考え、感じ方が加味されたなら、更にもう少し楽しめたのだが。今、『クリスマス・キャロル』を見せることに何の意味があるのか。これが19世紀のロンドンなら意味を持ったかもしれないが、21世紀の日本である。ここでこの話を成立させるための仕掛けが欲しい。せめて、スクルージをもう少し追い詰めなくてはなるまい。

 作、演出の甲斐マサヒコさんは劇団の子供たちのために作ったのだろうが、これが作品として独立するためには、作者の考えがどこかに、しっかり刻み込まれてなくては命を持たない。命のない作品はいくらウエルメイドに仕上がっていても、意味がない、とも思うが。どうなんだろう。

 

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